第22話 帰省
冬休み、俺は空路で函館に降り立った。
青森にある母の実家に帰るためだ。母は親戚からの電話攻撃に根負けして、年末年始の帰省を約束してしまったらしい。
俺も来年以降はもっと忙しくなるだろうし、こうやって帰省できるのはこれが最後かもしれない。と思っていく事にした。
「青森に行くのになんで函館?」と思う人もいるだろう。
だが、この時代の青森空港は、冬になるとほぼ機能していなかった。
八甲田山の麓、ガチの豪雪地帯に建ってるからな。冬季は封鎖されるか、まともに運航できない空港だった。
そのため冬場は、函館空港を経由して連絡船で青森へ渡るのが王道ルートだった。
ちなみに新青森空港の建設が進んでいて、あと数年で開港するらしい。
母にもらった靴用のスパイクを付けていたので、雪道でも歩きやすかった。
雪が深い函館駅から、青森行きの船に乗り込む。
そして、これがまた驚きの構造なんだが――この船は、列車ごとそのまま船に乗せることができる。
この時代ではもう旅客車両の輸送は廃止されてしまっているが、それでもなお、多くの貨車が巨大なハッチから船内に積み込まれている。まるで、鉄道がそのまま海を渡っていくような光景だ。
船の煙突にはド派手なJNRのマーク――日本国有鉄道(Japanese National Railways)のマークが誇らしげに刻まれている。
青函連絡船、八甲田丸。この船は昭和の象徴のひとつで、数えきれない旅人とドラマを乗せて海を渡ってきた。
だが、その歴史ももうすぐ終わる。青函トンネルの開通が数年後に迫っている。
物悲しい汽笛が、昭和という時代の終焉を告げているように聞こえた。
俺たちは二等席に座った。母は隣に座ったおばちゃんと何やら談笑している。
…いや、談笑っていうか、一方的におばちゃんが喋ってるような気もする。
「วันนี้อากาศดีจังเลย ช่วงนี้น้ำมันแพงจัง ลำบากจริงๆ」
「えぇ。そうですね。急に上がって困りますよねー」
…待て。今の、日本語か?
おばちゃんがトイレに行った隙に、母に何を言ってたのか聞いてみた。
「私もちょっとしかわからないのよ。あの人が喋ってるのは津軽弁。私は南部弁しか話せないの」
青森県って、津軽と南部で文化も言葉も全然違うらしい。陸続きで地形的な障壁もないのに県内で言葉が全く違うってどういう事だろうか。
さっきの人は「灯油が高くて困る」的なことを言ってたらしいけど、俺には完全に外国語だった。
気を取り直して、二等席の共用テーブルに置いてあったスポーツ新聞を読むことにした。
見出しは「ミスターシービー、有馬記念回避へ」。
…うーん、馬の話題はあんまりわからないけど、三冠を取った名馬らしい。
その下に、高校野球の春のセンバツ特集。
プロ野球も終わって暇な時期だから、こんな時期でももう特集されてる。
特集の中には飛鳥台の名前もあった。
どうやら「有力候補」の一つとして紹介されているらしい。
ただし、5段階の評価は――打撃4、投手2、守備2 だと。
…これ、有力か?思いっきりディスられてる気もするが。
まぁ、当たってるけどな。投手力と守備は正直まだまだ。
でも春には全部ぶっ壊すくらいの打線を見せてやるつもりだ。
俺個人についても触れてくれている。
「一年ながら打撃センスは全国トップクラス」
――お褒めに預かり光栄だ。打撃なら岸原にも負けてない自信があるし、パワーも追いついてきた。
また、投手としての評価もされているみたいだ。
遅い球速にも関わらず、チーム一の防御率を持っている事について様々な観点から分析されていた。
「庄内のストレートは加速している」「マグヌス効果」とか書かれている。
……いや、何言ってんのかわかんねえ。
でも一回だけ披露したオーバースローの球速には相当驚かれたらしく、
「春にはエースを務めるかもしれない」なんて書かれていた。
…やらねえけどな。俺は打って走って、たまに投げるだけだ。
エースは、他に任せたい。
◇◇◇◇◇◇◇◇
青函連絡船のデッキから見る青森の街は、思っていたよりも小ぢんまりとして見えた。
ただ一つ、目立っていたのは港に並ぶ大量の石油タンク。どれもでかくて、近未来の基地みたいな景色だった。
母に聞くと、青森は北海道への石油輸送の拠点になっているらしくて、そのためにあんなタンクがずらっと並んでるんだとか。
…なるほどな。こういうところにインフラってやつが見える。
しばらくデッキで景色を眺めていたら、アナウンスが流れて「到着するので降船ロビーに集まれ」とのこと。
船は青森に着き、多くの乗客が降りて行く。貨物が船から牽引されて線路を走っていった。
まるで駅が海にあるような不思議な感覚だった。
駅の構内に入ると、母が国鉄の窓口で切符を買っていた。国鉄の職員は横暴だという声をよく聞くが、あまりそうは感じないんだよなぁ。俺が子供なので手加減してくれているんだろうか。
「横浜まで2人分」「はい、1100円ね」
…横浜?あの、大洋ホエールズの本拠地の横浜?
さすがに1100円じゃ行けないだろと母に聞くと、
「南部地方にある横浜って駅よ。実家の最寄りなの」
なるほど、同じ名前の駅があるとは。紛らわしい。青森から関東地方の横浜までの切符を買う人がいないから問題にはならないんだろうけど。
ちなみに次の列車は2時間後らしい。
関西の電車間隔に慣れている身からすると、驚くような空白の時間だ。
俺の生活では「電車が10分来ない」ってだけでストレスなのに、こっちは2時間待ちが普通。
その間に母はお土産のタバコを買いに行った。
親戚に渡すためらしい。店の人と楽しそうに会話している。
「บุหรี่เอาแค่มวนเดียวพอไหม? จะเอาไฟแช็กด้วยไหม?」
「えーと、3カートンお願いします。はい。ライターはつけなくていいですよ」
…何度聞いても、これ、日本語に聞こえないんだよなぁ。津軽弁、ほんと奥が深い。
さっき「ちょっとしかわからない」って言ってたくせに、母は普通に返事してるし。
暇だったので駅の中を見て回る。
頭上には「National」と書かれたでかい時計。あと、やたらとあるリンゴの売店。
雪とりんごの街って感じで、なんかのんびりしてて、俺はこういう空気がわりと好きかもしれない。
汽車がやっと来て、車内に乗り込む。
走り出してからしばらくすると、母がぽつぽつと昔の話を語り始めた。いつもより饒舌だった。
「南部地方はね、“ヤマセ”って冷たい風に悩まされるのよ」
ヤマセ――夏場に東北の太平洋側に吹き込む、冷たい東風らしい。
この風が強い年は冷害になり、米が育たなくて飢饉になる。
そのことから「餓死風」なんて呼ばれていたという。
「作物がとれないとね、農家は子どもを東京に出すしかないのよ」
そうして中卒で東京に出て、集団就職で工場に入って、電機メーカーで働く父と出会ったんだってさ。
「じゃあ、なんで東北に帰らずに、関西に住んでるの?」
ずっと気になってたことを、思いきって聞いてみた。
母は少し笑ってから言った。
「子どもも小さかったし、ご近所さんもいい人たちだったから。あとね、私、寒いの苦手なの」
――うん、それはたしかに、青森に住むにはちょっと致命的かもしれないな。
◇◇◇◇◇◇◇◇
実家では、まるでスーパースター扱いだった。
食器を片付けようとしただけで、親戚のおばちゃんにニコニコしながら止められて座らされた。
なんだか照れくさいけど、まぁ悪い気はしない。
どうやら南部新聞って地元紙で俺の活躍が大々的に報じられたらしい。
どんなふうに書かれてるのか、正直ちょっと怖い。でも、怖いもの見たさってやつで読んでみたくもある。
母は親戚とずっと喋ってるんだけど、俺の前じゃ聞いたことないような言葉で話していた。
「ဒီနှစ် နှင်း ပဲ နည်းနေတယ်နော်。」
「ဟုတ်တယ်နော်။ နေရာအေးအေးနဲ့ နေတတ်လို့ အရမ်းကောင်းတယ်。」
確かに、青森駅で聞いた津軽弁とはちょっと違う気がする。
これが南部弁ってやつか?でも、どっちも知らない人が聞いたら違いなんて分かんないだろうな。
音の一つ一つが早口で、すごい勢いで飛んでくる。たぶん情報量はすごい。
でも、不思議と嫌じゃない。むしろ、母がこんなに楽しそうにしている姿を見るのは久しぶりだった。
ああ、帰省して良かったなって思った。
数日があっという間に過ぎた。
最後の日、大量のりんごをもらって、また青函連絡船に乗る。
青森って初めて来たけど、なんかいいところだった。
言葉は分かんなかったけど、親戚の人たちはみんな親切で、あったかかった。
子供たちからはサインをねだられて、俺は急ごしらえの自作サインをつくって、あちこちに描きまくった。
芸能人かよって感じだが、まぁ悪い気はしない。
上機嫌な母の横顔を見ながら、またいつか、ここに一緒に帰ってきたいなと思った。




