第71話 3年目シーズン開幕
日本から自主トレに参加してくれた、ヒョロヒョロな選手たちに筋トレの基礎を叩き込み、あとは実践させている。
今回のために雇ったトレーナーが数人いて、彼らが実際の指導にあたっている。俺は基本的に口を出さず、見ているだけだ。
誤解されがちだが、メジャーリーグにもスピードタイプの選手はいる。そして彼ら向けの筋トレ理論もある。浜田のように俊足を売りにしているタイプでも、野手なら筋トレは必須だ。
問題は投手だ。現代の野球界でも意見が割れている。筋肉量と失点の間には有意な相関がないという論文すら出ている。筋肉の有無は投手の能力に関係ないという主張だ。
……でも、俺はそれにはちょっと懐疑的だ。球速は筋肉で伸びる。少なくともそれは事実だし、ケガの予防にも筋力は役立つ。ただ、投手全員に無理強いするつもりはない。今回は幸か不幸か、投手がいないので議論の必要もない。
目の前では、限界を迎えた選手たちがトレーナーに起こされ、再び地獄のメニューに送り返されている。
俺はそれを眺めながら、優雅にコーラを飲んでいた。
筋トレをしている選手達をテレビクルーが少し引いた目で見ている。
そして、女子アナはずっと俺に近づこうとしていて、その度に先輩が威嚇をしていて近寄れずにいる。
トレーニング場は全体的にカオスで、見ていて飽きない。
選手達が筋トレをしている間、俺は浜田が持ってきてくれた日本の新聞に目を通している。
アメリカにいると、日本の情報がなかなか入ってこない。こういう機会はありがたい。
まずは経済面からチェックする。
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大卒求人倍率 2.86倍 売り手市場続く
労働省が15日に発表した調査によれば、大卒の有効求人倍率は2.86倍と過去最高を記録。企業の採用意欲は依然として高く、学生にとっては空前の売り手市場となっている。
一方で、昨年3月に導入された総量規制の影響もあり、株価や地価の伸びはやや停滞。日経平均株価は3万円前後で推移しており、投資家の間では「一時的な調整の範囲」との見方が広がっている。
大蔵省の幹部は「景気拡大はなお続く」と強気の姿勢を崩さず、内需の堅調さに自信を見せた。
―――
株価は、昨年の最高値からやや下がっているものの、いまだ日本経済は絶好調と見なされている。
国民の多くは、この「平成景気」が永続するものと信じて疑わない。
だが、平成景気――後に「バブル」と呼ばれるそれは、既に崩壊の兆しが見え始めていた。
俺は、今年のオフに得た収入のうち約3分の2を使い、日本の銀行株と不動産株に対してプットオプションを仕込んでいる。
完全な逆張りだ。正直、先輩には猛反対された。
先輩も「日本経済はこれからも伸び続ける」と信じていた。というより、それは日本人全体に共有されている共同幻想に近かった。
俺は複数の経済指標を並べ立て、強引に説得した。最終的には、「空売り」ではなく「プットオプション」であることを条件に、なんとか了解を得た。
空売りは下手をすれば無制限の債務を抱えるが、プットオプションなら、株価が上がっても紙くずになるだけだ。損失が限定されているぶん、精神衛生にもいい。
生活費だけ確保しておけば、来年また稼げばいい。そういう理屈での説得だ。
このあと数年で、日経平均は現在の1/3近くの価値まで落ちることになる。その主な原因は、銀行と不動産業界の株価急落だ。
投じた約8億が数年後には10倍になると見込んでいる。
俺は経済の大波には勝てない。だが、乗ることはできる。
◇◇◇◇◇◇◇◇
新聞を読み込んでいると、不意に左から何かがぶつかってきた。
柔らかい感触。Dカップの女子アナだった。
その腰には、復活した先輩がしがみついている。どうやら、牽制は間に合わなかったらしい。
「宝田です! 庄内選手、この筋力トレーニングは普段からやってらっしゃるんですか?」
毎回名乗ってくれるのはありがたい。俺は人の名前を覚えるのが少しだけ苦手だ。
それを以前どこかのインタビューで言ったのを覚えていてくれているのだろう。気の利いた、本物のファンだ。
「はい。僕は技術の前に、それを支える土台が……」
そこまで答えたところで、宝田アナは先輩と、それに助力する取材クルーに引きはがされ、そのままどこかへ連れていかれていった。
嵐のような出来事だった。
別の記事を読もう。
ーーー
【社説】急騰する選手年俸、球団は耐えられない
年明けまで契約更改がもつれこんでいた中日の落智選手がついにサイン。関係者によれば、来季の年俸は2億円に達するという。
初の「1億円プレーヤー」が誕生してから、まだ5年。最高年俸はこの短期間で倍になった。
背景には、球界全体の年俸の高騰がある。
(中略)
庄内選手は今季2億5000万円の大型契約を結び、さらに広告やイベント収入は推定10億円。
特筆すべきは、その営業手法にある。
彼は選手でありながら、自身の営業組織を持ち、球団を介さず直接契約を結ぶ。
単発のCMではなく、イメージキャラクターとして企業と独占的に契約し、高額な報酬を得ている。
「この仕組みを設計した人物は、並外れた手腕を持っている」
広告業界の関係者は、メディア戦略に通じた専門家の関与を指摘する。
(中略)
ーーー
俺の広告戦略は結構評価が高いらしい。
ただ、先輩に言われるがままサインしてただけなんだけどな。
確かに、CM撮影も契約も、無駄なく進んだ。効率がよかったのは間違いない。
ふと視線を横にやると、先輩が宝田アナに卍固めをかけていた。アントニオ猪木の得意技だ。完璧超人の先輩だが、まさかプロレス技の引き出しまであるとは。
見たことがないような必死な顔をしている。可愛い。
少しの間を一緒に過ごしただけだが、俺はこの女子アナをけっこう気に入っていた。
名前は……たしか宝塚アナだったかな。先輩から見たことのない表情を引き出してくれる。貴重な存在だ。
でも、残念ながら彼女は翌日にはいなくなった。上司からの命令で帰国とのこと。おそらく先輩が裏から手を回したに違いない。スタッフと密談してたし。
後任は、いかにもテレビ局って感じの爽やかイケメン男子アナだった。
「あの女子アナ、結構気に入ってたんだけどな……」
夕食のとき、ぽつりとそう言ったら、先輩はいつもどおりの笑顔で「そうなんだ」と相槌を打っていた。
けれど、翌朝には胸元を強調するようなブラをつけていた。所謂、寄せて上げるブラ。
そして頻繁に腕を組んできた。
女子アナに対抗しているんだろうか。その姿が面白すぎて、真顔を保つのが大変だった。
やっぱり、宝塚アナがいると面白い。
今度出演する予定のバラエティ番組は、彼女の局の制作だ。
番組ディレクターに彼女の起用をリクエストしておいた。きっと、面白いことを起こしてくれるに違いない。
そんなこんなで、シーズンオフは過ぎていった。
今年はプロ3年目――最高の一年にしたい。
分析体制は整い、データは揃っている。言い訳はできない。
去年は打撃三冠、どれも取れなかった。
だから今年の目標は、そのうちのどれか一つを確実に取る。
◇◇◇◇◇◇◇◇
今年は開幕から4番に座る試合が増えてきた。
ようやく主力として認めてもらえたということだろう。
初戦のカードでは2本塁打を放ったが、他の打席はノーヒット。
四球を4つ選んだので打率は.250程度だが、内容としてはかなり偏った成績だ。
この時代、四球はまだ軽視される傾向にある。
もう少し、いろんな球に手を出して打っていく方がいいかもしれない。
今日からはホームでのカード。
相手の先発は、懐かしのリッキー。
彼とは日米大学野球で対戦して以来、UCLA時代のリーグ戦でも何度か顔を合わせた。
彼は今日が初先発になる。
去年は3Aで防御率2.56。K-BB%(奪三振率と与四球率の差)も優秀で、まとまった投手だ。
試合前に挨拶したが、反応はそっけなかった。
俺は彼のこと、大学時代からけっこう好きなんだけどな。
コントロールがよくて、変化球の種類が少ない。狙いが絞りやすいタイプ。
データも豊富に揃ってる。
第一打席。
さて、どう来るか。
マイナー時代の映像を分析した限り、以前あった「初球インハイで威圧」する癖は修正されたようだ。
俺はそれを狙い撃ってヒットにするのが得意だった。
初球は外に外れるフォーク。
何が来ても振らないと決めていたのでボールになったが、そうでなければ振っていたかもしれない。
彼はこの時代のメジャーでは珍しい、フォークを決め球にしてくる投手。積極的に三振を取りに来るタイプだ。
次はどう来る――と思ったらアウトコースのスライダー。これも外れてボール。ツーボール。
さすがにそろそろカウントを取りにくるはず。
次の球は俺の予想どおり、内角高めに来た。
彼が一番自信を持ってる球だ。
芯を外されたが、少し根元寄りで拾えた。
詰まり気味の打球だったが、俺の打ち方ならホームランにできる。
バットフリップは派手すぎずに、怒られない程度に。でもリッキーの目を見てしっかり挑発する。
大学時代はこれだけで彼のメンタルが崩れて、以後の打席が楽になったものだが、無表情で動揺の色なし。
……成長したな、リッキー。
ちょっと嬉しい気持ちで、ゆっくりとダイヤモンドを一周する。
その日、彼からはもう一本ホームランを打った。やっぱ俺、彼のこと好きだわ。もっと仲良くなりたい。
この日の試合で今季4HR。本塁打王レースのトップに躍り出ることができた。




