29話 誘惑
ぼくはあれから何度か人型のモンスターを倒すことに成功していた。苦い思いを感じなくなったわけではなかったが、きちんと飲み込めるくらいの感情にはなっていた。
そんな中でステラさんに休みを提案されたので、今日は久しぶりの休みだった。ステラさんの家でゆっくり過ごすことになっている。
ぼくはステラさんに誘われ、ステラさんと二人でのんびり過ごしていた。
「ユーリ君。冒険者になってから、ユーリ君はよく頑張っていますね。
ですが、頑張るだけでは駄目ですよ。ゆっくり休んで疲れをとる。それも大事なことです。ユーリ君は他の人のために頑張りがちですが、無理をすれば、結果的にあなたが大切にしている人たちに負担がかかることにもなりかねません。自分のためだけではなく、周りの人たちのためにも、休息は大切なことなのだと思ってください」
確かにそうかもしれない。ぼくの疲れがたまったら、必然的に動きが悪くなるだろう。
そうなると、それをフォローするための動きが必要になることは間違いない。
それに、ぼくが疲れているということは、他の人たちも疲れるだけのことはしているはずだ。ぼくだけが頑張ってどうにかなる問題ではない。それを思えば、休息は必ず必要なことなのだろう。
「ですから、こういうことを考えてみました。ユーリ君、こちらへどうぞ」
そう言って、ステラさんは正座している太もものあたりに手を添える。
これは、何をすればいいんだろう。ステラさんに近寄ることは確かだろうけど。悩んでいることを察したステラさんは、説明を追加してくれる。
「ユーリ君、私の太ももに頭をのせてください。ふふっ、良いことをして差し上げますよ」
ステラさんの太ももに頭をのせる……? 枕みたいにすればいいんだろうか。よくわからないなりにステラさんの太ももに頭をのせると、何とも言えない柔らかさと、ほのかないい匂いを感じた。ものすごく緊張していると、ステラさんに頭を横にされる。一体何をされるんだろう。このまま寝ればいいのかな。
「ユーリ君、じっとしていてくださいね」
そう言ってステラさんはぼくの耳の穴に何かを入れる。少し驚いたが、じっとしていろと言われていたのでそのまま我慢する。
ステラさんはその棒のようなものでぼくの耳の穴をこすっていく。ぼくは心地よいような、少し怖いような感覚を覚えていた。
しばらくじっとしていると、最後にステラさんはぼくの耳を吹く。少しうとうとしていたぼくは、驚きとともにくすぐったさのようなものを感じた。これで終わりかな。
「ユーリ君、今度は反対側を向いてください。寝返りを打つような感じでいいですよ」
ステラさんに言われた通り、反対側を向くと、ステラさんのお腹が目の前にあった。
なんだかいけないことをしているような気分になるし、柔らかいし、暖かいし、いい匂いもする。ぼくはとてもドキドキしていた。
そんなぼくを気にした様子もなく、ステラさんは反対側の耳にも同じようなことを始める。先ほどとは違い、やることは分かっていたので、さっきよりは落ち着いた気分でステラさんの行為を受け入れていた。
逆側の耳も終えたステラさんは、ぼくの頭を撫でながら、優しげな声でぼくに語りかける。
「これが耳かきです。どうです、ユーリ君。落ち着いた気分になったのではないでしょうか」
これは耳かきというのか。ステラさんの言う通り、本当にぼくは落ち着いた気分になっていた。ステラさんの温かさに包まれているような気がして、とても大きい安心感があった。ステラさんはぼくの頭を撫で続けたまま、ぼくに話しかけてくる。
「ユーリ君、このまま眠ってもかまいませんよ。ユーリ君も少し疲れたでしょう。私の膝で、ゆっくり眠ってみるのはいかがですか?」
ステラさんの言葉は相当魅力的だ。なんだか眠くなっていたこともあるし、ステラさんの膝の上は本当に安心感がある。
ステラさんの声も優しい感じで落ち着くし、頭の撫で方も落ち着いた感じで心が安らぐ。
それに何より、優しいステラさんのそばにいられるという事が、ぼくにとっては魅力的だった。
「ふふっ。いい気分でしょう。さあ、ユーリ君、ぐっすり眠ってくださいね。その間、私はユーリ君のそばにいますから。安心して、眠っていていいんですよ」
その言葉を聞きながら、ぼくの意識はゆっくりと落ちていった。
それからしばらくして目を覚ますと、ステラさんは微笑んだまま、ぼくの頭を撫でてくれていた。
「ユーリ君、目を覚ましましたか。どうでしたか? 私の膝の上で眠るのは」
本当に最高だった。何か暖かい物に包まれているような心地でいられたし、疲れもものすごくとれている。また頼めるのなら、何度でもお願いしたいくらいだった。
「とてもいい気分でした。ステラさん、本当にありがとうございます」
「いいんですよ、ユーリ君。あなたが私のことを大切に思ってくれているように、私もあなたを大切に思っています。これくらいの事でユーリ君が喜んでくれるなら、いつだって、何度だってかまいませんよ」
ステラさんがぼくを大切に思ってくれているというのは本当に嬉しい。ステラさんは、ぼくが心の底から尊敬している数少ない人なのだ。
まあ、大切に思ってくれているだろうとは思っていたけれど、こうして言葉にされると格別の思いがある。ぼくが喜んでいると、ステラさんはぼくの耳元に口を寄せて小さく話しかけてきた。
「ユーリ君。あなたはこれまで、とても頑張ってきました。最近だって、つらい思いをしているというのに、人型モンスターをしっかり倒していましたよね。ユーリ君の頑張りは私が見ています。
ですから、たまには、私に溺れてくださってもかまいませんよ……? ユーリ君が望むのなら、これ以上のことだって……」
ステラさんの言葉を聞いて耳元がぞくぞくする。彼女の提案はとても魅力的だった。
だけど、すがるような気持ちでステラさんに溺れるというのは、ステラさんを利用しているみたいな気分になる。だから、答えははっきりと決まっていた。
「ステラさんの気持ちは嬉しいです。ですが、これ以上甘えるわけにはいきません。
ぼくは、ステラさんにも、他の皆にも、胸を張って誇れるぼくでいたいんです。たまには甘えたくなる時もあるでしょうが、ステラさんに溺れてしまっては、ステラさんの生徒にふさわしいぼくだとは思えない。
だから、ステラさんに溺れてしまうわけにはいきません」
「そうですか。ユーリ君らしい答えですね。ですが、少しだけ残念です。ユーリ君を溺れさせるというのも、それはそれは楽しそうだったのですが」
そう言ってステラさんは妖艶に微笑む。
なんというか、大切なものをステラさんの手の内に持たれているような気分になって、少しだけぞくぞくした。ステラさん、こんな表情もできるんだ。
少しだけ怖いような、もっとステラさんに大切なものを握られてしまいたいような、不思議な気分だった。
「それでは、ユーリ君には断られてしまいましたし、別の事をしましょうか。この間と同じように、マッサージはいかがです?」
「わ、わかりました。お願いします、ステラさん」
マッサージか。さっきの話があったばかりだし、なんだかドキドキが収まらない。こんな調子で上手く力を抜いてマッサージを受けられるだろうか。
でも、ステラさんのマッサージ、本当に気持ちいいんだよな。
「では、また着替えておいてください。こちらも準備しておきますね。ふふっ」
ステラさんはまた妖艶な感じで微笑む。何か企んでいるのだろうか。
でも、ステラさんになら、何か仕掛けられても受け入れてしまいそうだ。一見怪しげなことだとしても、ステラさんが信じてほしいというなら、ぼくは信じてしまうような気がする。もうぼくにはステラさんを疑うことは出来そうになかった。
ぼくが準備を終えて部屋で待っていると、ステラさんも遅れて入ってきた。その格好を見て驚く。
ステラさんは、体のラインが露骨に出ている服を着ていた。ぼくは思わずつばを飲み込んでしまう。ステラさん、とてもスタイル良いんだな。
いや、そうじゃない。無心。無心にならないと。
「ふふっ、ユーリ君、どうですか? 気に入っていただけましたか? いいんですよ、もっと近くで見ても……」
ステラさん、なんだか今日は挑発的だな。ステラさんの意外な一面を見た気がする。ステラさんは、そのままぼくの方へきて、耳元でささやく。
「ユーリ君、今回もうつぶせになってください。ふふっ。前よりも楽しい時間にしましょうね……?」
今日のステラさんはとっても意地悪だ。
でも、ステラさんに振り回されているんだと思うと、こういうのもいいかなという気持ちになってくる。これもステラさんの魅力なんだろうか。
まあ、なんでもいいか。ステラさんがぼくを傷つけようとしているわけじゃないし、これくらいの事でステラさんの優しい印象は変わったりしない。
それからぼくはステラさんにマッサージを受けた。ステラさんはマッサージをしながらぼくにまたがったり、いろいろな部分を押し付けてきたりしていた。
ずっとドキドキしていたけど、マッサージ自体に不備があるわけじゃないから、何ともしがたい。裏側のマッサージを終えると、ステラさんはぼくに仰向けになるように促す。逆らうことを考えることもできず、ぼくはそのまま仰向けになった。
ステラさんは、同じようにぼくの表側もマッサージしていく。ステラさんのいたずらっぽい表情が見えて、ぼくはさっきよりさらにドキドキしていた。
足から腕、さらに胴体とマッサージを進めていったステラさんは、最後にぼくに吐息がかかるくらい顔を近づけ、語りかけてきた。
「どうですか、ユーリ君。私に溺れる気になってきましたか……?」
ぼくはステラさんに本当に溺れてしまいそうな気持ちになった。
でも、ここで溺れるわけにはいかないと思った。なんとなく、一回溺れてしまうと、際限なく深みにはまっていってしまうような気がしていた。力を入れて首を横に振ると、ステラさんは楽しげに笑った。
「そうですか、残念です。ですが、いつでも待っていますからね……?」
そういったステラさんの表情は、たぶんこの人に全部奪われるような人も出てきそうなくらい魅力的だった。
それからは、ステラさんはぼくを誘惑してくることもなく、普段通りの一日が過ぎていった。今日は本当にドキドキしたけど、随分疲れは取れた。総合的には癒やされた一日だったといっていいんじゃないかな。
でも、なんというか、ステラさんにも怖いところがあるんだな。そう思わされた。




