90 無能の騎士VS無才の技師
「……くくく……! ははは……! いやあ、愉快愉快」
煙が晴れると、そこには丸い灰色の塊があった。
それは虫の繭のような姿だった。
彼はその姿からまた黒い人型に戻ると、頭部にまた人間のような顔を作って肩をすくめてみせる。
「……どうしました? 炎なら私を焼き殺せるとでも思いましたか? 残念ながら――」
「――強洪水害!」
アネスの呪文と共に大量の水が鉄砲水となってラーグを呑み込んだ。
しかし彼は涼しい顔をしてそれを受け止める。
「……やれやれ。宮殿をあまり汚さないでいただきたいですね。火がダメなら水とは、子供の駄々じゃないんですから。無駄な抵抗はおよしなさい」
水濡れになったラーグが、なんのダメージも負った様子を見せずに頭上を見上げる。
「……それにしても致命傷からの回復魔法の次は大量の炎、そして無からの水の精製と、さすがに大きな魔法を使い過ぎてはいませんか? 人間の魔力でまかない切れるものとは思いませんが」
「へっ……心配されるほどじゃねーよ。まだもうちょっと余裕はある」
「……それはそれは。それなら私がもっと本気を出してもいいということですね?」
ラーグはその口端を吊り上げて、不気味な笑みを作る。
アネスは額に汗を流しつつも、笑い返した。
「――そいつはできない相談だな。……ロロ! やれ!」
「なにっ……!?」
「――奥義! 時空斬獲剣・必乖断光刃!」
ラーグの四方から、四人のロロが彼を襲う。
「……このおっ!」
そんな幻影を見せられているはずのラーグは、さらに槍の本数を増やして四方に攻撃した。
……そのどれもが、空を切る。
「――すまない、それはハズレなんだ」
ラーグはロロの声を聞いて頭上を見上げる。
しかしそこに彼は何も見つけることができず、視線を泳がせた。
「……バーカ! わざわざ本物の姿を見せるはずねーだろ!」
上空のアネスが笑う。
ラーグは姿を視認できないまま、ロロにその体をバラバラに刻まれた。
俺の視点では、それはロロが頭上からラーグを切りつけただけだ。
だが彼はアネスの幻術によって、見えない敵に翻弄されていることだろう。
「――無駄だと言っているのがわからないのですか!」
ラーグはバラバラに刻まれたその体を浮遊させる。
細切れになっても彼にダメージはない。
ロロはその様子を見ると、すぐに後ろへ離れた。
――そして、それと同時に詠唱していたミュルニアの呪文が発動する。
「……あんまり使ったことない魔法だから、上手くいくかわかんないけどさ!」
アネスの発生させた水がミュルニアの元まで流れ着き、彼女はしゃがんでそれに手を触れた。
「酒精変換!」
酒を造り出す錬金術師用の魔術が、その水の性質を変化させていく。
「――おらミュルニア! これも使っとけ!」
アネスがそう言いながら帯魔のクリスタルを投げつける。
それをキャッチしたミュルニアは、地面に向かってクリスタルを叩き付けた。
「……お酒に、なれー!」
クリスタルから溢れ出る魔力がミュルニアの魔術を強制的に底上げし、水質の変化を促していく。
……そしてそれに声を上げたのは、ラーグだった。
「くっ……! これはまさか酒精……! このままではマズい、元通りに結合しては内部に酒精が染みこんでしまう……! だが……!」
ラーグは焦ったようにその刻まれた肉体を震わせた。
――ミュルニア曰く、酒は瘴気の力を弱める性質を持つらしい。
だからさきほどミュルニアは提案した。
……「高純度の酒をラーグにかけることで弱体化できるのではないか」と。
その結果はどうやら正解だったようだ。
「――くそっ! ここは一旦魔界に退いて……!」
ラーグが体の中から、また錫杖を取り出す。
どうやら魔界からグールを呼び出すのと同じように、逆に自分が魔界へ行くこともできるようだ。
――だがそうはいかない。
その前に呪文の用意はできていた。
「――ユアル!」
「はい!」
マフから降りた彼女が、赤い目のままその手に持った黒いステッキをラーグへと向けた。
ラーグは彼女が何をしようとしているのか気付いたのか、それに向かって声をあげる。
「――やめろ!」
「小火!」
初級の火炎呪文がユアルの杖先より放たれる。
それはユアルの規格外の魔力により高出力の火炎となって、ラーグを襲った。
「――うおおおおお!!」
激しい火炎の嵐がラーグを襲う。
ラーグは咄嗟にその身を集結させ身を守ろうとするが、その体に染みこんだ高純度の酒に炎が引火し、内部から彼を焼き尽くしていった。
「――あああぁー!」
ユアルが声を上げる。
同時に、魔法の反動により逆流してきた無数の炎が彼女を襲った。
「――魔力を防ぐ盾となれ! 普遍たる魔纏の刃!!」
俺はユアルの杖の上に重なるよう、剣を構える。
構えた剣は過剰魔力による反動を剣に吸収させることで、ユアルを炎から守る。
……そして重ねて、無詠唱による魔術を発動する。
「氷冷破片――四重!」
ユアルの魔力により溶け落ちそうになっていたその杖に、氷の魔術を放つ。
ユアルの魔力に対して俺の魔力量では焼け石に水かもしれないが――それでも少しでも持続時間を延ばす事はできるはずだ!
「……いけぇー!」
ユアルの炎がラーグに襲いかかる。
そうして灼熱の業火に焼かれ、ラーグは燃え上がった。
「……はあ、はあ……!」
杖先の炎が収まって、ユアルが杖を下ろす。
じっくりと三分ほどは炎を吐き出し続けたせいで、宮殿はその形を変え、天井が焼け落ちて吹き抜けになってしまっていた。
何重にも魔法で冷却を行っていたせいで俺も既に魔力が空に近く、ユアルの握っていた杖も負荷に耐えきれず焼け崩れてしまっている。
俺は真っ白になった丸い塊に近付く。
その塊に、剣の切っ先を突きつけた。
「く……くく……」
ラーグの声がした。
「……いいでしょう。どうやら……私の負けのようですね」
――そしてその肉塊がまるで灰のように、端からポロポロと崩れていく。
既に人型になることすらできないのか、球体のそれは徐々に風に削れらていった。
「……ですが……魔神の脅威は……消えません……。いつの日か……人類の……終焉……が……」
「……そのときはまた考えるさ」
俺はラーグの言葉にそう答える。
「俺はお前みたく、人間やめてまで危険に備えようとも思わない。……それに、まだ人間を見捨てるほど絶望もしていない」
俺は肩をすくめてみせる。
「俺はお前みたく頭も良くなければ、勇気があるわけでもないってことさ」
ラーグもなんの才能もなかったらしいが俺とコイツはちょっと違う。
「……どこにでもいるただの人間で、すまない」
「……ふ、ふふ」
既に半分以上その体が崩れ落ちたラーグは笑う。
「わかりました。結果はあちらで……聞きましょう……。あなたが来るのをあの世で待っています……。同じ無才の……同胞……よ……」
言葉と共にまるで最初から何もなかったかのようにそれは消える。
後には焼け焦げた宮殿の床だけが残った。
「同胞……ね」
俺は苦笑する。
「仲間にまでなった覚えはないんだが、いつの間にか懐かれちまったかな」
冗談めかしてそういう俺に、隣に座り込んだユアルもまた苦笑した。




