第69話 用具開発
日米野球、最終戦。ここまでで4勝3敗。すでにシリーズ負け越しは無くなっている。
この試合、アメリカ代表の投手陣は8回までノーヒットピッチを継続していた。
おそらく、これが今日の、そしてシリーズ最後の打席になる。
マウンドには3人目の投手――桑原。打席へ向かいながら、しばし彼の姿を見つめた。高校時代、飛鳥台の最大の天敵だった男だ。感慨がないと言えば嘘になる。これまで日米野球では3打席対戦して、2本塁打を放っている。
さて、締めくくりにもう一本――と考えた、そのときだった。
マウンドに投手コーチが向かっていく。ボールを手にしているので、交代の合図だ。
代わってコールされたのは、野口。登場曲を鳴らしながら、マウンドカーで現れた。
沢村賞投手をワンポイントで使うのは、なんとも贅沢な継投だ。
対戦成績はこれまで1四球1三振。かなりの変則フォームで、球自体は見えていても、タイミングが合わない。特に厄介なのは、読んだところであまり意味をなさない荒れ球傾向と、大きく動くフォーム。目線が乱される。
なんとか粘って打ちやすい球を待とうとしたが――。
見事なフォークに、バットが空を切った。
あの派手なモーションから、ストレートとまったく同じリリースで落としてくる。慣れないうちは打てないな。
これが俺の、日米野球での最後の打席だった。三振。締まらない終わり方だ。
俺の打席だけ桑原を降板させるとか卑怯だぞ。正々堂々と勝負しろ。
試合後に記者がワラワラと集まってくる。
「球界のエースであり、桑原選手から2本のホームラン見事でしたね。彼に何か伝えたい事はありますか?」
「高校時代から彼のストレートは回転が綺麗で、打ちやすくて好きでした。これからも変えないでほしいですね」
記者は俺の的確な回答に感極まったのか、無言になった。
時間が勿体無いので、他の記者の質問に答える。
「庄内選手、今回は主将として米国代表を引っ張られました。キャプテンマークの重みは感じましたか?」
「そうでもないですよ。結構軽い素材なんで」
「…」
そう俺は米国代表のキャプテンだ。といっても別に何もしてないけどな。
キャプテンになると、ユニフォームに「C」のマークが縫い付けられる。これがキャプテンマークだ。非常に軽いメッシュ素材なので、記者が懸念しているような重さが気になるという事はない。
◇◇◇◇◇◇◇◇
シリーズは5勝3敗で終了。
最終戦は、米国代表による継投ノーヒットノーランという形で締めくくられた。最後にメジャーのレベルを示せただろう。
最初、俺は日米野球に出場することにあまり乗り気ではなかった。
だが、日本各地のファンの前で生のプレーを見せることができたのは、良い経験だったと思っている。
視聴率は今年最高だったらしく、全試合が満員。チケットは争奪戦だったと聞く。
プロ野球――日本のトップレベルを肌で感じられたのも、大きな収穫だった。
特に投手陣。どの選手も一芸に秀でていて、アマチュア時代に対戦した投手とは違う独自性があった。
野口のトルネード投法に、メジャーの強打者が振り回されていたのは印象的だった。
得るものは多かった。
ただ、「次も参加したいか」と聞かれると、即答はできない。
オフにこれだけの試合数をこなすのは、調整面でかなりの負担になる。国内移動も想像以上にハードだった。
それでも、参加した日米の選手たちは皆、純粋な思いで集まっていた。
俺を含めて報酬目当ての者は一人もいない。
「野球を広めたい」という情熱がそこにあった。
ただ正直に言えば、こうした情熱にだけ依存する形は、持続性に欠けるようにも感じている。
選手が出たいと思えるだけの仕組み――それが、今後の課題なのだろう。
◇◇◇◇◇◇◇◇
俺はこのオフ、大型のCM案件がいくつか入っている。昨年、地道に実績を積んできた甲斐があったというものだ。
中でも一番大きいのは、大手飲料メーカーのイメージキャラクター案件。これだけで契約金は5億に上る。
酒やソフトドリンクを飲んで「うまい」と一言。それだけの仕事だ。
正直、楽な部類に入る。
他にも中小規模の案件をいくつか抱えていて、全体で今オフの収入は11億円程度になる見込みだ。
保持資産の運用状況も悪くない。主にIT株――CiscoやMicrosoftあたりの成長が著しく、ここ数年は年単位で倍増を続けている。
今年得た収入も、この辺りに再投資するつもりだ。現時点での資産総額は、おおよそ18億円といったところ。
とはいえ、近々アメリカの不動産を一件購入する予定があるし、今年の所得分に関しては連邦税もしっかり払う必要がある。
純増で見れば、もう少し目減りするはずだ。
アメリカへ戻る前に、あと一件だけ片付けておきたい用事がある。
それが済んだら、1月からフロリダで自主トレキャンプを始める予定だ。今回は飛鳥台時代の同期も誘ってある。
「エコノミークラスでよければ何人でも出す」と伝えてある。条件はひとつ――年下限定。年上がいると話しにくいので、そこはNGにしている。
最近、俺はオリックスのファンになった。
阪急ブレーブスの球団売却には多少思うところもあったが、今は純粋に応援している。
推し球団の若手選手たちと会えるのが楽しみだ。
今日は最後の用事を済ませるため、スポーツメーカーの東京支社に来ている。
このメーカーとは提携していて、昨年夏から俺の名前を冠した子ども向け・エントリーモデルの野球用具が販売されている。売れ行きはかなり良いようで、一部のサイズは既に在庫切れになっている。メーカー側はアメリカ市場への展開も視野に入れているようだ。
ちなみに、同じ庄内モデルという名でサッカー用具も展開されている。こちらもそこそこ売れているという。
俺は万能な男。やろうと思えばサッカーだってできる。
高校時代、体育の授業でサッカー部のエースに1on1で勝ったこともあるし、トウキックでフェンスの外までボールを飛ばしたこともある。
オフサイド? ドグソ? ノグソ?そういう細かいルールはよく分からないが、きっと覚えれば即プロデビューできるだろう。
さて、今日ここに来たのは、そうした量産モデルの話ではない。あれは名前を貸しているだけで、製品の仕様には基本的に口を出さない。
量産品に求められるのはプロの知見よりも、一般ユーザーのニーズに応えること。その点においては、メーカーの方がはるかに上手だ。餅は餅屋に任せるのが筋というものだろう。
今日の目的は、俺自身が使う用具の開発に関する最終確認だ。
正直、この時代の野球用具にはまだ違和感がある。たとえば靴──この時代のものは片足で500g近くある。鉄製のスパイクだから仕方ないのかもしれないが、俺にとってはあまりに重すぎる。
俺の理想は、野球用で片足250g。サッカー用なら180gを切るレベルだ。
この条件を最初に提示したとき、開発担当者は冗談だと思ったらしい。ただ、俺の真顔を見て、それが本気だと悟ったようだった。
「3試合で壊れても構わない。まずは軽いものを」と伝えた。
そもそも野球用具の軽量化が進んだ背景には、サッカー分野で開発された超軽量技術の応用がある。
この技術を試験的に野球スパイクへ転用してみたところ、現場からは「走塁や守備が明らかに向上した」とのフィードバックが寄せられた。
前世の歴史では、サッカーが先行し、野球はその後を追った格好だ。
ただ、前後関係を逆転させても問題はないだろう。
とはいえ、野球のスパイクがサッカーほど軽くならない理由もある。
野球は土のグラウンドでプレーするため、樹脂スパイクだと滑るし、ストップ&ゴーが多いため頑丈なソールが求められる。それでも、500gはやはり行きすぎだろう。
今回、試作品の評価を行うために訪問した。
この夏、アメリカに送ってもらった試作品は軽さこそ理想に近かったが、土を掴む感覚に明確な不満があった。
スパイクの歯にチタンを使ったのが原因だろう。技術が未成熟で、十分に鋭く仕上がっていなかった。
担当者が差し出してきた靴を受け取る。
「今回のモデルは片足340g。スパイクはステンレスに戻していますが、アッパーにより薄いカンガルー革を使い、前回と同じ重量に抑えています」
試走してみると、確かに現行モデルよりも地面の噛み付きが良い。
「これでいきましょう。今シーズンはこれを使います」
耐久性は10試合程度とのことだが、それで十分だ。
スパイクの接合部の強度をチェックしていると、開発担当者が少し申し訳なさそうに口を開いた。
「栃木の工場で、先行量産ラインを確保していたんですが……サッカー部門に取られてしまって」
どうやら、量産を予定していたラインが社内政治で奪われたらしい。
確かに、サッカーは走り回るスポーツだ。靴は軽ければ軽いほど良いだろう。ニーズは大きい。
一方、野球界では「頑丈さ=正義」と考える選手が多い。野球用具を“武器”でなく“防具”として捉えているわけだ。この意識を変えるには時間がかかるし、すぐには売れないと思う。
おそらくは損益分析の結果を受け、上層部が判断を下したのだろう。まぁ、俺の分さえ確保してくれるなら問題ない。
ちなみに、サッカー用の軽量モデルも契約通り「庄内モデル」として販売される予定だ。
まずは欧州の用具展示会でプロモーションを行い、提供契約を結んでいる選手に供給されるという。
名前の使用については何の異論もない。ただ、ヨーロッパの一流選手たちにとって「庄内」と言われても誰だよって話にならないだろうか。
報酬さえきちんと出るなら、それでいいけど。




