66 大人のレディ大作戦
「ふわぁう……」
その日も賢者アネスの朝は遅かった。
彼女はエディンの家の客間で目覚めると、そのまま居間へと行く。
しばらくぼんやりと窓から注ぐ日の光を浴びたあと、気が付けばいつも通りにユアルによって着飾られているのだった。
「今日はツインテールのゴスロリ衣装か……。悔しいがセンスがいい……」
彼女がそう思いつつ鏡を見つめていると、ユアルがお茶を持ってやってきてクスクスと笑った
。
「おはようございますアネスさん。エディンさんはギルドのちょっとした用事があるとかで、もうすぐ帰ってきますよ」
「そうか……。忙しくさせてすまないな」
「聞く話では騎士だったときの方が何倍も忙しかったような話をしてるので、エディンさんは気にしてないと思いますよ」
笑うユアルに、アネスはバツが悪そうに頬をかいた。
「わたしもわたしで研究もあるし、この不便な体もどうにかしなきゃいかん。それに王子からの政策や軍事方針についての手紙がわんさかたまってて……まったくそれぐらい一人で考えろってんだ。まあその手が足りてないからわざわざわたしが指名されたんだろうが」
アネスはため息をつきつつ、ユアルの淹れたお茶に口を付けた。
レモンに似た香りのするハーブティーだった。
「……ていうか、わたしが謝ってるのはエディンにじゃなくてお前にだよユアル」
「わたしに……ですか?」
首を傾げるユアルに、アネスは頷いた。
「ああ。旦那を忙しくさせてすまないな」
「……だ、旦那だなんて、そんな……!」
ほんのり赤く染まった頬を押さえるユアルに、アネスは意地悪く笑う。
「おいおい、いつまでそんなこと言ってんだ。若い男と女が一つ屋根の下で暮らしてたら、することなんて一つだろ? 生娘じゃあるまいし」
「生娘です!」
「言葉の綾だ。年頃の娘がそんなこと真面目に答えるんじゃない。そういうときは適当に笑って誤魔化しとけ」
自分から言っておきながら注意するアネスに、ユアルは口を尖らせた。
アネスは腕を組んで、眉をひそめる。
「しかしなんだ、これだけ慕われてるのに手を出さないなんて何かあるのか? そういえばあいつ、わたしにもちょっかいをかけてこないな……こんなに美少女だっていうのに」
「……エディンさんのこと、発情期の獣か何かだと思ってません?」
「男なんて年中発情してる犬みたいなもんだろ」
「元男性にそういうこと言われるとなんとも否定しづらいですが、それは世の男性方を敵に回す発言なのでは……?」
苦笑するユアルに、アネスは笑った。
「男は狼だと思うべきだ、って話だよ。幻想を抱くよりは何倍もいいだろ」
「そんなもんですかね……」
「まあそれよりも問題はエディンについてだよ。あいつがいつまでも紳士の仮面を被り続けていられるのには何かあるはずだ……。何せわたしもユアルもこんなに魅力的なんだからな。わたしは知ってるぞ、ユアルの胸がけっこうあることを」
「さらっと変なことを言わないでください。セクハラされたってエディンさんに言いつけますよ」
「いや本当やめて。わたしの品格が下がる。……というか事実だろ事実。隠れ巨乳ウィッチめ」
「変な呼び名を付けないでください」
ユアルはそう言って胸元を抱きしめるような仕草をする。
アネスは口元に手を当てて、真剣に悩むような仕草をした。
「うぅーん……しかしそうなると……はっ!? まさかあいつ……男色の気が……?」
「それならアネスさんは恋愛対象に入るかもしれませんよ。よかったですねー」
アネスの言葉に、ユアルは呆れたようにそう言った。
アネスは首を横に振る。
「いやいや、さすがにそれは冗談にせよ、やっぱり何か理由があるはず……。ユアルは何か思い当たることはないか? たとえば……熟女好きとか」
「熟女……はっ!? そういえば……!」
「何か知っているのか!?」
「熟女というほどでもありませんか、ギルドの受付のトリシュさんの前ではよくデレデレしているような気も……!」
「トリシュか! 婚期を逃して絶賛彼氏募集中というあの……!」
「さらっと個人情報が!」
アネスはぶつぶつと言いながら、何か考えるようにうつむいた。
「……よし、思いついたぞユアル」
「な、何をですか……?」
「ふふ……。エディンの本性を知る為の作戦……名付けて、大人のレディ大作戦だ……!」
そう言って賢者は邪悪に笑う。
一方のユアルは、呆れたような表情でアネスを見つめるのだった……。
* * *
俺がギルドの用事を済ませて家に帰ると、ユアルが出迎えてくれた。
「おかえりなさいエディンさん」
「ああ、ただいまユアル……おおう!?」
思わず俺は声をあげてしまう。
そこにいたユアルの姿が変わっていたからだ。
「ふふ、驚きました?」
「そりゃ驚くが……」
俺の目の前にいたのは、少し成長したユアルの姿だった。
十五、六歳ほどのいつもの姿と違い、二十代中盤から後半程度の年齢の容姿となっている。
身長がわずかに伸びて、美しさには磨きがかかっている。
なにより自然と目が向いてしまうのが、その胸元だった。
こんな不躾な視線を送るのはよくないのだと思いつつ、大きな乳房につい目がいってしまう。
服装も今日は体のラインが出る白いニット生地の服を身につけており、目のやり場に困った。
……いや、というか。
「……幻術か?」
「当たりだ」
廊下の奥から、アネスがそう言って登場する。
いつも通りの恰好の彼女は、仁王立ちしながらこちらを見つめる。
「おっと、幻術破りの会話は効かないぜ。一度見た以上、きちんと対策してある。外見を本物のユアルに被せてるだけだから、ちょっとやそっとじゃ破れないぞ」
「……そうか。まあべつにいいが、なんだってこんなことを」
俺の疑問に、ユアルが答えた。
「エディンさんは男の人が好きなんじゃないのか~ってアネスさんが言うからこうして誘惑してみろって」
「バッカ、ネタばらししたら意味がないだろ!」
アネスの言葉に俺はため息をつく。
「またアホなことを……。アネスとしては俺がどんな反応したら成功なんだよ」
「それは……『ぐへへー、やっぱこれぐらいの年増女が俺の好みだぜ~』みたいな?」
「いったいどこのならず者だ、それは」
俺の言葉にアネスは口を尖らせた。
「わたしやユアルがこんなに可愛いのに反応しないなんて、お前の趣味が悪い以外にないだろ!」
「……俺はロリコンじゃないだけだ。お前の外見年齢や、ユアルの歳の子に手を出したら問題があるだろう」
たしかにユアルは国でも婚姻が認められている年齢ではあるだろうが、かといって十近く歳が離れているであろう相手と親密になるのは、相手を利用しているようで嫌だった。
……ユアルだってきっとあと数年もすれば、俺なんかよりもっといい相手が出来るはずさ。
俺の言葉にアネスは不服そうな顔をするが、一方のユアルは笑みを浮かべる。
ユアルは少し照れた様子を見せながら俺に笑いかけた。
「……えへへ。それだけエディンさんが大事に思ってくれてるってことですよね。……嬉しい」
「う……」
その屈託のない笑みが、俺の心に刺さる。
成長してかなりの美人となったその笑顔なら、俺でなくとも大半の男は一撃で恋に落ちてもおかしくない。
俺は誤魔化すようにして、彼女の頭に手を触れた。
「……お、おおう! そうだぞ、大事だ! それにしても凄いな幻術は! 将来ユアルの身長はこれぐらいまで伸びるのかな!」
俺の手がユアルの頭頂部の髪をすり抜ける。
実際の身長は伸びていないので、幻術に対してそんな現象が起きた。
俺は同じように、彼女の胸元にも手を伸ばす。
「いや、でもさすがにちょっと胸は盛りすぎじゃないか? いくら誘惑が目的とはいえ、こんなに成長するとは……」
ふに、と手に感触が返ってきた。
幻影であるはずの彼女の胸が弾力を返してくる。
……え?
見れば、ユアルの顔が真っ赤に染まっていた。
アネスが呆れたように口を開く。
「べつに胸の大きさは弄ってないぞ。……服装は変えたし、いつもより寄せて上げさせたが」
つまり……今のは……?
ユアルはうつむいているのでその表情は読み取れないが、耳の裏まで赤くなっている。
……。
…………。
……俺は全てを察して、両手を上げた。
「言い訳はしない。俺の行動が軽率だった」
目を閉じる。
……そういえば、はるか彼方の地では自身が罪を犯したときに腹を切って自害する部族がいると聞く。
俺もそれに習おう。
「――殺せ」
このまま死んでしまいたい――。
そう思った俺に、ユアルは口を開く。
「……ご、ごめんなさい! 気にしないでください! その……イタズラしちゃったのはわたしなので……。エディンさんは悪くないので……。わたしはなにも全然気にしてないので……」
消え入りそうな声でユアルはそう言った。
なんて良い子だ。
くそ、いったい誰が彼女をこんな酷い目に遭わせたっていうんだ!
立ち尽くす俺たち二人を見ていたアネスが口を開く。
「ま、胸は揉まれれば大きくなるっていうしな。気にすんな気にすんな」
あっけらかんと笑うアネス。
……元はと言えばこいつが変なことをユアルに吹き込んで幻術をかけたのが悪いのでは?
俺は八つ当たりぎみにそんなことを思って、アネスを指差す。
「……よし、そういうことならユアル、アネスの胸を揉んでやるといい。気にしなくていいらしいからな」
「……は!? い、いやいや! わたしはべつに大きくならなくてもいいし……今が最高だし……」
怯えるような様子を見せるアネスの顔を見て、ユアルは頷く。
「……そういえばアネスさんの胸、綺麗な形してますよね」
「お、おい! なんでお前も乗り気なんだよ! や、やめろ……近寄るな……!」
後ずさるアネス。
俺はユアルに指示を出す。
「……よし行け! ユアル!」
「はいっ!」
ユアルはまるで命令を受けた犬のように廊下を駆け出す。
アネスはそれを見て、慌てて逃げ出した。
「まて! わたしが悪かった! 話せばわかる!」
「アネスさん、待ってー! 優しくしますよー!」
楽しそうに笑ってユアルは駆けていく。
アネスは体力がないので、たぶんそのうちユアルに捕まることだろう。
広い屋敷の中で鬼ごっこをする二人の声が響く。
屋敷の中には、騒がしいが平和な時間が流れているのだった――。




