第23話 春のワクワク花火大会
冬休みはPF学園の岸原と久しぶりに会ったり、シニア時代の関係者に挨拶回りしたりして、あっという間に過ぎていった。
ただ、こんな風に野球を忘れて過ごすのも悪くないな、と思った。
岸原はもう、まともに街を歩けないらしい。
待ち合わせの喫茶店に、マスクとニット帽で銀行強盗みたいな格好で現れたときは、さすがに笑ってしまった。
俺はと言えば、まったく顔が売れていない。梅田を歩いても、誰からも声はかからない。
さすがに地元の塚口ではたまに声をかけられたり、買い物でおまけをつけてもらったりはするけど。
岸原との差を痛感する。
春に活躍して、俺もいずれは変装なしで街を歩けないくらいの存在になってみたいものだ。
クラスの女子たちも、それくらい有名になればきっとチヤホヤしてくれるに違いない。
帰省から寮に戻ると、俺以外の部員はすでに全員戻っていた。筋トレ室は満員御礼だ。
今度の春の大会で良い成績を出したら理事長に筋トレ室の拡張をお願いしておこう。
これ以上、数学オタクたちにコンピュータを買い与えても仕方がない。
荷物を置いて、数学研究会の部室へ。
さすがに冬休みなので、一台は空いていた。……というか、長期休暇中に二台埋まってるのは逆におかしいと思うけど。
コンピュータを操作して用意してもらった対戦校のデータをチェックしていく。
選抜に向けた準備は、概ね整っている。
筋トレと打撃中心の練習で、打撃力が急激に伸びて、夏とはまったく別のチームに仕上がってきた。
特に打撃特化三人衆のバッティングは圧巻だ。
スイングスピードだけなら、岸原を超えてるんじゃないかと思う。
150キロのスイングスピードが4人並ぶ打線なんて、全国を見渡しても他にはない。
スイングスピードがそこまで重視されていない今の時代、プロ球団でもここまでの上位打線の厚みはないかもしれない。
相手チームの分析も順調だ。
センバツ出場が決まってから時間があったおかげで、かなり丁寧にできている。
一応、出場校の正式発表は1月末。
この時代は、高野連から校長に直接電話で連絡が来る。
とはいえ、センバツの基準は地方ごとにほぼ明らかだ。
発表されてから準備しても遅い。
当落線上の学校も含めて、すでに分析済みだ。
秋から数学研究会の部員たちを、アルバイト代なしで分析係として雇っている。
給料は都合により渡すことはできない。ただ、次年度の数学研究会の予算がなぜか増える見込みになっているらしい。不思議だ。
顧問に全国から取り寄せてもらったVHSを彼らに渡すと、データ化してコンピュータで閲覧できるようになる。
本当にありがたい。
おかげで、俺はほとんど手を動かさずに分析に集中できる。
分析方法についても、数学研究会の面々に教えている。
俺が卒業した後も、この体制はきっと残るだろう。
持続可能な仕組みを作り上げたつもりだ。
……顧問の家族サービスが犠牲になることを除いては。
プロ野球でデータ分析が脚光を浴びるのは、7年後にヤクルトのID野球が始まってからだと俺は思っている。
だが、残念ながら監督が変わったら、その路線は継承されなかった。
データ分析が、個人の特技にとどまっていたからだ。
データ分析は誰でも扱えるシステムにして、チームに定着させることが重要だと思う。
だからこの体制を作り上げた。俺が全部やってたら遊ぶ時間がなくなるって理由もあるけど。
出場決定の日。全員がミーティング室に集められる。狭い。
しばらく雑談しながら待っていると、校長がドアを開けて入ってきて、出場が決まったことを告げた。
分かっていたとはいえ、やっぱり嬉しい。今日はこの喜びを分かち合おう。
校舎には、センバツ出場決定の垂れ幕がその日のうちにかけられる。
当然、即席で準備できるわけもなく、あらかじめ用意していたに違いない。
その茶番じみた演出に少し笑ってしまったけど、高校野球は興行でもあるのだ。
意外と知られていないが、高野連は出場校の旅費や宿泊費を全額負担している。
俺たちみたいな近場の学校にはあまり恩恵はないけれど、全国津々浦々、誰もが野球に挑める環境を整えるための制度だ。
だから、盛り上げるための“演出”も必要だと俺は思っている。
旅費や宿泊費が出るのに、甲子園出場が決まると、高校がOBに対して寄付金を求め始めるのはなぜかと不思議に思われることもある。
それは応援団や吹奏楽部の遠征費は各校の自己負担だから。
西宮や尼崎の高校に頼むと、応援団や吹奏楽部を派遣してくれたりもする。
そして――春の甲子園が始まった。
3月までは対外試合禁止なのに、センバツは3月中旬から始まる。
これ、絶対おかしいだろ。
そのせいで特に野手の仕上がりが間に合わず、投手戦になる傾向がある。
◇◇◇◇◇◇◇◇
初戦の相手は秋田の公立校になった。
実を言うと、この高校が上がってくるのは少し予想外だった。東北地区は3枠しかない。相手校はベスト4に残っていたものの、準優勝校に3回戦でコールド負けしている。普通なら選ばれないだろうと思っていた。
ただ、この高校は偏差値が高めの公立で部員数も少ない。そのあたりが評価されたのだろう。いわゆる「21世紀枠」的な扱いだ。
批判の多い制度ではあるけど、導入以前からこういう選び方はされていた。むしろ導入されてからは、それが制度として明文化されたぶん、わかりやすくなったとも言える。
もちろん、俺は21世紀枠に全面的に賛成してるわけじゃない。でも、金をかけた私立が勝つだけの野球ってのも、観客からすればつまらないってのは分かる。高校野球が興行である以上、こういう枠も必要なんだろう。
新聞の前評判では、うちはわずかに有利と書かれていた。とはいえ、論評は相手贔屓で「飛鳥台が相手だからチャンスはある」みたいな論調に、ちょっとイラッとしたのは事実だ。
ウチのチームは1~4番まで主力打者を並べている。盗塁が得意な俺が言うのもなんだけど、足で引っかき回す戦術は、弱い相手には無双できても、安定した勝利には結びつかないと思うんだよな。
1回表、大迫先輩の豪快な一発が試合のゴングになった。
続いて浜田がセンター前ヒット。
そして俺の登場。
鳴り響くジャクソン5の「I Want You Back」。そういや、登場曲を頼んでたっけ。
テンポは原曲よりもかなり速い。勢いがあって悪くない。
うちは学校が近く、バスで吹奏楽部を大量輸送できるから、甲子園のアルプスもフル演奏体制だ。
一方、相手の応援を見ると、制服からして応援は尼崎高校。どうやら吹奏楽部の派遣はできなかったらしい。
尼崎高校といえば、公立ながら吹奏楽の強豪校で有名だ。甲子園で演奏したい中学生が集まってくるほどで、技術レベルも高い。甲子園の試合で応援演奏を任されることがあるのも納得だ。
甲子園でオリジナルの応援曲を演奏できるというのは、ある程度の強豪校であることの証明でもある。借り物の吹奏楽部にそんな事は頼めないし、出場するか分からない野球部のために多様な曲を練習するほど吹奏楽部も暇ではない。
高校野球を観る時、吹奏楽部に注目すれば、実はその学校の“格”が見えてくる。だからこそ、どの学校も無理してでも自前で吹奏楽部を連れてくる。もちろん、沖縄や北海道、あるいは関西の学校を評価するのにこの基準をそのまま当てはめるのは無理があるけどな。
相手ピッチャーは、まさに地方公立校のエースって感じだ。
まとまった投手ではあるけど、甲子園レベルかというと正直微妙。肌は関西の選手よりも白く、冬の間は屋外練習ができなかったのだろう。
一球目はワンバウンドの変化球。浜田が一塁で動いている。投手も気にしてるが、俺にとっても視界の隅で動かれるのは少し邪魔だった。
二球目は高めのボールゾーンに来た甘いストレート。配球が単純すぎる。これは「修正」と呼ばれるワンバンを投げた後によく見られるリードだ。予測してたのでこれなら打てる。
思い切り引っ張って振り抜くと、打球はレフトスタンド下段へ。初回で3-0。
次は3回の第二打席。試合はすでに6-0と壊れかけている。
なんとなく勝負を避けられてる気がした。でも、敬遠ってちゃんとやらないと意味ない。捕手も立ってないし。
ボール2つ分外れたゆるいストレートを打ちにいく。左中間を抜けるかと思ったが、レフトにダイビングキャッチされてアウト。
バットのスイートスポット(ボールがよく飛ぶ範囲)から少し外れてしまったのか飛距離が足りなかった。敬遠気味の球を打ってアウトになるのは、ちょっと恥ずかしい。
その後も打線は止まらず7-0。
甲子園にはコールドがないから、あまり点差を広げても意味が薄い。打者陣に対する省エネの指示が出た。打ちすぎると打撃の感覚が狂うし、疲れるので仕方がない指示だ。だがその直後に先発の坂田先輩が燃え出した。
10-5まで追い上げられ、監督の省エネ指示は撤回。
こっちは打撃スイッチ再点火。疲れた相手エースを打ち崩しにかかる。
第4打席、満塁で俺に回ってきた。
勝負してくれるか?満塁でも敬遠した方がいい場面はある。そして、この場面ではそれを選ぶのもアリだと思う。
けど、それをすると世論がうるさいんだよな。
個人的に敬遠という判断に対して、必要以上に第三者が非難してバッテリーを萎縮させるのは良くないと思う。
どうやら勝負してくれるようだった。
初球は高めのスライダー。ナイスボール。手が出なかった。
次のフォークを引っ張ると、打球はレフト方向に放物線を描いて飛んでいく。今日、引っ張りしかしていない気がするな。
バットを置いて、ゆっくりとベースランニング。
ホームベースでは3人のランナーがハイタッチで出迎えてくれた。
7回裏、マウンドには俺が立った。
今日は本当は坂田先輩が投げきる予定だったけどなぁ。
坂田先輩の晩飯のおかずを一品強奪する事で許してやることにする。
スコアは17-5。もう何点取られてもいい状況。
力を抜いたピッチングで、省エネピッチングをする。真剣に投げてデータを次の対戦相手に渡したくない気持ちもある。
相手は明らかに手を抜いている俺の投球に、怒り心頭の様子だ。力んでいる。
内角球を打ち上げさせてキャッチャーフライ。初見のアンダースローってのは、そう簡単に対応できるもんじゃない。
結果的に1本だけソロを浴びたが、3イニング無難に抑えた。
打撃成績:6打席 2安打(2本塁打)2四球 / 打率.500 OPS 2.67
投球成績:3回1失点 / 防御率 3.00
相手ピッチャーがかなり酷かったとはいえ、大活躍できたと思う。
後半はまともに勝負もされなかったし、飛鳥台の打線を世間に見せつけるには十分だっただろう。




