裏 昂り
ステラがアクアとの対話を目指すためにまず干渉したのは、よく知っているアリシアだった。
カタリナが未だに目覚めていないのならば、カタリナを優先していただろう。
それくらい、ユーリとアクアにとってカタリナの存在は重要だとステラは認識していた。
ただ、カタリナはもうアクアと和解している。ならば、引き込みやすい人間を優先するのが良いだろう。そう判断した。
ステラはアリシアという人間をよく知っていた。幼少期から才能があり、レティというパートナーにも恵まれ、冒険者の頂点の一角になるまで、その物語をそばで見ていた。
それから、ステラはミストの町で教師をすることになるが、その後もアリシアとの関係は続いていた。
ステラは契約者としてうまく行っているアリシアに嫉妬していたこともあった。
だが、アリシアが周囲の人間に恵まれず、徐々に荒れていく姿を見て、考えを改めた。
そのくらいの時期からずっと、アリシアは対等な関係の仲間を求めていた。
だから、ユーリたちをアリシアたちに引き合わせた。それが、お互いにとってよりよい未来を生むと判断したから。
結果として、ステラの思惑と大きく変わらない形でアリシアとユーリの関係は進んでいった。
アリシアがアクアに支配されなければ、ステラが思い描いていた形になっただろうほどに。
だから、アリシアはユーリとの関係を切りたくないはずだ。アリシアにとって、間違いなく待ちわびていた存在なのだから。
そのため、ステラはアリシアの説得はたやすいと考えていた。
そして、アリシアを目覚めさせるために指輪を通してアリシアに働きかけた。
覚醒したアリシアは、急に流れ込んでくる知らない記憶の存在に混乱していた。
だが、知っている最後の記憶から、ある程度の状況を判断した。
つまり、アクアが操作している自分の体の記憶なのだろう。
そこまで考えて、自分の今の状態を理解した。意識はあるのに、体が思い通りに動かせない。
だから、アクアはまだ自分の体を操っているが、自我が目覚めたのだろう。そのように判断した。
(アクア……私を殺すことは選ばなかったのかな。それとも、殺してしまっては私の体を操作できなかった? どちらでも良い。またユーリ君と冒険ができる可能性はまだある。今はそれだけで)
ステラの狙い通り、アリシアはアクアのことを考えるよりも、ユーリと再び対等な相棒として過ごすことを優先していた。
だから、ステラはアクアの感情と自分の計画をアリシアの心に送った。
アリシアはそれを受けて、アクアがどれほど自分たちを好きでいるかを理解した。
それ故に、自分たちが解放される可能性は十分にあるだろうことも。
アクアは本当はこんなことはしたくなくて、未熟な心ゆえに暴走してしまっただけ。
ならば、和解したいという気持ちを伝えることに成功すれば、またユーリと冒険できる。アリシアはそう判断した。
(アクアのことを説得できる道筋は確かにあるはず。ステラの計画は、そう悪いものではない。とはいえ、選択を間違えればよりひどい結果になりかねない。アクアの感情は危うい均衡の上で成り立っている。例えば、私がユーリ君を傷つける可能性をアクアがまた認識してしまったら。結末は容易に想像できる。これからの行動には慎重さが求められるね)
アリシアは流れ込んできたアクアの心から、アリシアが有象無象と認識している存在をアクアが解放することはないと判断した。
アクアはアリシアたち以外にも、多くの人々やモンスターたちを支配している。
だが、それらに対する情は、アクアには一切ない。それらと同じカテゴリーに入ってしまえば、そこで終わりだ。
それ以外にも、アクアはたしかにアリシアたちに情を抱いているが、それゆえに頑なになるという可能性は否定できない。
はっきりと目の前に希望はあるが、それでもか細い糸である可能性は否定できない。
だからこそ、アリシアは性急な判断はできなかった。
(ユーリ君ともう一度冒険したい。今すぐにでも。でも、その考えは危険だ。私がユーリ君を苦しめていると判断したから、アクアは私の体を乗っ取った。ユーリ君を大切にできないならば、また同じ、いや、もっと悪いことになりかねない。
でも、今思えばあの時の行動は軽率だった。ユーリ君を危険にさらしていた。ユーリ君を失いかねなかった。だから、もう同じ過ちは繰り返さない)
アリシアにとって二度と出会えない存在であると思えたから、アリシアのユーリに対する執着は相応に大きい。
もし仮に自分が無茶をしたことが原因でユーリを失っていたならば、自死すらも考えていただろうほどに。
それゆえ、アリシアの反省は本物だった。ユーリという相棒は、それほどにアリシアにとって大きい存在だった。
(ユーリ君のことはレティも大切に想っている。だから、レティも私と似たような判断をするはず。そうなると、残りの人達が問題だな)
レティの感情はアリシアにとっては十分に理解しやすいものだった。それゆえ、レティとアクアの決裂は心配していなかった。
だが、他の人間はそうではない。もし他者が原因でアクアとうまくいかなかったら、その人物をどれほど恨んでも足りないだろう。
それゆえに、ステラの計画がどれほど確かなものかアリシアは知りたかった。
(ステラさんは思慮深い人ではある。だから、無策というわけではないはずだ。だが、ステラさんが乗っ取られた時期からして、ユーリヤさん以降にユーリくんが出会った人を十分に理解できているかは怪しい。どうするつもりなんだい、ステラさん?)
アリシアの想定している道筋はアクアに支配されている側に干渉すること。ステラの計画は、アクアの感情に触れてアクアの心を癒やすこと。
それらの違いから、2人の考える目標への経路は大きく異なっていた。
ただ、アリシアのその考えが、ステラの計画をより確かなものとする一助となった。
おそらく、全員でアクアを許すことができれば、ほぼ確実に望む結末を迎えることができる。
その考えを、ステラはアリシアへと送っていた。すでに目覚めた物たち同士がつながって、これから目覚めるものを説得する材料とする。
その一歩目が、アリシアとステラの繋がりだった。
(なるほどね。どういう順番が正しいのか、私には判断できない。ただ、私達でレティとサーシャさんなら説得できるはず。そこから、どうすればいいだろう。メルセデスさんとメーテルさん、ミーナさんとヴァネアさん、オリヴィエ様とリディさんとイーリスさん。このあたりのお互いに親しい人間をどうするかが鍵となるだろうね)
アリシアの目には、か細い糸のような希望が徐々に大きくなっている姿が映っていた。
ユーリとの未来のため、自分自身の目的のため、アクアと和解する。
その瞬間のために、今から計画を十分に練る必要がある。
だから、知恵者であるサーシャを味方につけたい。大切なパートナーであるレティも味方になってくれるはず。
自分は戦いが最も得意であるし、人との関わりを絶ってきた。
だから、ステラやサーシャのような人の感情を理解している相手が必要だ。そう考えていた。
(ステラさんは次に誰を選ぶだろう。レティであるならば嬉しいけれど。私達のつながりからも、有用性から判断しても、サーシャさんは早い方がいい。とはいえ、私よりもステラさんのほうがうまい手段を考えてくれるだろう。ステラさんから相談されない限り、アクアに伝える思いを考えておくか)
アリシアが深く考えるまでもなく、ユーリにとってアクアの存在が不可欠だということは疑いようがなかった。
アクア水の存在がなければユーリは弱いままだったし、ユーリはアクアに依存すらしているように見える。
アクアの正体がオメガスライムであることは問題ない。
自身の正体を隠す以外に、ユーリの冒険を演出するために手加減していたのだろうから。
アリシアが望むユーリとの冒険は、アクア水を始めとしたアクアの存在が必要なものだし、それ以外の面でもアクアは邪魔にならない。
それに、アリシア自身にだって、アクアを大切に思う気持ちがあるのだ。
これまでに接してきた時間もあったし、今伝わってきたアクアからの想いもあった。
アクアはぶっきらぼうな態度のようでいて、ちゃんと自分たちを守ろうとしていた。
それに、アリシアの夢もレティの夢も大切にしようとしていた。
それらに加えて、ユーリを大切だと思う気持ちは自分と同じであるから、アリシアはアクアとお互いに助け合えると判断していた。
(アクアの望む幸せと私の望む幸せは共存できる。ユーリ君を大切にしてさえいれば、そこに問題はない。私にとってもレティにとってもユーリ君は大事な人なんだから、そこはきっと共感しあえる。アクアは私達が許さないんじゃないかって怯えているけど、大丈夫なんだ)
アリシアとしては、仮にアクアに恨みがあったとしても、ユーリとの冒険を優先するつもりでいた。
だから、アクアと和解することにははっきりと前向きだった。
またユーリと冒険がしたい。ユーリの隣に立っていたい。
その思いを胸に、アクアから解放されるために突き進むつもりになった。
(ユーリ君の相棒としてまた強い敵と戦ってみたい。今度は、ユーリ君の体力や安全にも配慮して。あんな最高の時間は、他の人とでは味わえない。だから、絶対に諦めない。アクア、君だってユーリ君の格好いい姿が見たいだろう?)
アリシアにとって、長年の望みが叶った喜びをもう一度味わいたいという思いが一番大きかった。
ただ、それ以外にも、アクアが自分の体を操作していた時の記憶から思いついた光景が頭から離れなかった。
(ユーリ君が私に奉仕する。今では私より強いとはっきり言えるユーリ君が。私以上の力を持っているにも関わらず、私にユーリくんが尽くしてくれる。考えただけで興奮が収まらない。アクア。君は私に大変なことを教えてしまった。もう後戻りはできないよ。ユーリ君、また会えたら、その時には……)




