第46話 パソコン通信
先週末は慶應大学戦が行われた。
予想通りというべきか、2戦2敗。完敗だった。
いくら俺でも、たった数週間でチームの打線を強くすることはできない。
残念ながら、両試合とも慶應の強力打線に打ち負けてしまった。
ただ、投手の癖や弱点について考える力はついてきたのではないだろうか。その証拠にフォアボールが増えて、そこから得点につながることが増えてきた。
野球の方は色々な施策を試しているが効果はまだ出ていない。もう既に改善すべき事はチームメイト達に伝えてあるので、今はそれが実践されるのを待っている。
今の俺の関心は――新しく手に入れたUNIXマシンに向いていた。
ちょうどこの時代、日本ではインターネットの“前夜”とも言えるような動きが始まっていた。
電電公社が民営化され、電話回線を電話以外の用途にも使えるようになった。
これにより、「パソコン通信」というまったく新しい文化が生まれたのだ。
とはいえ、それは現代のインターネットとは似ても似つかない。
あくまで1対1の通信。
ユーザーは、NECやASCIIなど特定のプロバイダーと契約し、そのホストコンピュータにダイヤルアップで接続する。
そして、同じプロバイダと契約しているユーザーで完結した通信であれば、電子メールや掲示板といった機能が利用できた。
他のプロバイダーのユーザーと交流することはできない。
閉じたネットワーク。だが当時としては、それでも革命的だった。
NECが提供する「PC-VAN」というサービスを始めたと知った俺は、教授に頼み込んで研究室にモデムを導入してもらった。
当時のパソコンにはRS-232Cというシリアル通信端子が備わっており、そこに専用モデムを接続して通信する仕組みだった。
コマンドラインからシリアル通信アプリを呼び出し接続を試みる。
最初は文字化けの嵐だったが、説明書を片手にビットレートの設定を調整すると、ようやくそれらしい画面が現れた。
=== PC-VAN ===
1.電子メール2. 索引
2.ニュース4. データベース
…
Q. 終了
すべてがテキスト。
マウスもGUIもない。
たとえば電子メールを見たいときは「1」と打ち込むだけ。
俺はさっそく野球カテゴリの掲示板にアクセスした。
ハンドルネームは……そのまま「庄内毅」。
なりすましだと笑われたが、このころネットは穏やかで、茶化されつつも楽しく交流できた。
どんなニッチな趣味でも語る相手がおり、なんと不人気球団である阪急について語る掲示板まであった。
とはいえ、人気のある巨人などの球団と比べて書き込み数は非常に少ない。
俺はせっかくなので、この掲示板を見つけた記念に適当な事を書き込んでおいた。
「今年のドラ一の浜田は水虫で足が臭い。しかも貸りた500円を全然返さない」っと。
浜田は飛鳥台時代の同級生で、今年プロ入りしたばかりの高卒ルーキーだ。
高卒ながら既に一軍帯同しており、代打中心ながらそこそこ結果を出している。
――のちにこのハンドルネーム「庄内毅」が本物であることが広まった時に、この書き込みが発掘され、浜田の足の臭さは業界中の注目を集めることになる。
俺が教授に頼んで設置したモデムは、研究室の先輩たちにも大ウケだった。
理系というのは、たいていオタク気質を持っている。
特に俺の斜め後ろの席の先輩は、研究そっちのけで朝から晩まで掲示板に貼り付き、ひたすらアニメの考察を書き連ねていた。
「3話のカミーユの心理描写はシリーズ屈指だろ」とか、「理解できない奴にZを語る資格はない」みたいな感じで、真剣そのもの。
何の話をしているのかは良くわからないが、熱くなる気持ちはよく分かる。
ネットには、どんなにニッチな趣味でも共感してくれる相手がいる。
初めてそれを知った人間が夢中になるのは当然だ。
「すみません、自分も少し回線使いたいんですけど……」
そう声をかけたかったが、顔を紅潮させてレスバトルに励む先輩の姿に、結局何も言えなかった。
そして彼がようやく回線を手放したのは、月末。
莫大な電話代の請求書に驚いた教授付きの秘書が研究室に怒鳴り込んできた時だった。
後日、教授に用があって教官室を訪れた際、教授のデスクの上にも同じ型のモデムが置かれているのをみた。――だが俺はそれを見なかったことにした。
面白いよね、パソコン通信。
昭和の終わり、日本のネット文化はまだ「個人の遊び場」だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
俺はパソコン通信のコミュニティをひとつ立ち上げて、そのBBS機能を使ってブログを書き始めた。
やっぱりこの時代のファンサービスといえばブログだろう。
テキストだけでも、ファンに直接、言葉で想いを届けられる時代が到来したのだから。
日本最初の野球選手ブログの座は俺が頂くぜ。
ちなみにこの「コミュニティ開設」、書面で申請するだけじゃダメで、運営との面談が必要だった。
その面談でプロバイダの社員が「庄内毅」というハンドルネームのユーザーが本物の庄内毅だと気づいて、めちゃくちゃ驚いていたのが記憶に残っている。
今は先週書いたブログについたコメントを読んでいる。反応が直接感じられるのは凄く嬉しい。
⸻
庄内毅のデータと汗の野球日記
★タイトル:慶大戦の感想(コメント数:6)
★投稿者: 庄内毅
★本文:
東大-慶大戦は残念ながら二連敗という結果になってしまいました。
相手の宮内投手のスライダー、凄かったですね。
完全に押さえ込まれてしまいました。日々精進です。
今週末は法政大学戦です。ぜひ、神宮球場に応援に来てください(^ ^)
コメント1:
いつまで成りすましやってんだよ。
つーか、運営は何でこんなSIG認可した。さっさと消せや
コメント2:
完全に押さえ込まれてしまいました
(2試合 8打数5安打3打点 2HR)
コメント3:
(^ ^) ← これかわいい
コメント4:
このコミュ恐怖を覚えるんだけど…。
このなりきり日記は何が目的なんだ
⸻
続けているうちに最近はこうして、俺の日記にも少しずつコメントがつくようになってきた。
俺はニヤニヤしながら、ファンがくれたコメントひとつひとつに目を通していた。
そのとき――
ドアが開いた音と共に、研究室内がざわついた。
「庄内くん!」
振り返ると、広瀬先輩がいた。今日も相変わらずかわいい。
……ただ、少しお怒りのご様子。
「いくらなんでも駒場にいなさすぎじゃない?ずっと昼休みに探してたんだけど!」
……あっ。
そういえば前、一緒に先輩とその友達と学食でごはんを食べた時――
「来週またここでランチして、テニスの試合の感想を聞かせてね」って約束してたんだった。
でも俺、その後ずっとパソコン通信とバイトに夢中になってて、もう2週間くらい駒場キャンパスに行ってなかった気がする。
どうやら痺れを切らした先輩は、わざわざ本郷キャンパスまで俺を探しに来てくれたらしい。
…まずい。
俺はあわてて、先輩のテニス姿がいかにかっこよかったかを語りまくり、
週末の法政大学相手の試合にぜひ招待したいと伝え、さらにはお詫びとしてランチを奢ることまで約束した。
どの懐柔策が効いたのかは分からないが、
最後には、いつもの笑顔で「約束だからね!」とだけ言って、広瀬先輩は帰っていった。
先輩が部屋から出て行った直後――
「あいつの彼女、めちゃくちゃ可愛いな」
誰かのつぶやきが研究室に響いた。
周囲の注目が一気に俺に集まる。
か、彼女じゃないからな! まだ!




