第17話 SR庄内
関西のチームは、甲子園で敗退するとその日のうちに宿を引き払うことが多い。
だが今回は、雨で身体が冷え切っていたこともあり、風邪をひいてしまってはいけないという監督の判断で、チェックアウトを翌朝に延ばすことになった。
その日の夜、ホテルの朝食会場を借りて反省会が開かれた。
負けたチームとは思えないほど、場の空気は明るかった。出し切った、そんな満足感が漂っていた。
キャプテンが口火を切る。
反省点や良かった点を、それぞれの言葉で語っていく。監督の方針で、基本的には選手自身に考えさせるスタイルだ。俺はこの方針がすごく好きだった。
誰に言われるでもなく、自然と学年順に意見が出ていく。
やはり話題の中心は「投手力」だった。
「全国で勝ち抜くには、やっぱり全国レベルのエースが必要だ」
「もっと投げられるピッチャーがいないと、持たない」
そんな声がいくつも上がる。これは確かにその通りだった。現時点では、3回戦に進んだチームと比較するとチームの投手力不足は明らかだ。
それとは別に、データの不足についても指摘された。
二番手投手の情報がほとんどなく、試合中にベンチで急ぎ情報を共有するしかなかったこと。
実際、出てきた投手の癖や傾向はすぐに見抜けたものだった。事前にデータがあれば、もっとスムーズに対応できたはずだ。
そんな話を聞きながら、自分の中で整理していたところに、キャプテンから促されて俺の番が回ってきた。
「このチームに足りないのは――それは筋肉だと思います」
一瞬、会場が静まり返る。数秒後、あちこちからクスクスと笑いが漏れた。
「どうしたん、急に。庇ってくれるのは嬉しいけど、やっぱり投手力の不足が敗因やろ」
エースの江崎先輩が笑いながら返す。
「もちろん、投手陣が全国レベルだったとは思いません。全国級のエースがいないのは事実です」
「でも――それ以上に、ウチの打線が打ててないんですよ。俺以外、ホームランゼロですよ?」
少しきつい言い方かもしれなかったが、止めなかった。
「新チームで急にエース級の投手が育つわけではない。投手は、ある程度、生まれ持った才能が必要なんです。でも飛距離なら、筋トレと栄養管理で確実に伸びます」
「次は、“打てる集団”を目指しましょう。筋トレして、ちゃんと食って、アッパースイングを身につけて」
やや気まずい空気になったところで、監督が軽く笑いながら締めた。
「一年で二本ホームラン打った奴が言うと説得力あるな。……でもあれや、サイン無視してずっとホームラン狙ってたやろ。後で説教したるから、俺の部屋来い」
笑い声が広がる。俺も、肩をすくめてごまかした。
でも本気だった。
10点取られたら、11点取ればいい。
それが俺の信じる野球だ。
話題は自然と、翌日の学校での報告や、理事長主催の凱旋セレモニーへと移っていく。
俺はそれを半分聞き流しながら、頭の中で別のことを考えていた。
――2010年代、MLBで「フライボール革命」が起きた。
アナボリックステロイドで身体を大きくして、スイングスピードを上げることでホームランを量産できる事は以前から知られていた。
ステロイドに頼らないトレーニング理論の確立と、打撃理論の革新によって生まれたのがフライボール革命だ。
きっかけはMLBが全球場に設置したスタットキャストという一球一球の打球を追跡するシステムだった。
何百万もの打席に関する膨大なデータを分析していたアナリスト達はある法則に気づいた。
従来はレベルスイングと呼ばれるボールを上から叩きつけるような打ち方が野球の最適解だと思われていた。
だが、データはそれを否定していた。
この膨大なデータから導かれたのが「バレルゾーン」。
打球速度158km/h以上、打球角度26〜30度。この条件を満たす打球のヒット率、ホームラン率は異常なほど高くなる。
理想のスイングは、レベルスイングでも、上から叩くでもない。
ゴルフのように、下からあおるアッパースイング。
これがデータが示す「最適な打撃」だ。この理論は野球に革命を起こした。
俺がいくら指導されてもアッパースイングを変えなかったのは、これが理由だ。
もちろん、デメリットもある。単純に空振りが増える。
MLBはこの革命のあと、長打と空振りの両極端な展開が増えていった。
そしてそれを批判する評論家たちの声も耳にした。
「野球が大味になった」――そんな嘆きの声だ。
でも、俺はそうは思わない。
これは、ただの一時的な変化じゃない。データが洗い出した、野球の本来の姿なんだと思う。
◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日、朝食を終えてロビーに降りると、何人かのチームメイトが新聞を囲んでいた。
僕も合流して覗き込む。
案の定、スポーツ面は僕たちの試合で埋め尽くされている。プロ野球が移動日で、僕ら以外の試合は雨で中止。とはいえ、扱いとしては申し分ない。
メインの見出しは「豪雨の中の乱打戦。飛鳥台(奈良)が徳島三好に惜しくも敗退」
その下には、デカデカと「甲子園に怪物現る!一年生庄内が1試合最多タイHR。打率.550」
そしてもうひとつ「雨天コールドに批判の声。球児の安全より興行か」という社会派な小見出しまで添えられていた。
嬉しいような、ちょっと居心地が悪いような、そんな気持ちで紙面を眺めていると──
やたらと神々しい写真に目が留まった。
7回裏、泥濘に足を取られながら一塁に送球する自分の姿。
泥が光を反射して、まるで舞台装置のように美しい。
これは…プロ野球チップスに封入されてたら間違いなくスーパーレア(SR)カードのやつだ。
「SR庄内…」
ポツリと漏らした独り言に、周囲のチームメイトが爆笑する。
その日から、しばらく「SR庄内」と呼ばれることになった。
なおこの写真、映えは最高だが結果的には一塁セーフのプレー。アウト取れてないんだよなぁ…。
冗談はさておき、新聞の扱いを見るに、僕たちは相当なインパクトを残したらしい。
あの徳島三好と打撃戦を繰り広げた中堅校、そして、打ちまくった一年生の存在。
顧問によれば、学校には激励の電話がひっきりなしにかかってきて、職員室の電話が麻痺しているとか。
統計を用いた戦術については記事には書かれていなかった。記者にも話していないし、仲間たちもよく守ってくれている。これは当分、秘密兵器のままでいてもらわないと困る。
ちなみに僕の2本のホームランは、某新聞記者いわく「岸原を超える打撃力」らしい。
監督のサイン無視で狙って打った甲斐があったってもんだ。
大会期間中はPF学園の厳格な外出制限のせいで岸原には会えなかったけど、正月に再会する約束をしている。
この新聞を持って堂々とマウントを取りに行くつもりだ。
記事の約4割は試合展開、3割が僕の活躍、残りは雨天コールドを巡る高野連批判だった。
個人的には、あれ以上の継続は無理だったと思っているし、運が悪かっただけ。
審判団もよくやったと思う。
記事には接戦とあったが、彼らとの実力差は明確だった。江崎先輩が降板したあとの展開を見ても、あのまま続いていたらワンサイドゲームになっていた可能性は高い。
そんなことを考えながら、部屋で新聞を読み返していると、ノックの音がした。
ドアを開けると、ホテルのフロントの人だった。
「庄内様、勅使河原様からお電話です」
──勅使河原?
一瞬誰かと思ったが、思い出した。
西宮球場で将棋を指しながら酒を飲んでいた、あのアル中親父だ。
……前も思ったけど無駄にカッコいい苗字だ。貴族かよ。個人的には「アル中太郎」で十分だと思うんだが。
ロビーに降りて電話を取る。
「おー坊や!昨日はすごかったなぁ!」
「ありがとうございます。どうしたんですか?」
「来週、七番ゲート倶楽部でお前の活躍を祝って祝勝会をやろうと思うんやけど、来いへんか?田中選手も来てくれるらしいで!」
七番ゲート。俺がいつも阪急戦を観ていた場所の入口。あそこに“倶楽部”なんてあったのか。というか俺、そんな団体に入った記憶ないんだが。
田中選手──沢村賞投手。アンダースローの憧れ。
しかも本人が同じアンダースローの僕に興味を持ってるらしい。
めっちゃ行きたい。
でも、そこにスカウトも来るだろう。
阪急のスカウトとは、できれば一線を引いておきたい。
僕は阪急が好きだ。小さい頃から慣れ親しんだ球団だ。
でも、プロ入り後も注目されたいなら、今はまだパ・リーグを避けたい。
新聞にも載らない、観客席はガラガラ。
それが今のパ・リーグだ。
「……すみません。気持ちは嬉しいんですけど、ちょっと都合が…」
「そうか…。田中さん、坊やに会えるの楽しみにしてたんやけどな」
「もしサインいただけるなら、それだけお願いしてもいいですか?“毅くんへ”って入れてもらえると…」
そうして電話を切ったあと、少しだけ落ち込んだ。
田中投手に会いたかった。でも、今は我慢のときだ。
十年前にパリーグで起きた野球賭博と八百長疑惑、通称「黒い霧事件」。その霧はまだパリーグを覆っていた。
パ・リーグの選手はセ・リーグ比較にならないほど知名度がなく、給与や待遇も悪かった。
しかも、FA制度もまだ導入されていない時代だ。
多くのプロ志望の球児と同じように僕は強く思っていた。
パ・リーグは嫌だ…。パ・リーグは嫌だ…。
「そんなにパ・リーグは嫌かね。なら…アズカバン!」
なんか別作品と混線して、勝手に組分けされた気がする。
とにかく、阪急のスカウトとベッタリ付き合って、阪急一筋のような報道がされることは避けなければならなかった。
俺は記憶の中ではパ・リーグ戦士だった。
ただ、パ・リーグの名誉回復の為に選手生命を使い果たすのは、俺の望みではなかった。
俺はプロになる。
そのために必要な立ち回りってやつを、今は選ばなきゃいけない。




