第8話 大大阪時代
関西大会、なんとか二回戦を勝ち切った俺たちは、三回戦で岸和田と戦うことになった。
この時代のシニアで一番強いのは、どこか。大阪だ。
西東京? 東東京? 勝負にならなかった。
現代でも高校野球の大阪は年によってそれなりに強いイメージがあると思うが、中学生世代では隔絶のレベルが違う。
大阪は高校球児の最大の産出地だ。
大阪のシニアリーグには九百人の選手がいて、そのうち四百五十人が他府県に進学する。
例えば、とある年の甲子園出場者のうち、大阪出身者は百人を超えていた。
大阪のシニアでの競争に負けた球児は全国に散って、そこで甲子園を目指す。
そんな大阪で覇権を握るチームが、弱いわけがない。
三回戦。ここで勝てばベスト4、つまり全国大会への出場ができる。
どうして地方大会で全国大会の決勝カードみたいな対戦をしなきゃいけないのかと、理不尽さに少し腹が立つ。
だが、戦う相手が岸和田であることは予想していた。だから準備もしてきた。
投手だけでなく、打者の傾向までデータはすべて集めてある。
相手の一番から三番までは三年生で、全員が四割打者。
ホームランも複数本打っている。明らかに重量打線だ。
四番は一年生の岸原。怪物だ。五番の二年生も手強い。
下位打線はそこまでではないが、それでもウチの二番手くらいの実力はある。
投手も強い。シュートとスライダーの変化量が大きく、球速はたぶん百三十キロを超えている。
ただ、リードは分析した限り比較的単調なのが救いかもしれない。
そして、試合は予想通りの乱打戦になった。
五回裏が終わって、九対七でこちらが負けている。
俺の2打席はホームランと、敬遠。
うちのエースはもう限界だ。ここまで百十球以上は投げている。
仕方がない。俺が出るか。
俺がマウンドに上がると、相手のベンチはざわついていた。
登板経験のない一年生の四番が、突然出てくるんだ。驚くのも無理はない。
一番打者からのスタート。
俺は振りかぶり、ツーシームを投げる。球速は百十キロ程度だろうか。
それでも、それなりに正確にミットに収まり、ストライク。
ここで相手がタイムをかけてくる。まあ、見慣れないフォームだからだろう。
アンダースロー。
この世界では去年、阪急の田中が駆使して最多勝のタイトルを獲ったフォームだ。
認知度は高いが、少年野球でこの投げ方をしているのは、おそらく俺しかいない。
前世で肩の痛みを誤魔化すために覚えたこの投法を、俺は今では積極的に使っている。
ツーシームも、当時の日本ではほとんど使う投手はいなかった球種だ。
どちらも、まともな指導者ならまず矯正してくるような投げ方だ。
実際、普段何も言ってこない監督からも一度だけ「投げ方を直したほうがいい」と言われたことがある。
だが、俺は中継ぎしかやらない。裏をかける変態投手でいられるなら、それでいい。
ありがたく、お断りした。
二球目。バットの根元で詰まらせて、ワンアウト。
続く打者も凡打。ツーシームは微妙に不規則に動くので、打たせて取るには向いている。
三人目の打者。際どいコースを振らせた後、初めてシンカーを投げた。
三振。これが決め球だ。
アンダースローは、このシンカーのためにあると言っても過言じゃないと思う。
俺のシンカーは、阪急の田中のようなチェンジアップ系ではなく、メジャーでよく使われるシンキングファストに近い。
三者凡退。上々の結果だ。
六回裏、下位打線の攻撃。一人出塁したが、後続が倒れて追加点ならず。
そして七回表。岸和田の攻撃は、岸原から始まった。
さすがの岸原も、アンダースローには戸惑っているようだった。
バットに当たらない。そして、インハイの球を引っかけてショートゴロ。
今回は俺の勝ちとさせてもらう。
七回裏。俺の第3打席は、予想通りに敬遠された。
そうして、俺の中一の夏は、終わった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ベンチで道具を片付けていると、誰かが肩を叩いてきた。
振り向くと、目の前に岸原が立っていた。
「よぉ。ちゃんと話すのは初めてやな」
思っていた通り、コテコテの関西弁だった。
「お前、高校どこ行くんや?」
軽く尋ねるその口調に、試合の余韻がまだ残っていた。
「まだ決めてない」と答えると、岸原がふっと笑って言った。
「PFから声かけられとるんや。お前もどうや? 一緒に来いよ」
PF学園。近年急激に力を伸ばしてきた新興の宗教系の学校だ。
ここ数年、甲子園をほぼ独占している。
「いや、俺はあそこは無理やわ。厳しすぎる」
自然と口から出た言葉だった。
「そもそも、大阪で競争せんでもええやろ。わざわざ自分を潰しに行く意味がわからん」
岸原が、また笑った。
「かわったやっちゃのー。お前の実力なら、大阪でも一年からレギュラーやれるで」
そう言いながら、今日の試合を思い出すように続けた。
「今日のホームランもそうやけど、あの投球はなんや。意味わからんかったわ。
バットに当てるのが精一杯やった。あんな投げ方する奴、他におらんし、どう対策せえっちゅうねん」
俺も笑った。
「まぁ、シニアではまだ何回か当たるやろ。そのときまでに対策しといてくれ」
すると岸原がポケットから紙切れを出して寄越した。
「これ、うちの電話番号。気が変わったら、いつでも電話してこいや」
どうやら、ずいぶん気に入ってもらえたらしい。
向こうのベンチから「岸原!」と呼ぶ声がかかる。
「ほな、またな」
そう言い残して、岸原は走って戻っていった。
この大会のあいだに、何校かのスカウトから声をかけられていた。
全寮制の高校で、野球漬けの日々。
それ自体には抵抗はない。野球に没頭することは、むしろ歓迎だ。
でも――俺は、自分の長所を矯正されるような環境には行きたくなかった。
型にはめるような指導、頭ごなしの精神論。
そういうものがまだこの時代には、堂々と存在していた。
特にPF学園は、その象徴のような高校だ。
かつて聞いた話がある。
ある新入生が、練習中にトイレの個室に入った。理由はとくにない。ただなんとなく。
だがその直後、上級生に大目玉を食らったという。
その個室は「練習中に水を飲めない部員が、こっそり水分補給するための場所」だったのだ。
そんな環境で、こっそり水を飲まなければならないほど、厳しい精神論に縛られていた。
俺が理想とするのは、そういうやり方じゃない。
科学的なトレーニング。栄養学に基づいた食事。
その上で、甲子園に行ける実力を身につけたい。
いくつか、目星はつけている。
高校選びは、俺の人生の中でもっとも重要な選択だ。
今の知識はシニアでもある程度は通用している。
だが、それを本当に活かせるのは、高校、そしてその先の世界だ。




