第14話 抽選会
甲子園の宿は、西宮市内のビジネスホテルだった。
俺にとってはほぼ地元というか、もはや完全に地元だ。
飛鳥台高校のある奈良県橿原市から甲子園までは、電車で1時間半もあれば着いてしまう。
それでも宿泊が義務になっている。意味があるのか?と思うかもしれないが、これには明確な理由がある。
かつて関西勢は、試合のある日は自宅から甲子園に通い、試合後はいつもの自校グラウンドで練習していた。
遠方から来る他府県の高校と比べて、明らかに有利だったのだ。
その不公平さが問題視され、今では全出場校が西宮市周辺に宿泊し、練習も高野連指定のグラウンドに限定されることになった。
仮に甲子園から徒歩10分の西宮東高校が出場したとしても、わざわざ宿泊して遠くのグラウンドに通わなければならない。
ただ、西宮東高校は今まで一度も甲子園に出場したことがないのでそんな馬鹿げた事は起きたことがない。
泊まっているホテルは、意外にも個室だった。
合宿のような大部屋を想像していたので、少しうれしい誤算だった。
夕方、暇だったのでふらっと外へ出てみた。
ちょうどエースの江崎先輩と鉢合わせしたので、誘って西宮球場に行くことにした。
俺にとっては懐かしい場所だ。子どもの頃からよく通っていた球場。
ただ、今日は急だったので、いつもなら入手しているタダ券を持っていなかった。
仕方なく自腹でチケットを買う。思ったより高い。
タダ券がいくらでも流通しているこの球場で、わざわざ定価で買う奴なんて俺ぐらいじゃないだろうか。
対戦カードは南海ホークス戦。
地味なカードの関西ダービー。客席はスカスカだった。
レフト寄りの内野席、昔よく座っていた最前列に腰を下ろす。
しばらくすると、いつもの将棋親父がやってきた。
毎回ビール片手に観戦しながら、将棋盤を広げてる謎の常連だ。
「お久しぶりです。もらった帽子、まだ使ってますよ」
「しばらく見んかったけど、野球まだ続けとったんか?」
「はい。今は飛鳥台高校でやってます。甲子園、出場することになりまして。今日ここにいるのが、うちのエースです」
「え、あんた中学上がったばっかりちゃうんか。一年で甲子園出るんかいな、すごいやっちゃな」
最後にコーラを奢ってもらった。江崎先輩は遠慮してお茶。コーラ、美味しいのに。
江崎先輩は、想像以上にガラガラな球場に若干引いていたようだ。
というか、西宮に甲子園以外の球場があることすら知らなかったらしい。
今日は外野席でなぜかファンが勝手に流しそうめんをやっていた。
客席の傾斜を使って、竹を組んで麺を流している。
夏らしくていい光景だ。
「先輩、外野行って混じります?」
「行かん行かん、なんやアレ……」
ちょっと面白そうだったけど、確かに高校球児が参加するのはさすがに浮くか。
昔はよくバーベキューをやってて、たまに参加させてもらっていた。
今日の阪急の先発は、俺が尊敬しているアンダースローの田中投手。
パの最多勝投手でもある。
いつものように、盗塁を何度も許しているのに、まったく動じることなく投げ続けている姿に見惚れてしまう。
江崎先輩もフォームに興味を持ったようで、俺に技術的な話を振ってくる。
俺も一応中継ぎ投手も兼任している。公式戦登板はまだゼロだが、ベンチには入っている。
横の先輩が炎上すれば、俺に出番が回ってくる可能性だってある。
◇◇◇◇◇◇◇◇
先輩を連れて、西宮北口――通称「西北」の街を歩く。
俺にとっては、小学生の頃から通い詰めた場所だ。
甲子園からも近く、西宮球場の観戦帰りに寄るのが、昔からの定番だった。
駅前には今も昔も阪急百貨店がそびえている。
タイル貼りの古びた外壁。重厚なガラスの回転ドア。
入口には手書きの値札が並び、婦人服売り場からはレトロな流行歌が流れてくる。
いかにも「昭和の百貨店」という風情だ。
駅の南側には昔ながらの商店街。
アーケードの下には、八百屋、精肉店、和菓子屋、そしてお好み焼き屋がひしめいている。
店先の棚には裸電球がぶら下がり、油の匂いと焼きそばの香りが鼻をくすぐる。
ちょっと歩けば、駄菓子屋がまだ現役で営業していて、子どもたちが型抜きやベーゴマで遊んでいた。
「こっち、電気屋あるから寄ってええっすか?」
先輩に断りを入れて、俺は小さな家電店に立ち寄る。
入り口のガラス戸をくぐると、所狭しとラジカセやカラーテレビが積まれている。
その奥、目立つように紙の垂れ幕が吊られていた。
《新発売!話題のTVゲーム!》と手書きで書かれたその下には、見覚えのある箱が鎮座していた。
ファミリーコンピュータ。
「……これ、今年の7月に出たんだな」
タグには15,000円の値札。
想像していたよりも高い。いや、これが適正なのか?
でも、ソフトは……ドンキーコングとポパイだけ?
え、これだけ? マリオすらないんかい。
野球ゲームどころか冒険もできんのか。
買おうと思っていたが、なんだか一気に熱が冷めてしまった。
先輩が言う。
「そういやお前、実家帰らんでええんか?」
「あっ……」
完全に忘れていた。実家が近くだというのに、宿に戻ってから一度も顔を出していなかった。
翌日、俺は日帰りで実家に戻ることにした。
乗り慣れた阪急電車、商店街の角を曲がれば、いつもの家が見えてくる。
玄関のドアを開けるなり、母親の声が飛んできた。
「なんで長期休みに一度も帰ってこーへんの!」
怒られた。怒られるのは分かっていたが、やはり痛い。
「正月には帰ってきなさい。絶対やで」
「うん、わかった」
実際、寮は正月期間は閉鎖されるので、帰るしかない。
でもここは黙って、神妙な顔で頷いておくのが正解だ。
そういえば、甲子園出るって、まだ言ってなかったな。
思い出したように、初戦の日程を伝えると、母の顔がぱっと明るくなった。
「ほんまに……あんた、ようここまで来たなぁ……」
そう言いながら、母は静かに台所に戻っていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
甲子園には「抽選会」という儀式がある。
全国から代表校が集まり、でかい会場でくじを引く――一種の見せ物だ。
出場校の選手たちも観客として招かれ、俺たちも揃って見学に来ていた。
うちのキャプテンだけが別行動で、くじを引く側として舞台裏に向かっている。
正直なところ、キャプテンとはあまり関わりがない。
俺の入学に伴ってポジションをセカンドからショートにコンバートされたという話は聞いているが、それ以上は特に。
打撃はチームの中では平均的。守備は堅実だが、目立つタイプではない。
甲子園の組み合わせは、くじ一つで天国にも地獄にも変わる。
シードを引けば2~3回戦までは強豪を避けられるし、逆にいきなり名門と当たる可能性もある。
そして、我がキャプテンの番。
「21番」――ノーシード。
その時点で場内にざわめきが起きる。
もし1回戦を突破すれば、2回戦で当たるのは昨年の夏、そして今年の春の覇者である徳島三好高校。
ああ、終わったな……と、思った。
帰り道、キャプテンは落ち込んだ様子で黙りこくっていた。
チームメイトは口々に「気にすんなよ」と慰めていたが、内心では皆、同じような思いだったろう。
ただ、俺はくじの結果がどうあれ今回は甲子園で勝ち上がるのは難しいと感じていた。
理由は単純だ。
データがない。
地方大会と違って、全国の学校のデータを十分に集める手段がなかった。
例えば、相手がPF学園のような私学の怪物チームだったら、ウチのチームの地力ではまるで歯が立たない。
実際、PFには中学時代から俺の前に立ちはだかってきた岸原がいる。
さらに、同じく一年生ながら“未来の怪物”と騒がれている桑原。
通称「KKコンビ」。
この2人は3年間にわたって甲子園を騒がせることになる。
その点、徳島三好高校は公立校だ。
夏春連覇を成し遂げた「やまびこ打線」。
去年の夏の決勝では12対2という大差で勝ち、まるで漫画の主人公のような快進撃だった。
とはいえ、俺は徳島三好高校はPFよりは戦いやすいと思っている。
うちも打撃偏重だし、真っ向勝負はできるはずだ。何よりPFに比べると投手層が薄い。
初戦の相手は、鳥取代表・八頭商業高校。
こちらも初出場で、事前情報はほとんどない。
新聞に掲載されていた地方大会のスコアを見ると、チーム打率は4割近い。確かに驚異的だが、地方大会の数字なんて当てにならない。
甲子園の初戦、ぶっつけ本番になるのは仕方がない。
でも、ここを勝たなければ、何も始まらない。
まずは目の前の一勝。
それがなければ、徳島三好の“やまびこ”も見られずに終わる。




