裏 ミーナ
ユーリに対してミーナが真剣での戦いを仕掛けた日、ヴァネアはミーナを窘めていた。
「ミーナ、やりすぎよ。坊やと殺し合いがしたいわけじゃ無いと自分で言っていたことも忘れたの?」
「分かってる! でも、どうすればいいんだ……ユーリに僕は追いつけない。今日の事でよく分かった。怖いんだよ。ユーリが僕の事をどうでもいい人だと思ってしまうことが」
ミーナはこれまで剣術を学ぶ中で、自分にとって敵では無いような相手の事をだんだんと忘れ去っていた。
その中には、お互いに高めあうことを約束した人もいたはずで、でも、ミーナはその約束以外は何も覚えていなかった。顔も名前も実力も、それ以外の全ても。
その中の1人として、かつてエンブラの街でユーリと戦った槍使いのアーノルドがいた。ミーナには剣では勝てないと判断した彼は槍使いに転向したが、当のミーナには全く顧みられることがなかった。
ミーナはかつて競い合っていた誰の顔も思い出せないでいたから、ユーリにとって自分が同じような存在になってしまうことが恐ろしくて、ユーリが自分の事をただの通過点として忘れ去ることが考えるだけでも辛くて、つい暴走してしまった。
ユーリは自分と違ってそんな事をしないはずだと頭の冷静な部分が告げていたが、ミーナは自分の中の恐怖に負けた。
ユーリになんとも思われなくなってしまう位なら、ユーリに殺されて自分の事を忘れないでいて貰うことの方が良い。そんな考えで真剣を持ちながらユーリに全力で攻撃した。
ユーリがそれに軽く対処して、自分の事を傷つけようとしない姿を見て、ミーナは自分がユーリの中から消えてしまうような感覚に陥った。
だから、さらに頭が茹であがり、ミーナは全く冷静さを取り戻せなくなってしまった。
ヴァネアに窘められる中でも、ミーナはずっとユーリが遠くへと行ってしまう恐怖から逃げ出せないでいた。
「坊やはそんな子じゃないわよ。ミーナの事をとても真摯に大切にしていることがよく分かるわ。だから、おかしな事はやめなさい」
「そんなことを言っても、ユーリにライバルらしいライバルはいなかった。ただの親しい人として僕に接してくれる保証なんて……むぐっ!?」
ミーナはヴァネアも気づかないうちにアクアに拘束されていた。アクアはミーナに対して軽く問答を仕掛ける。
「ミーナ、ユーリを殺すつもりで攻撃をした? アクアに嘘は通じないから、正直に答えて」
「殺すつもりなんてないよ……でも、あの攻撃が当たったらユーリは死んでいたかもしれないのは事実だ」
「そう。ミーナはユーリのいいライバルだと思ったのに。じゃあね、ミーナ」
その言葉で自分の運命を悟ったミーナは最後に少しだけ言葉を残す。ユーリともう戦えないことを考えるとミーナはとても悲しかったが、自業自得だと認識していた。
「ユーリ……僕の運命のライバル。僕は本当は君と……」
ミーナの言葉を最後まで待つことなくアクアはミーナの口から入り込みミーナを支配した。
その様子を見て呆然としていたヴァネアだったが、気を取り直して、アクアに勝てないまでも一矢報いようと考えた。
だが、アクアの表情を見てその考えは変わった。ヴァネアの想像と違い、アクアの顔には怒りも喜びもなく、悲しみだけが見えた。
ミーナとの契約が解除されていない事からミーナが生きている事も分かったヴァネアは、何とかしてアクアを説得しようとする。
「アクア、坊やはこんなことをしても喜ばないはずよ。ミーナは確かに間違っていたわ。でも、もう一度チャンスを頂戴。アタシがミーナを説得してみせるから」
「どうやって? さっきまで見ていたけど、ミーナは考えを変えるようには見えなかった」
その言葉に対する反論が即座に思いつかなかったヴァネアは、別の方向からアクアを説得しようとする。
「ねえ、今のやり方以外の道だってあるでしょう? アクアだってこんなことを望んでいるようには見えないわ」
「具体的には? ユーリを傷つけないで、ミーナを無事で済ませる方法は何かある?」
ヴァネアの頭の中に他の手段がはっきりと思い浮かんでいる訳では無く、具体的という言葉で考えた言葉のほとんどを封じられた。
それでもヴァネアは最後までアクアを説得する道を諦めようとはしなかった。わずかな望みをかけて言葉を紡いでいく。
「こんなやり方じゃ誰も幸せになれないわ。坊やもミーナもアクアも。アクア、きっと後悔するだけだわ。ゆっくりとでもアタシたちと分かり合っていきましょう?」
「結局対案はないんだ。話はこれまで。じゃあね、ヴァネア」
その言葉を最後にヴァネアは拘束されて、アクアに口から入り込まれて、だんだんと意識が薄れていく。
ヴァネアはミーナと出会ってからの日々をその中で思い返していた。
人とモンスターが分かりあっていくこと、人同士が仲良くなっていくこと、モンスター同士がともに歩むこと。
ヴァネアはこれまでの日々でただの野良モンスターでいては知ることのなかった感情を知ることができた。
ヴァネアにとっての心残りはユーリとミーナのこれからを見ることができない事。
考えがだんだん思い浮かばなくなっていき薄れゆく意識の中で、ヴァネアは最後にアクアの言葉を聞いたような気がした。
「後悔なら、もうとっくにしてる」
アクアはミーナを支配していても全く喜びなど感じていなかった。
ユーリとミーナがともに競い合うところを見ていたかったアクアだが、ユーリを傷つけようとするミーナを前に我慢が出来なかった。
それでも、もう行動して結果も出てしまった以上、別の選択を取ることはできない。
アクアがユーリの周りを支配することによって、ユーリの幸せを自分が邪魔しているのではないかと考えた。だが、すぐにその考えを放棄した。
その考えが正しいならば、自分がユーリから離れることが一番になってしまう。アクアはそれだけは本当だと思いたくなかった。
ミーナに体を返すことはできない。ならば、せめてミーナの事を有効活用しよう。
そう考えたアクアは、以前から頭にあったユーリヤの強化案を実行した。
それは、ミーナの身体制御の経験をアクアが吸い取ることで、ユーリヤの動きにフィードバックするという物だった。
思いついたときにはミーナの事を支配したくなかったのに、結局実行することになってしまった。アクアに悲しみがよぎるが、それでもユーリヤを強化した。
そうすることで、ユーリとアクアの共通の悩みであるオーバースカイの連携の問題の解消が一歩進む。
ミーナとヴァネアを支配する結果になってしまったことは悲しいが、ユーリヤを強化できたことは良かったことだとアクアは自分を慰めていた。
実際にオーバースカイとして活動する中で、ユーリヤの強化の成果はすぐに現れた。
ユーリとも自分が操る他の仲間ともうまく連携できるようになっていて、オーバースカイとしてユーリと冒険する上でユーリの感じる楽しさは増しているとアクアは認識した。
他に、カタリナがオーバースカイで一番弱くなったという問題はユーリも分かっていたし、それでもユーリがカタリナを大切にする姿勢が見えた。
カタリナがオーバースカイに置いて行かれなくても済むように、カタリナの強化を出来る瞬間をアクアは待ちわびていた。
それから、アクアはヴァネアとミーナとしてユーリと接することにした。
ミーナとの関係がこじれている事をユーリは気にしていたので、その解決を演出することにした。
ミーナと再び戦えること、ミーナと楽しく会話ができる事にユーリは喜んでいた。
アクアはその様子を見ながら、本当はミーナとヴァネアにこの光景を作ってほしかったと考えた。
結局どうする事でそうなる事ができたのか、アクアには未だに分からなかった。
なので、ミーナとヴァネアを支配する以外の道は無かったのだとアクアは信じ込もうとした。
ユーリとミーナたちの会話は、アクアが読み取ったミーナたちの記憶をもとにして行われていた。
かつてのユーリとミーナの戦いでミーナがユーリに置いて行かれたくないと感じたことは事実だし、だからミーナはユーリを傷つけるような事をした。
アクアはミーナにいくらかの共感を抱いていて、ユーリが自分から離れるくらいなら、ユーリの手で生を終わらせてほしいというミーナの考えを理解できた。
それでも、アクアはユーリに対して攻撃を仕掛けようとは思わないし、ユーリに傷が残る形で死んでしまおうとも思わない。
ミーナの行動のその点だけはアクアには理解できなかった。
ミーナはユーリが大好きなはずだったのに、ユーリを傷つけようとした。
アクアにはその考えに至ることが全く分からなくて、人間という物は難しいと改めて感じていた。
そう感じてしまう以上、ユーリと自分の間には何か高い壁のような物があるのかもしれない。
アクアに浮かんだその考えは、アクアに寂しさをもたらした。
ユーリとずっと一緒に居るだけではできない事がある。人間のように考えられないから、ユーリと本当の意味で分かり合う事が出来ないのかもしれない。
アクアは思い浮かんでしまったその考えを必死で否定しようとした。
ユーリと自分が分かり合える未来はきっとくる。いや、もう分かり合えているはずだ。そう考えようとして、自分の隠し事が頭によぎって、アクアはとてもつらかった。
ヴァネアに関してもアクアはずっと考えていた。
ヴァネアが最後まで自分を説得しようとしていたのは、ミーナの事はもちろんあるが、それ以外にもユーリと自分のため。
ヴァネアが考えていたミーナやユーリと出会えたという幸運を、最後まで失わないための物だった。
ユーリとミーナとヴァネアが出会えたことはヴァネアが考えていた通りに幸運のはずだった。
それなのに、結局ミーナもヴァネアも幸せにはなれない結末を迎えてしまった。
どうすればこの幸運をずっと幸運のままにできたのだろう。アクアは真剣にその答えを知りたかった。




