73 潰走の騎士
俺がギルドの中に入ると、ロビーの机に見覚えのある顔があった。
俺と同程度の年齢で、その長い髪を後ろで束ねた切れ長の目をした剣士。
名門出の一流騎士、ヴァンルークの姿がそこにあった。
俺はやや緊張しつつ、彼へと声をかけようとする。
何と声をかけたらいいだろう。
ここはきさくに、「よっ、久しぶり!」とでも話しかけるべきだろうか。
……いやいや、待て待て。
俺とあいつってべつに親しいわけでもなんでもないぞ。
せいぜい二、三度短い連絡事項のやりとりがあったぐらいで、話したこともあまりない。
……むしろ俺の事をちゃんと覚えているのか?
人違いとかではないのか?
知り合いっぽく話しかけて、「誰?」みたいな顔をされてしまったらどうする……?
俺はさまざまなパターンを考える。
一番無難な方向は……。
「何をぐだぐだしている。早く来い」
「げっ。……お、おう」
見つかってしまい、相手に先手を取られてしまった。
俺は気恥ずかしさ混じりで頭を掻きながら、席に座る。
そしてヴァンルークに向かって挨拶をした。
「えーと……一応久しぶりか。いったい何の用だ? 金なら貸せないぞ。俺が借りたいぐらいだからな、ハハハ」
俺の言葉に、ヴァンルークは真顔でこちらをにらみつける。
シーン……! とうるさいぐらいの静寂が周囲を支配した。
……俺が悪かったよ。
彼は俺の滑った久々に会った友人ムーブを無視して、口を開く。
「まずは状況を説明しよう」
なんだこいつ……。
俺と会話する気はないらしい。
まあそんなことは騎士団では慣れっこだ。
とりあえず話ぐらいは聞いてやるとするか。
俺は黙って彼の言葉に耳を傾けた。
「俺がいたのは東部のミルトアーズの街だ。デルゼン卿が反乱を起こし、領地の独立に向けて交渉をしていた。帝国が疲弊しているのもあって、交渉は双方合意の方向で穏和に進んでいたという」
初めて聞く話だった。
アネスから聞いた情報で、帝国各地で反乱が起こったり南のオルガス連邦に攻め入られていたのは知っている。
その為、俺が今いるレギン王国に攻めてくる余裕はないと判断した。
だが戦況がどうなるかわからないので、今も王国は着々と軍備を増強している――というのが現状だった。
ヴァンルークは話を続ける。
「だがあるとき状況が一変した。帝国軍が攻めて来たからだ」
つまり交渉は時間稼ぎで、騙し討ちだったということだろうか。
あの姫ならたしかにやりかねない。
ヴァンルークは声を潜める。
「……街は一夜にして壊滅した。俺は領主に縁があったので家族を頼まれたが……街で生き残ったのは、俺と領主の妻と娘……三人だけだった」
「……は?」
「無能だと笑うがいいさ。俺ができたのは、その二人の命を救うことだけだった。油断していたのもたしかだ」
「い、いや待て。騙し討ちだったんだろうし、それはいい。だが――」
いくら騎士団最強の腕前を持つヴァンルークとはいえ、一人で軍隊相手に戦うわけにもいかないだろう。
騎士は誰かを守る為に戦う。
仮に単騎で無双したとしても、迂回されてしまっては意味がないのだ。
しかし問題はそこではない。
彼は街が壊滅したと言った。
軍が壊滅したならわかる。
兵たちが皆殺しにされた、というのも見せしめならありえるだろう。
だが……街が壊滅しただと?
「俺の聞き間違いか? その言い方だと……街の市民が皆殺しにでもあったような言い方だな」
「間違っていない。街の住人三万が殺された」
ヴァンルークはさらりとそう言った。
「もちろん何人かは逃げおおせた者もいるだろう。だが街は焼かれた。そしてそれは、他の街も同じなのだ」
「他の街も……?」
聞き返した俺に、ヴァンルークは頷く。
「噂によれば、オルガス連邦に占領された街を次々と焼き払っていたらしい。もちろん街の住人は帝国の民だ。俺がいた東部と違い、裏切りに協力したわけでもない」
「……おいおい。いくらあの姫様でも、そんなことするわけがないと思うが」
「……そもそも、彼女が指揮を執っているはずもないんだ」
俺の言葉に、ヴァンルークはそう返した。
「俺はお前が国を去った後、軍属を抜けた。その後政変があり、姫は一旦政治の場から遠ざけられたと聞く。だから今は貴族院の老人たちが帝国を支配している……はずだった」
「いくら耄碌した爺さんたちとは言え、街をポンポン焼くような事するか? そもそもあの騎士団長がやらんだろ」
「同感だ。ヤツは慎重ではあったが無策ではない。この進軍は、帝国自身の首を絞めることにしかならないだろう。行き着く先は国の終焉だ」
考えずともわかる。
国を支える民を殺し尽くせば、国は滅びる。
ヴァンルークは言葉を続けた。
「だからこそ、何が起こっているのかが知りたい。街を襲った帝国兵は誰の命令で動いているのか。いったい帝国に何が起こっているのか。……誰が裏で手を引いているのか」
彼はまっすぐとこちらを見つめた。
「だが軍を抜けた元騎士である俺に、何かをできる力はない。……だが」
ヴァンルークは机の上で祈るように手を組んだ。
「頼むエディン。力を貸して欲しい」
彼はその姿勢のまま言葉を続ける。
「……騎士だったとき、俺はお前が虐げられているのをわかっていた。なぜ反論しないのかと、なぜ殴り返さないのかと不思議に思っていた。今でもそれを後悔するような人間性を、俺は持ち合わせていない。俺を恨むならそれもいいだろう」
彼は正直にそう語った。
……ある意味芯がしっかりしている。
「しかし俺は仇が討ちたい。デルゼン卿と、無実の帝国の民たちと、無力だった俺の罪滅ぼしの為に。それには他国の力が必要だ。お前がこの国で英雄となっているという噂は聞いていた。だからこうして頼みに来たのだ」
彼は目を閉じ、頭を下げた。
「前線に送ってくれて構わない。もし生き残った暁には、この国に忠義を尽くそう。エディン、お前にも可能な限りの礼を尽くす。だから……帝国の闇を打ち払う為に協力してくれないか」
彼はそこまで言って、口を閉じた。
……ヴァンルークは正直な男だ。
決して自分の意思を曲げず、他人の顔色などうかがわず、高潔と言っていい騎士だろう。
周りに合わせて済ませてしまう俺とは、大違いだ。
……だからこそ、彼がこうして頼みに来ていることを無碍にしたくはなかった。
「俺はただの冒険者だ。やっていることは今でも雑用みたいなことがほとんどだし、俺にできることなんてほんの少ししかない」
そう言って彼の手を取る。
「……だけど、もしかしたらそのほんの少しの事に、お前に協力できる事があるかもしれない。何せこの国のみんなは農民から王子にいたるまでお人好しでね。それに対岸の火事と放っておくには、少々事態が重すぎる」
負けていたはずの帝国軍がオルガス連邦に勝っているというのも気になるところだ。
その攻撃がいつレギン王国に向かないとも限らない。
俺の言葉に、ヴァンルークは絞り出すように声を出した。
「――恩に着る」
「なに、同郷のよしみってやつさ。……でも何かするにせよ、帝国と事を構える必要がある。ヴァンルーク、お前にも働いてもらうぞ」
「ああ、もちろんだ。我が剣の使い道、お前に預けよう」
そう言ってヴァンルークは、ここに来て初めての笑みを浮かべた。
……さてそうなるとまずは。
「話は聞かせてもらった!」
耳をつんざくような大きな声がかけられる。
……戦場でも響き渡るようなこの大きな声は。
「なんと興味深い事か! 帝国のその不可思議な情勢――改めて聞かせてもらいたい。なに、出来る限りの協力は約束しよう! ……レギン王家の名に賭けてな」
「王家の名をあまり安売りせんでください。……っていうか、なんでこの街にいるんですか」
俺がそう突っ込むと、獅子のような髪をした大男は笑う。
そこには護衛の臣下を連れたレギン王国第一王子――フォルティード殿下の姿があった。




