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91 わがまま姫と絶縁を。

「……こっちだ」


 ラーグを倒した後、俺たちはアネスに先導されて地下へと向かっていた。

 どうやらラーグが魔力を使ってバーサーカーに指示を送っていたらしく、その魔力が途絶えたことで魔力が整理され魔力探知が正確にできるようになったとのこと。


 この国の魔力は、全て宮殿の地下に集められているようだった。


「この先だな。……わたしももう魔力が残り少ない。最悪の場合は何とかお前たちだけでも逃がすから、覚悟だけはしておいてくれ」


 正直言って、みんな満身創痍だ。

 既に余力はないが、ここを何とかしなくては帰ることはできないだろう。


 俺たちは地下に続く階段を降りた。


 ――その部屋はまるで何かの動物の体内のようだった。

 壁には肉の管が張り巡らせており、元の部屋がどんな部屋だったのかもわからない。


 そしてその中心、壁に(はりつけ)にされたような人影らしき物が一つ。


 俺はそれが何なのか気付いて、ゆっくりと近付いた。


「……あ……う……」


 それは生きていた。

 かろうじて人の面影が残っている部分は、腹から上の胴体と頭の左半分。

 四肢と右頭は赤黒い肉塊に変貌しており、表面には血管がドクドクと波打っている。


 それは無惨な姿へと変えられた、あのわがまま姫の姿だった。

 肉塊に埋もれたそれに、俺は声をかける。


「……姫様」


 それは残った左目でこちらをギョロリと見つめた。


「……エ……ディ……」


 かすれる声で俺の名を呼ぼうとする。


「……俺のことがわかるのか」


「エ……ディン……エディ……ン……」


 彼女はすがるような目でこちらを見る。


「ごめ……なさ……。たすけ……て……」


 彼女はとぎれとぎれにそう言いながら、目から涙をこぼす。

 姫の言葉に、俺は何も答える事ができなかった。


「……ミュルニア」


「――無理だよ」


 俺が何か言う前に、ミュルニアは即答する。


「こんなにされちゃったら……うちじゃなくても、元通りに戻すことなんてできっこない」


 見た時からわかっていたことだ。

 彼女を助けることは俺たちにはできないだろう。


 俺たちの様子を見て、彼女は言葉を発した。


「ちが……う……の……。ころ……して……。おねがい……」


 その声と共に彼女の腹部が割れて、血が吹き出た。

 だがその傷は瞬時に塞がり、治っていく。


 ミュルニアが口を開く。


「再生力が極限まで強化されているんだ。……そのせいで発狂してもすぐに正気に戻される。永遠に終わらず狂うことすら許されない……まるで地獄の拷問だよ」


 ミュルニアが青ざめながらそう言った。

 俺は剣を抜く。

 だがそれをミュルニアが止めた。


「待って。……たぶん首を落としても頭を潰しても、すぐに再生する。普通のやり方じゃ彼女を苦しめるだけかも。痛覚はそのまま残ってるから」


「……そうか」


 俺は姫の前に立ち尽くす。


「……すまない。俺はお前に何もしてやれない」


「エ……ディン……」


 姫はこちらを見つめる。

 そしてゆっくりと口を開いた。


「ごめん……ね……ごめ、ん……。あなた……が……。わたしは……あなた……だけ……が……。ごめん……なさい……」


 彼女がそう言うと、同時に、頭の血管が切れるように血が吹き出る。

 すぐに周囲の肉が盛り上がってそこが修復される。


 だが姫は意識が飛んだのか、涙と涎を垂らしながら虚空を見つめていた。

 ……姫はピクピクと痙攣しており、もう一度喋れそうな様子はない。


 どうやら会話することすらも許されないらしい。


「……どうにかして、彼女と帝国を終わらせてやりたい。……だが。俺たちじゃあどうしようも――」


「――はっ。おいおい、誰に向かって言ってんだエディン」


 俺の言葉に応えたのはアネスだった。


「なに、この肉の管を見てからここに来るまで十分時間はあったからな。わたしはこれでも賢者だぜ。こいつをどうにかする方法の一つや二つぐらいは思いつくさ。――ただし」


 アネスはまっすぐに俺を見つめた。


「……この姫様をこのまま助けるなんて事まではできねーけどな」


「これ以上彼女が苦しまないなら、それでいいさ」


 俺の言葉にアネスは頷くと、姫の方を指差した。


「まず――こいつを殺すことは並大抵のことじゃ不可能だ。この場所に魔術で存在を縛られている上に、魔術自体が循環修復するように固定されてる。……まあ何を言いたいかと言うと、あのラーグとかいうヤツが言ってた通り、帝都全土を焦土にするぐらいじゃないと死ねないってことだ」


 アネスは人差し指を立てる。


「こいつの肉体は魔術的にも物理的にもこの世界の(ことわり)に縛られている。つまりこのままじゃあどうしようもないってことだな」


「……それで、どうすればいい。お前なら出来るんだろう。……こいつを殺す事が」


「ああ。――この世界の(ことわり)の及ばない場所へとブチ飛ばす」


 アネスは笑う。


「魔術式はこいつの魂に刻みつけられている。だがその魂を異なる世界に飛ばせば、この世界の(ことわり)である魔術式は分解する。そうすりゃ肉体の方は勝手に崩壊するよ」


「そんなことができるのか?」


「普通は無理だ。……だが私と、お前らの剣があればできる」


 そう言ってアネスはロロの持つ剣を指差した。


「ロロの剣、ラインカタルは次元に干渉する剣だ。私が重力に干渉して時空に歪みを作るから、そこをきっかけに次元の力で干渉をかける。……ただしラインカタルは術者に作用する剣だから、そのままじゃ力を使えない」


 アネスはそう言って、俺の剣に視線を向けた。


「お前の剣は魔力の属性を出力に転換する剣だ。……つまり、ラインカタルの時空干渉の力を斬撃に変える事ができる。そうすれば、次元ごと斬り裂くことができるようになるはずだ」


「……よくわからないけど、わたしは何をすればいいの?」


 ロロが尋ねると、アネスは頷く。


「いつもやってる……なんだっけ、あれ、ポリティカルコネクトなんちゃら? あれをエディンの剣に全力で叩き込めば良い」


時空斬獲剣(ポステリタス)()必乖断光刃(ウィクトリア)ね。次に間違えたら怒るよ」


 ……ロロのこだわりらしい。

 ともかく、そういうことなら早い方がいい。


「……俺はそれでアイツを切りつければいいんだな」


「そうだ。重力の歪みにな。……できるか?」


「やるよ」


 俺は姫の方へと向き直る。


「……それが俺が果たせなかった、責任だ」


「……エディンさん」


 ユアルが悲しそうに言った。


「あの人を……解放してあげてください」


「……ああ」


 あいつはユアルの父の仇だ。

 ……ユアルは俺のことをお人好しだと言うが、ユアルも人のことは言えないと思う。


 俺は剣を構えて心を落ち着ける。


「……いつでもいいぞ」


「オーケイ。じゃあまずわたしが時空を歪めるから、後は説明した通りにやってくれ」


 そう言ってアネスは、姫へと手のひらを向けた。


「……言い忘れたが、残り魔力が少ないから一発勝負だぞ。まあ失敗するようなもんでもないが」


 アネスはそう言って、魔力を放つ。


「――重圧縮退(グラビティパッカー)!」


 アネスの魔法によって姫の周囲の景色が歪む。

 そして彼女の胸の中心に、漆黒の闇が発生した。


「あ……! が……! ぐ……!」


 姫が苦痛に顔を歪ませる。


「――ロロ!」


「……いくよ」


 精神を集中したロロが、剣を振るう。


「奥義! 時空斬獲剣(ポステリタス)()必乖断光刃(ウィクトリア)!」


 ロロの無数の斬撃が、俺の剣の刀身を弾き叩いた。

 まるで鍛冶師が剣を鍛えるように、無数の衝撃が刃を打つ。


 一瞬で多量の負荷がかかるが、俺は踏ん張って剣を落とさないようそれに耐える。

 ……おそらくロロが打ち込み方向を調整して、俺に負担がかからないようにしてくれたのだろう。


 そうして俺の剣は、ロロの剣・ラインカタルの力を借り受ける。

 剣の刀身は鮮やかな緑色に輝き出した。

 俺はその剣を構える。


「……なあ、姫様」


 次元の剣の切っ先を、彼女の胸に向けた。


「……もしかしたら、今もユアルは父親と楽しく暮らしていて、俺もあんたの下でわがままを聞いていて、それで色んな不満もあるものの……それでも帝国の誰も傷付かず、のんびりと平和に暮らしてさ……」


 それは存在しなかった可能性。


「……そんな未来も、あったのかもしれないよな」


「……エ、ディン……」


 意識を取り戻したのか、姫がこちらに悲しげな表情を向ける。


「……だけど、こうなってしまった。後戻りなんてできない。きっとあんたに、帝国の姫なんて役柄は重すぎたんだと思う。――でも」


 ――十年も顔を付き合わせていれば、嫌でも愛着の一つは湧く。


「できることなら……来世は、平和に暮らしてくれ」


 それは俺の本心だ。

 俺の言葉に、姫は穏やかな表情を浮かべた。


「あり……がとう……」


 その言葉に、俺は目を閉じる。


 ――そして、一息に剣を突き立てた。

 次元の剣が圧縮された空間に反応して、その闇を斬り広げる。

 まるで闇が周囲の全てを呑み込もうとするように、引き込むような突風が吹いた。


「――間違っても呑み込まれるなよ!」


 アネスが声をあげる。

 数秒の間、引き込むような激しい風が巻き起こって――そしてすぐにその次元の切れ目は消失した。


 あとには何も残らない。

 姫だったものの周囲が抉れるように消え失せて、周囲の肉塊から血が吹き出た。




 * * *




「隊長! 敵が動かなくなりました!」


 ヴァンルークは部下の報告に目を向ける。

 すると今まで戦っていたバーサーカーたちが、次々と地面へと倒れていった。


「……何が」


 すると視界の端で、肉の管が(うごめ)いた。

 次々と周りの肉の管が黒く染まっていき、まるで植物が枯れたかのように干からびていく。

 それを見たヴァンルークは悟る。


「……あいつらが、やってくれたか」


 彼は半ばそれを確信しながら、空を見上げた。

 雲の切れ目から日が差し込む。

 まるでそれは帝国の空を、切り拓いた者がいたかのようであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読了後、わがまま姫の来世を想像してました。 「平和に暮らしてくれ」の言葉を覚えていること、虫嫌いなことの二点は確定として。 性格は全く変わらず、しかしある日エディンに似た人に出会い劇的に改…
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