第10話 高校選び
この夏、僕は中学三年になった。
シニアの大会の結果は、あまり芳しいものではなかった。
それでも、チームは僕が入団した頃より格段に強くなったと思う。
関西大会には安定して出場できるようになり、二年の夏には一度だけ全国大会にも行けた。
初めての全国大会は、素晴らしい経験だった。
僕は六大学出身で、神宮球場には深い思い入れがある。
ようやく、この場所に戻ってこれたという思いがあった。
ただ、全国で勝てるほどの力を、僕たちのチームは持っていなかった。
初戦であっさり敗退した。
中継ぎとして登板した僕は、まぐれヒット一本だけしか打たれていない。
もしエースだったら、もう少し貢献できたかもしれない――そんな思いも少しある。
とはいえ、それでも自分を犠牲にするような選択は、結局できなかった。
そして今年の夏。
この大会をもってシニアを引退した僕は、まだ進学先の高校を決めかねていた。
夏の高校野球では、基本的にすべての都道府県に平等に一枠ずつ、北海道と東京だけに二枠の代表枠が設けられている。
出場校が最も多いのは大阪で、182校がこの一枠を争っている。
その頂点に立つのが、PF学園だ。
大阪で実力を無視した単純計算を行うと、出場確率は0.5%。
兵庫県でも0.6%。関西の競争はとにかく激しい。
逆に最も出場校が少ないのは鳥取。次に福井。
鳥取の24校で争えば、理論上の出場確率は4.2%。
大阪と比べて約10倍、代表に選ばれやすいということになる。
これは“平等”であって、“公正”といえるだろうか。
もっとも、地方校には地方なりのハンデがある。
1982年現在、夏の優勝経験がない地域を並べていくと、ある共通点が見えてくる。
北海道、東北、北陸、山陰。
いずれも冬場の降雪により、練習期間が大幅に制限されるエリアばかりだ。
特にこの時代、「優勝旗は白河の関を越えない」と言われていた。
平成の時代になってようやく、苫小牧や仙台のような学校が優勝できるようになったが、どちらも最新設備を備えた、いわば“近代化された”学校だった。
さらに地方では、練習試合の相手を探すのも一苦労だ。
つまり地方の高校に進むということは、甲子園に出る確率は上がるかもしれないが、甲子園で勝てる確率は下がるということなのだ。
そんなことを考えながらテレビをつけると、ちょうど特集番組をやっていた。
今年、徳島県勢として初めて夏の甲子園を制した、山間部の公立高校についてだった。
公立校に行くという選択肢は――正直、ないだろうな。
確かにドラマはある。けれど、地元の公立校は今や私立に押され、ほとんど瀕死の状態だ。
今、真剣に考えているのは奈良か滋賀。
母からは「長期休みには帰ってきてほしい」と言われている。
あまり遠方の学校には行きにくい。
青森のとある高校が、スタメン9人中8人が大阪出身ということで「第二大阪代表」などと2chで叩かれていたのを思い出す。
それでも、すべてを捨てて本州の北端で野球に専念する覚悟はすごいと思う。
僕には、結局そこまでの決断はできなかった。
そのとき、母が声をかけてきた。僕宛の電話があるという。
受話器を取ると、最初に見学に行った奈良の高校からのスカウトだった。
あの後も二度ほど、見学に行かせてもらっている。
「例の件な、もし来てくれるんやったらOK出たで。理事長の決裁も通ったわ」
僕は、ある設備の導入を進学の条件として出していた。
車一台が買えるくらいの値段がするものだ。
最初は必要性を疑われていたが、ようやく返事が来たらしい。
今、保留しているのは三校。
奈良は、東大阪の強豪が集中する地区の隣で、地理的にも悪くない。
学校数は大阪の5分の1で、予選もそこまで厳しくはない。
(……というか、大阪がおかしすぎるのだ)
「じゃあ、今度、あいさつに伺います」
「おっ、ということは――うちに決めてくれるんか?」
「はい。一番、条件のいい高校だと思っています」
電話を切って、母に奈良の飛鳥台高校へ進学することを伝える。
野球特待生として迎えてくれて、特別待遇もある。
何より、こちらの希望した設備まで導入してくれる。
でも、母はまだ少し不服そうだった。
そして「挨拶に行くなら、私もついていく」と言った。
どうやら、現地を見て最終判断を下すつもりらしい。
スカウトにはすでにOKを伝えたつもりだったが――まだ、越えるべき関門が残っていたようだ。
僕は黒い電話のダイヤルをゆっくりと回し、呼び出し音が鳴るのを待った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
待ち合わせ場所は近鉄の橿原神宮前駅。
スカウト側からは「家まで迎えに行きますよ」と言われていたが、母の希望でこちらから行くことにした。
理由は、帰省の経路や所要時間を実際に確認しておきたいというもの。母らしい気遣いだ。
駅に迎えに来ていたワゴン車に乗り込み、後部座席から景色を眺める。
練習場まではバスも通っているらしいが、休日のこの時間帯は本数が少ないようだった。
練習場に着くと、まずは監督に挨拶。
僕は何度か来ているので顔なじみだ。今回は母が中心になって話をしている。
僕はそのやり取りを横目に、グラウンドの様子を見に行った。
向こうで捕手と投球練習をしているのが、今の二年生。来年には三年生エースとなる予定の江崎先輩だ。
いい投手だ。フォームが安定していて、球にも切れがある。
一年生にも有望株がいて、全体的に投手陣の層が厚い。
僕がこの学校に決めたのは、実は条件面だけじゃない。
甲子園でも通用しそうな「投手がいること」。
それが、この選択を決定づけた。
この夏は出場を逃しているが、春のセンバツは十分可能性がある。
チームはここ数年、甲子園から遠ざかっている分、強化には力を入れているようで、スカウト活動もかなり熱心だ。
ぼんやりと投手の練習を眺めていると、江崎先輩がこちらに歩いてきて声をかけてきた。
「おっ、庄内。ここに決めたんか?」
母の方をチラリと見る。笑顔で話し込んでいる。問題なさそうだ。
「はい。お世話になることになりました」
「そら百人力やな。ほな、名物のアレやるか?」
“名物のアレ”――つまり、毎回恒例の一打席勝負だ。
見学に来るたびにおもちゃにされている。
僕はバッグを取りに行き、金属バットとグローブを持って戻る。
すでにマウンドでは準備万端、江崎先輩が立っていた。
中一の頃、練習で僕が打ちまくったのを面白がって、それ以来、来るたびに勝負を挑まれている。
そして、その伝統は今の先輩達にも受け継がれている。
江崎先輩のフォームは相変わらずきれいだ。
リリースが遅く、体の使い方が巧みで球種の判別が難しい。
初球はストレートかと思ったが――違う。ツーシームだ。
微妙に動いてバットの芯を外され、ゴロになった。
……やられたかもしれない。たぶん、この勝負で初めて負けた。
「お前の真似して覚えたんや。作戦、成功やな」
思わず笑ってしまった。
先輩の持ち球にはなかったはずの球。先入観が裏目に出たか。
その後も二打席勝負を続けたが、明らかに去年よりレベルが上がっている。
この学校を選んで正解だったかもしれない。
他の投手陣も見たが、十分な戦力になりそうだった。
しばらくして監督から声がかかる。どうやら、次は寮の見学らしい。
母の後をトコトコと歩いて、もう一度寮へと向かう。
母は洗濯や食事のことを熱心に質問していた。
僕はその様子を横目に見ながら、窓の外で続いている練習の風景を、静かに眺めていた。




