裏 サーシャ
ユーリが王都に滞在しているであろうころ、サーシャは今後について考えていた。オーバースカイは冒険者として高い実力を持っている。それをどうエルフィール家の利益とするかであった。
冒険者は、誰にでもなれるということもあり、とてもレベルの低い人間が多く、嫌われ者であることがほとんどだ。
だが、一部の高名な冒険者に限っては、市井の者の憧れであった。
エルフィール家には、3代先まで遊んで暮らせるほどの財があったため、金儲けについてはそれほど急いではいなかった。勲章をサーシャがきっかけで手に入れていることもあり、貴族の中での名誉も現在は十分と言えた。
だからこそ、冒険者だ。エルフィール家がオーバースカイの面倒を見ていることが、オーバースカイが大成した時、市井の物の名声として帰ってくる。それがエルフィール家の狙いだった。
カーレルの街ならば、エルフィール家の名を知らぬ者はいないが、その外においては、貴族や王族には知られていても、一般の市民はエルフィール家を知らなかった。
そのため、冒険者を利用して知名度を上げることによって、エルフィール家の今後の活動に役立てる。冒険者をサポートするのはそのためだった。
サーシャが組合の受付をしているのもその一環で、サーシャを有望な冒険者のサポートにあてることで、エルフィール家と役立つ冒険者のつながりとすることを目的としていた。それゆえ、サーシャが自ら対応するような冒険者はほとんどいなかった。冒険者として大成できそうな人物など、滅多なことでは現れないのだから。
エルフィール家はアリシアとレティに対しても関係の構築を試みていたが、アリシアとレティは基本的に縛られることをよしとせず、エルフィール家とはある程度の距離を置いていた。
だから、ステラがユーリたちを推薦してきたこと、それにアリシアとレティも賛同していたことは渡りに船だった。それほどの者ならば、エルフィール家の役に立つ可能性は高い。それゆえ、ユーリたちとの関係構築には力を入れた。
幸い、ユーリたちは冒険者の中では圧倒的に人柄がよい方で、関係の構築に苦戦はしなかった。その上、誰が考えていたよりも素早く実力と実績を上げていくのだから、サーシャはユーリたちを逃がすつもりはなかった。
王都での大会がちょうどいいタイミングとなるだろうことから、サーシャはユーリの対人での実力を見たかった。
だから、一般の者に与える情報をコントロールして、ビッグスライム使いや、ブレンダン兄弟のようなものが軽率な行動をとるように誘導した。
程度の低い人間の動きを、自分が直接何もせずともコントロールする程度の事、サーシャにとっては造作もない事だった。
実力的にそれらに勝てることは明らかだったが、ユーリは特に問題なく対人をこなしていたので、サーシャは王都での大会にユーリを送り込むことにした。
王都での大会は、貴族が自分の抱えている人間のお披露目の場であった。その大会に出たものが、推薦を受けた貴族でないもののところへと向かうことは、大きな不義理とされており、ユーリは気づかぬままにエルフィール家から離れることが大きなデメリットを伴う状態となっていた。
他にも、サーシャがユーリたちに贈った服には、ユーリたちは気づいていないが、エルフィール家の紋様が入っており、この者はエルフィール家の庇護下にあるのだと、その服を見たものが察するようにされていた。
ステラは気づくかもしれないが、自分の家に住まわせるくらいなのだから、カーレルの街から離れにくくなったところで問題はないだろうと判断した。
これらの事があるため、エルフィール家が手回しすることなく、オーバースカイがカーレルの街の外で活動することになった場合、大きな逆風が吹くことになったであろう。ステラの事があるため、その可能性は低いとサーシャは判断していたが、自分たちの手元にオーバースカイを置いておくために、様々な手を尽くしていた。
サーシャはオーバースカイと今後どう付き合っていくか、オーバースカイをどう利用するか、いろいろと検討していた。
外の街で厄介なモンスターを倒させるか、アリシアとレティの弟子として売り込んでいくか、あるいはカーレルの街に外部の人間を招き、オーバースカイの名声を高めるか。その他にもいろいろな考えがあったが、とにかく現状はオーバースカイの名を売ることが第一だろうと判断していた。
オーバースカイは、暴力的とは言い難く、他の人間を積極的に排することもなく、冒険者の中ではとても付き合いやすい存在とみられていた。中でもユーリは義理堅く、恩をしっかり打っておけば、絶対に裏切らないとすら感じられた。サーシャはユーリの事を好ましいと感じていたが、それすらも利用して、ユーリを自分に縛り付けるための行動を重ねていた。
オーバースカイの中心は間違いなくユーリであるから、ユーリを絡めとってしまいさえすれば、オーバースカイはエルフィール家から離れられないだろう。そういう打算があった。
考え事を進めていたサーシャは、いったん休憩と考えて水を飲んでいた。
「……ふぅ。ユーリ様は本当にわたくしを大切な存在と考えている様子。わたくしにとっても大切な存在ではありますが、だからこそ、ユーリ様はわたくしをもっと好ましいと感じるようになるはず。……あら? そういえば、水は先ほど飲んだような……? ですが、他者がこの部屋に入るなどありえないこと。わたくしの勘違いでしょうか?」
サーシャの考えは勘違いではなく、サーシャが飲んだものはアクアの一部であった。とあるきっかけでサーシャに疑念を抱いたアクアが、サーシャの考えを調べるために飲ませたものだ。
アクアはアクア水のようなものをどこにでも出現させることが出来た。それを使って、サーシャのコップに自分の一部を出現させていた。
この時点では、アクアにサーシャを乗っ取ろうという考えはなく、単におかしなことをしていないか調べたいだけだった。
だが、サーシャの考えを読み進めていく中で、完全にアクアの気は変わった。
単にユーリを近くに置いておきたいというだけなら許すつもりでいた。
だが、悪意をもってビッグスライム使いやブレンダン兄弟をけしかけたこと、ユーリが外部で活動しようとするとデメリットが伴う事、それらはアクアの許容範囲外であった。
サーシャが直接指示していないことだから見過ごしていた。アクアは反省をすると同時に、それを今後警戒すべきことの1つだと考えていた。
サーシャを殺してしまうと、モンスターとの契約が解除されてしまう。そのため、サーシャを殺すわけにはいかなかった。
だから、アクアは実験を進めている最中のやり方を試すことにした。
サーシャを直接操作するのではなく、サーシャの思考を、本人が自覚しない状態のまま誘導する。そういう形でサーシャを操ることにした。
サーシャは何も気づかないまま、アクアとユーリにとって都合のいい形の思考をするようになっていった。
アクアはサーシャを操ることにしたが、ユーリなら、きっとサーシャの考えを知ったとしてもサーシャを信じるという判断をした。そう考え、あくまで自分はユーリと同じ存在になれない、ただの化け物でしかないと感じた。
だが、化け物なら化け物でいい。化け物らしいやり方で大好きなユーリを守って見せる。アクアはそう決意した。
それから、アクアはユーリの知り合いでない多くの人を乗っ取っていった。ユーリにとって大切な人ならば、できるだけ手出しはしたくない。そう思ってはいたものの、それ以外の人間もモンスターもアクアにとってはどうでもいい存在だったため、カタリナへの罪悪感だけがブレーキだった。
だが、完全にブレーキを失ったアクアは、もはやだれにも手を付けられない存在になっていくことになる。
すでにアクアは、かつてのオメガスライムを撃退した方法では倒せないほどになっていた。
それでも、ユーリの幸せを壊したいわけではなかったアクアは、ユーリの周りの存在をむやみに乗っ取ろうとはしていなかった。彼女たちがユーリを大切にしている限り、手出しはしないと決めていた。ユーリを傷つけるようなことがあれば即座に変わる程度の心構えではあったが。
それから、サーシャのもとにユーリが王都での大会で優勝したとの知らせが入った。
サーシャは大勢で祝いのパーティを行い、ユーリとエルフィール家の関係をアピールするつもりだったが、アクアが思考に介入したことで、ユーリの知り合いだけを招く会へと変わっていった。
サーシャの中では、ユーリとの関係をよくするために、ユーリが好む選択を取るという判断ということになっていた。
サーシャは本来ならモンスターを簡単には信用しない性格だったが、ユーリがノーラを大切にしていることから、アクアはノーラを受け入れるように思考を誘導した。サーシャの思考の誘導にも慣れたもので、ユーリの好みだろう選択を取らせることは、アクアの思いのままだった。
アクアが意図していたことでは無いが、無意識のうちに、サーシャのユーリへの好意を増幅していた。アクアにとって、ユーリを好きであることは当たり前であったために、自然と体が動いたようなものだった。サーシャにとって、ユーリはもともと好ましい人物だったこともあり、サーシャの好意はユーリを他の人より優先するほどのものになっていた。
なので、ユーリに対して好感度を上げようとしていた打算も相まって、ユーリに対して以前より距離を詰めるようになっていた。
その後、サーシャの開いたユーリの優勝祝いのパーティでは、サーシャはユーリのそばにずっといた。
ユーリと話すたびにユーリの好ましさを感じていたサーシャは、自分がユーリと結ばれることでユーリをエルフィール家につなぎとめることを考えるようになっていた。
アクアの誘導によって、ユーリをあまり束縛しない範囲のものとなっていたが。
アクアが意識しない範囲でもアクアの感情の影響を受けていたサーシャは、アクアの印象に残っていた、ユーリを溺れさせるというセリフをつい使ってしまった。
サーシャの中に大きな羞恥心が生まれていたが、サーシャにはユーリがそれを悪く思っていないように見え、ひそかに興奮していた。
ユーリと自分がエルフィール家を盛り立てる。それもいいかもしれない。あるいは、エルフィール家の力でユーリをさらに飛躍させるのもいい。サーシャはユーリとの将来を強く考えていた。




