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92 英雄と呼ばれた雑用騎士

 太陽が降り注ぐ晴れた日の午後。

 一心不乱に地にクワを立てる男の元に、駆け寄る者がいた。


「ヴァンルーク隊長!」


「……もう俺は隊長ではない」


「す、すみません。ヴァンルーク……さん」


 言い直した男に、彼は額の汗を拭いつつ微笑んだ。


「それで、どうしたんだ」


「……はい! お会いになりたいという方がいらっしゃいまして」


「俺に?」


「なんでも命を助けられたとのことで、デルゼンと名乗っておりましたが……」


「……ああ、デルゼン夫人か。娘のカロッサも一緒だろうな」


 それは以前、彼が命を賭して守った女性とその娘の名だった。

 あれからしばらく経つが、どうやら無事に暮らせていたらしい。


「わかった。すぐに行こう」


「はい! ……ヴァンルークさんは働き過ぎなので、しばらくご休憩ください」


「……ふ。元部下に気遣われたとあっては、聞かぬわけにはいかないな。前は散々命令を聞いてもらったわけだし、今度は俺が素直に聞いて少し休むとしよう」


 ヴァンルークはそう言うと、クワを置いた。


 かつて雷鳴のヴァンルークと呼ばれた男は今、元帝都のあった場所に住み畑を耕していた。

 オルガス連邦からの侵攻もなく、現在は元帝都カルティアはレギン王国の庇護下にありながらも自治領として存在している。


「……ヴァンルークさんはもう戦いの場には戻らぬのですか」


「場合によっては戻るさ。……その場合、剣ではなくクワを振り下ろして戦っているかもしれんがな」


 冗談を言う彼に、男は笑う。

 ヴァンルークは男と共に歩きながら、静かに口を開いた。


「……エディンという男がいた。ヤツは騎士でありながらも、嫌な顔せず……いや、嫌な顔ぐらいはしていたか。ともかく、農作業でも大工でもなんでもやっていた」


「……ええ、存じております」


「あいつは何でも請け負った。雑用も、戦闘も、軍の指揮も。……その経験こそが、ヤツの宝だったわけだ」


「そうかもしれませんね」


「だから俺も一つ、いろいろな事をしてみるべきかと思ってな。農作業も復興作業も、何もかもが目新しい。……それは騎士を続けているだけでは、見えてこなかった景色だと思う」


「……同感です。わたしもここで暮らし、生存者や移住者の人々と暮らしてみて、見えてきたものが多くあります」


 男はヴァンルークの言葉に頷いた。

 帝都の地下道には、先の戦いの際にいち早く逃げ出した人々が隠れ住んでいた。

 女子供を中心とした彼らは、帝都の異変が終わってから王国軍に保護されてここでまた暮らしている。


 ヴァンルークは口を開く。


「焦る必要もなければ急ぐ必要もなく、思い詰める必要もなければ立ち止まる必要もない。――ヤツはきっと、それを知っていたのだと思う」


「ええ、きっとそうでしょうね。……王国の英雄エディンは、そんな飾らない人柄の人物だったのだと思います。――おや」


 男が顔を上げると、帽子をかぶった女性と共に年頃の娘がヴァンルークに向けて笑顔を向けていた。

 彼もまた、久々の再会に笑みを返す。


 きっと彼はしばらくはこの地で畑を耕し暮らしていくのだろう。

 元帝都カルティアの郊外では、ゆっくりとした時間が流れていくのだった。




 * * *



「――だーっ! 時間が足りねぇーー!」


 屋敷の中にアネスの声が響き渡る。

 それと同時に放り投げられた書類の束がバラバラと散らばった。


 エディンの家を勝手に改造して作られた事務所の中。

 頭を掻きむしるアネスに、横の席で作業をしていたミュルニアが不満を漏らす。


「所長ー、それ自分で片付けてくださいよ」


「わかってらい! お前に片付けさせたら部屋が異次元に呑み込まれるわ!」


 アネスはそう言いながら、机の上に上半身を放り出す。


「帝国の件についての民衆向けの表向きの資料に。王国内部向けの裏資料、魔神の危険性を説く資料に、オルガス連邦向けの資料と、帝国領の統治計画書に――」


「……所長ー、数えたらやる気なくなるのでやめた方がいいと思いまーす」


「わかってるじゃないかミュルニアくん……今日残業な」


「いやでーす。定時で帰りまーす」


「ああもう……! わたしはこんな事する為に山奥から降りてきたわけじゃねーぞ!」


「もっと人、雇いましょーよー」


「これが終わったら雇うし、さすがにちゃんとした事務所は借りるが……それにしたって、なぁ」


 アネスは手元の資料を手に取って、それを見つめる。


「……『帝国は大昔の研究者に乗っ取られ、国民たちが改造され、そいつが言うには人類の脅威となる魔神の存在が――』……だなんて誰が信じるよ。ていうか真実だとしても不用意に誰かに話せる話じゃない」


「信じられようと信じられまいと面倒くさいなら、わざわざ説明資料なんて作る必要ないんじゃない?」


「そうはいくか。それだとアイツとやってることが一緒だろ。……民衆を愚劣と断じ、信用しない。わたしたちはアイツと同じになっちゃいけないんだよ。だから少しずつでも情報は共有しなきゃいけない」


「……でも、わたしはちょっとわかるけどなぁ。あの人の気持ち」


 ミュルニアは口を尖らせる。


「錬金術だって不気味だなんだって否定する人がいるしさ。錬金術なんて魔術に比べたって暴走なんかが少ないちゃんとしたもんだと思うよ。その分自由が利かないってのはあるけどさ。でもそんな錬金術ですら理解されないんだから、『魔神が攻めて来る』なんて言っても信用はされないよね。それならああして、『民衆に意思なんて必要ない!』……なーんて言っちゃう理由もわかるっていうか」


「……理解と共感は別物だ。わたしだって理解はできる。だけどな、だからといって強制的に従わせちゃダメなのさ。……自由ってヤツが、人に許された一番の権利なんだから」


「ふーん。よくわかんない」


「……自由がいらないってなら、まずは今日の残業からいってみるか」


「あ、自由大好きでーす。自由がなきゃ生きてられないね!」


「……はぁ」


 アネスはため息をつく。


「くっそー……ディルのヤツは見所があると思ったんだが、『ここでやることは終わった』とか言ってオルガス連邦の方に出稼ぎに行きやがったし……。捕まえときゃ良かったな、アレ。……っていうかこんな時に、あのバカはどこほっつき歩いてやがるんだ……?」


「お兄さんのこと?」


 ミュルニアは首を傾げる。


「お兄さんはさっき『ミュルニア、頼む見逃してくれ。今度実験付き合うから』って言って散歩に出かけてったよ」


「買収されてんじゃねーよ。……ったく。こういう作業こそアイツの得意分野だろうに……」


 アネスは窓から外を見る。


「あぁー……良い天気だなー……」


「そうだねぇ。今日はお休みでもいいんじゃないですかねぇ、所長」


「……よし、じゃあ後はよろしくなミュルニア」


「あー! それはずるい! わたしも休みまーす!」


「ったく……。ああもう、おら行くぞ! こんな日に仕事してられるか!」


 そう言って二人は部屋を出ていく。

 外には晴れ渡る青空が広がっていた。




 * * *




「……今日もゴブリンたちは元気だなぁ」


 ロロは彼らの鍛錬を横目に見ながら、街の広場を歩いていた。

 あれからゴブリンたちとの交流は進み、多くのゴブリンが街に住むようになっている。

 今のところ、人々と衝突するようなことはなく暮らせているようだった。


「それにしても、最近はめっきり平和になっちゃってラインカタルもなんだか寂しそうに見えるかも」


 ロロは以前の帝国との戦いから、冒険に出る事もなくなり、のんびりとした日々を過ごしていた。

 その原因としては主に報奨金が山ほど出たことにある。

 べつに働く必要もないし、しばらくは自由に暮らせるだろう。


「……わたしも何か趣味を見付けるべきか」


 ロロは一人そんなことを思う。

 お金があるからといってこの年齢で隠居してしまうのは、さすがに早すぎるとも彼女は思っていた。


「賞金首狩りは飽きてしまったし……。トレジャーハンターでも目指してみようかな」


 今は亡き、彼女のライバルを思い浮かべる。

 トレジャーハンターとなるなら、鍵開けだとか簡単な魔法だとか、学ばなくてはいけないことが山ほどあった。

 ……それはロロにとって、割と面白そうなことに感じる。


「剣の才能があるからって、そればかりに生きるわけでもない――か」


 ロロはそう言って笑う。

 彼女は才能がなくてもいろいろな事に挑戦する人物を知ってしまったから。


「……お、噂をすれば」


 ロロが視線を移すと、そこには草むらに寝転がる人物の姿があった。


「おやおや、ラブラブだね。……といっても、あれは二人きりとは言えないのかな?」


 そこに寝ていたのは、二人と一匹。

 今も角が生えたままのマフと、その体に寄り添うようにして眠る男女の姿だった。


「こんなとこで人目もはばからずに……また英雄へのやっかみが増えるんじゃないかな」


 ロロはそう言って笑う。


 誰にでも人当たりの良いエディンにとって、端から見て誰から見ても慕われている美人の少女ユアルという存在が、大きな嫉妬と羨望の的でもあった。

 とはいえユアルの身体に流れる血もあって、エディンが大変でないわけでもないのだが。


「魔王の血、ねぇ」


 ロロはアネスから聞いた言葉を思い出す。

 以前人間たちに反旗を翻したとされる、魔物を活性化させる力を持った魔王。

 ユアルはその血を引いているのではないか――とアネスは予想していた。


 もしユアルが人間を憎んだとき、それは大きな人類への脅威となるだろう。

 ……だがこうしてエディンと二人お昼寝している彼女の姿を見るに、そんなことにはなりそうにないとロロは思う。


「まあ……平和なのはいい事だね。また何かあったら、英雄さんには活躍してもらいましょう」


 ロロはそう言って背伸びをする。

 日の光が周囲を照らし、暖かな時間が流れている。


 これからも波乱が起きるかもしれないその時代。

 今この瞬間だけでも、彼らはたしかに平和に、そして楽しく自由に生きているのだった――。





 終わり

最後までお楽しみ頂きありがとうございました。

エディンたちの冒険は以上で終わりになります。

皆様に応援頂いたおかげで更新を続ける事ができ、完結させることができました。


 ☆ ☆ ☆


もし面白かったと思って頂けたなら、新作を始めましたのでこちらもお読み頂けると嬉しいです。

最強パーティと冒険する錬金術師のお話で、コメディノリの物になります。

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(101回目のパーティで真の仲間を引き当てた錬金術師は追放され過ぎて覚えたチートスキル『追放』と最強の仲間達で新大陸を攻略します~物質分離の追放術士は復讐を諦めない~)


ぜひ応援のほど、よろしくお願いいたします。


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またその他の情報についても気になる方は作者のお気に入り登録もどうぞ。

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新作やお知らせがあればご報告し、何か裏話などもあれば更新したいとも思っています(願望)


 ☆ ☆ ☆


最後に改めてまして、お読み頂いた方々、本当にありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] メインキャラ達が物凄く魅力的で特に女性キャラが良かったです。 [気になる点] 主人公がもうちょっと特別な力を持って活躍しても良いのではないかと思いました。 [一言] ミュルニアを筆頭に可愛…
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