第35話 天王山
昨日のPFは、なぜか18時半から試合を始めたらしい。過去最も遅い試合開始時間だったそうだ。
その上、寒さのせいで両チームの打線が沈黙し、試合は延長戦にまでもつれ込んだ。
結局、PFが劇的な勝利を収めたのは、21時を過ぎてからだったという。
……21時を過ぎても高校野球って続けるんだな。
高野連は何を考えているんだろう。選手の健康を本気で考えるなら、21時を越えた時点で試合を打ち切って、翌日に1回から再試合にすべきだ。
結局、選手のインタビューは時間が時間なのでスキップされて、現場の状況はよく分からなかった。
ただ、勝利監督の談話によると、かなりの消耗戦だったらしい。
テレビ中継を見てても、俺たちと違って全然防寒対策をしていなかった。
まぁ、本来なら1番気温の高い時間に試合をする予定だったんだから、仕方ないか。
それにしても、読んだ記事にあった「試合後の岸原の唇が死人のように青ざめていた」って一文には、ちょっと笑ってしまった。
誰だよ、そんな過酷な試合を強行させたのは。
高野連が悪いよー。高野連がー。
そんなことを考えながら、新聞をめくる。
やはり高校生が21時を過ぎてまで試合をするのは、高野連にとっても想定外だったようで、「再発防止に努める」なんてコメントが出ていた。
昨日の試合に関して、もっとウチが叩かれるかと思ったけど、意外とそうでもなかった。
「手加減するほうが失礼」という謎の文化に助けられてる感はある。
実際のところ、明らかに格下の相手に全力で打ちまくるのは、疲れるだけで得がない。
だから、どの強豪校も暗黙の了解で、適当なところで攻撃を切り上げる空気がある。
あんな弱い高校を選抜に出した高野連が悪い、という論調も、まぁ分からなくはない。
紙面でもその意見が多い。「県大会ベスト4を無理やりねじ込んだ結果、こうなった」っていうやつ。
こういう批判を常に受けるせいで、春の甲子園は少し格が落ちるって言われるんだろうな。
でも、強い高校ばかりを出すなら、「選抜」って名目の意味がなくなる。
「強さだけではなくて努力した高校が見たい」って気持ちがあってもいいはずだ。
さて、そんな昨日の試合で、浜田の評価が爆上がりしてるらしい。
相手が弱かったとはいえ、4本塁打は素直に凄い。
でもな、俺が必死に四球を狙って時間稼ぎした後で、初球をホームランにしながらホームベースを踏んでニヤニヤしてたお前の顔、忘れてねぇぞ。
この前、浜田と監督と阪急のスカウトが密談してるのを見かけた。
……阪急行くのか? 行くなら、西宮球場で思いっきりヤジ飛ばしてやる。
あそこは、俺にとってもホームみたいな場所なんだよ。
このままいくと、準決勝でPFと当たる。
俺たちが紫紺の優勝旗を奈良に持って帰るためには、そこが最大の山場になるだろう。
もちろん、まずは2回戦、3回戦をきっちり勝ち上がらなきゃ話にならないけど。
テレビをつければ、どのチャンネルも浜田のリプレイばかり流してる。
拗ねた俺は、そっとリモコンを置いて、机に向かう。
――PFの研究に戻る時間だ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
春の選抜準決勝。
その日の甲子園は、外から眺めただけで、いつもと違う空気を纏っていた。
阪神の甲子園駅からは長蛇の列が伸び、バスはロータリーで渋滞しながら、次々と観客を吐き出していく。
スピーカーからは「満員御礼」のアナウンスが響いていた。
関西の強豪が出る時は、いつも盛り上がる。けれど今日は、それにしても熱気が違った。
スタンドの雰囲気がピリついている。全員が「何かが起こる」と分かっている顔をしている。
岸原が、前の試合を体調不良でベンチを外れていたが、今日は試合前のシートノックに姿を見せていた。
春の甲子園は、寒暖差が激しい。昼間は陽気でも、夕方になると急激に冷える。
体調管理もまた、勝ち残るための能力だ。
プロ確実の天才打者とはいえ、体調管理ができていないようではまだまだだぞ。
ベンチ前で受け取ったメンバー交換表に目を通すと、相手はセカンドとショートが一年の控えに入れ替わっていた。
前の試合でも出場していなかったが、どうやら風邪をこじらせたらしい。
それ以外の布陣は、見慣れたスタメンのままだ。
まぁ、寒さはエリア全体にダメージを与えるようなもの――AoE。全員がやられるわけにはいかない。
そして、今日の先発は桑原。
ウチはこの準決勝を、選抜の天王山と位置づけている。相手も、そう考えているようだ。
俺たちの打線は、ピッチャーの弱点を突くのが極端にうまい。
変化球のフォームの微差も見逃さないし、配球のパターン化には容赦ない。
いわば究極の「格下キラー」だ。だからこそ、甲子園常連の安定感がある。
だが、桑原はその理屈が通じない。
150キロの直球は、近年インフレ傾向にある甲子園でもトップクラス。
変化球のキレも、高校生とは思えない。
けれど、それ以上に厄介なのは――「読めないこと」だ。
彼のフォームは洗練されていて、変化球の球種がまったく分からない。
秋の大会で、俺が二塁ベースに立っていたとき、やたらとこちらをチラチラ見ていた。
サイン盗みを警戒されていたのかもしれない。
サイン盗み――それは、キャッチャーのサインや構えを見て、打者に伝える行為だ。
2017年のメジャーリーグ、アストロズはそれで有名になった。
ゴミ箱を叩いてサインを知らせ、驚異的な高打率を記録した。
彼らはワールドチャンピオンになったが、後に不正が発覚して報復死球を山ほど食らった。
……まぁ、俺たちはやっていない。
だが、二塁ランナーというのは、最もサインを盗みやすいポジションでもある。
もし塁上で踊っていれば、「伝えている」と思われても仕方がない。
実際、やっていなくても微かな動きを見咎められて、相手がキレてくることもある。俺たちは明らかに打ちすぎてるからな。
そんなことを考えながら、ブルペンで投げる桑原の姿を見る。
体調は悪そうに見えない。でも、あいつポーカーフェイスだからな。
◇◇◇◇◇◇◇◇
試合が始まった。
1回裏、1番と2番があっさりと凡退してベンチに戻ってくる。
ネクストサークルで準備しながら声をかけると、返ってきたのは――
「データ通りじゃない。予想と全然違うところにボールが来る」
……これランダムで来てるな。
彼らの前の試合では、明らかな傾向があった。
だが、今日の配球は完全にランダムにしているようだ。
安定感はなくなるが、「読まれる」よりはマシ、という判断か。
問題は、そういうランダムな配球は、どうしても甘いコースにも来ることだ。
俺の打席、どうやら勝負をしてくれるらしい。浜田が後ろにいるおかげで勝負してくれることが増えた。
外角高め――外からストライクゾーンに滑り込んでくるスライダー。
それを――振り抜く。ランダムの弊害なのか、普通なら投げない甘い球だ。
完璧に捉えたボールはレフトスタンドへ吸い込まれていった。
ベースを一周しながら考える。
桑原の変化球は本当に厄介だ。
ウチの他の打者たちは、ゾーンを決めてバットを振るタイプが多い。
この投手を相手に、対応できるとは思えない。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ベンチに戻ると、すぐにノートを開いて配球を再確認。
投げられた球のコース、球種、打者の対応――
簡易的な統計を取りながら、傾向を見出そうとするが、データの「特徴量」の精度が極端に悪い。
相関がない。
完全に、ランダムだと割り切っていい。
秋の大会で打ちまくったから、徹底的に対策されたか。
浜田が天性のセンスでヒットを放ったが、後続は続かず。
スコアは、0-1。




