64 ベッドの上の賢者
「……ふー、まったく朝から忙しいのは勘弁して欲しいな」
荷馬車の遅れがあったせいで、冒険に持っていく為に準備していたランタンや非常食といった装備の納品がいっぺんに行われることになった。
その対応のせいで午前中が丸々潰れてしまったのだ。
いくら自分で発注した物品とはいえ、トラブル対応はやはり疲れるな……。
そんなことを思いながら自室へと戻った俺は、そこに広がっていた光景にフリーズする。
「……ケツ」
思わず俺がそうつぶやいてしまったのも無理はないだろう。
ベッドの上に、下着姿の少女がいた。
彼女はしゃくとり虫が動いている最中のような姿勢で、尻をこちらに突き出しつつ動かない。
白いレースの下着が、その肌の綺麗さを引き立てていた。
「……いやいやいや」
俺は額に手を当てつつ状況を整理する。
あの髪色からしてそこにいるのはアネスだ。
俺は落ち着いて彼女に声をかける。
「おい、何してるんだ。そこは俺のベッドなんだが」
彼女は答えない。
それどころか微動だにせず、ベッドの上でお尻を突き出し続けている。
返事がないことに不審に思いつつも俺は彼女に近付いてみることにした。
ベッドの横までくると、彼女の表情がわかる。
「……寝てるのか」
彼女は穏やかな表情ですぅすぅと寝息を立てていた。
苦しそうな様子などはない。
「おーい、起きろー」
呼びかけてみるも反応がない。
……まったく、人のベッドで寝ているなんて迷惑もいいところだ。
……それにしても、本当に人形のように綺麗な顔立ちと体だ。
アネスがどういう理屈で今の体になったのかはわからないが、長い睫毛に整った顔立ちはまさに美少女だ。
中身がアネスだというのに、少しだけ緊張してしまう。
今自室のベッドの上には、下着姿の美少女がケツを突き出して寝ているのだ。
「……いや、どんな状況だよ」
俺は冷静にツッコミを入れながら、アネスの肩を掴んで起こした。
依然、反応はない。
俺はそのまま彼女を転がすと、仰向けにした。
下着姿を隠すように布団をかけてやる。
「――ふぅ。しょうがないから寝かせておいてやるか。俺は紳士だからな」
俺は自分にそう言い聞かせる。
寝てる相手にイタズラなんて、紳士の俺がするわけないだろ。ハハハ……。
「……それにしても全然起きないな」
俺はもう一度アネスの顔を見る。
そこには変わらず美しい少女が寝ていた。
「……本当に寝てるのか?」
俺はそう言いながら手を伸ばす。
ゆっくりと彼女の頬に指を近付けた。
そっと指先が頬に触れる。
――柔らかい。
「……おい、起きてるんじゃないのか。お前、俺をからかってるんだろう」
ぷにぷにとした頬を指先でつつく。
その肌触りの良いさらさらとした頬は、俺の指を包み込むかのように反動を返した。
「……起きろ」
頬を軽くつまむ。
指で引っ張ると、ぐにーんと頬が伸びた。
「これでも起きないのか……。何をしても起きなそうだな」
揉むように彼女の頬をぐにぐにと指で挟む。
聞こえるのは彼女の静かな寝息だけだ。
「……アネス、お前」
俺は布団をそっと剥がす。
下着姿の彼女の体が見えた。
俺はその胸元に手を当てる。
ゆっくりとした心臓の鼓動と、彼女の体のぬくもりが感じられた。
「……もしかして」
俺は指先の神経に意識を集中させる。
少女の体温が俺の手に伝わってくる。
そうして少女の美しい顔を見つめていると――。
突然、彼女の目が開く。
同時に上半身がバネのように起き上がった。
「――いってぇ!」
当然、彼女の顔を覗き込んでいた俺とぶつかった。
その衝撃に俺は思わず声をあげてしまう。
アネスに勢いよく頭突きされた俺が起き上がると、見ればアネスも同じように額を押さえてベッドの上で痛みに悶えている。
「いたたた……!」
どうやら目が覚めたらしい。
俺はベッドの上にうずくまって痛みをこらえる彼女に、声をかける。
「突然……何しやがる……」
「すまん……頭突きするつもりはなかったんだが……」
涙目になりながら彼女はそう謝った。
赤く腫れた頭をさすりながらこちらを見る。
「……いやあ、のんびり風呂入ってたら魔力が切れちまって。自分の部屋に戻るまで持ちそうになかったから、この部屋に退避した」
……やはりそうだったのか。
アネスは自分の体で魔力を生成することができず、さらに魔力が尽きると動けなくなるらしい。
その為、いつも帯魔のクリスタルを身に付けている。
だが今回は下着姿で寝ていたのでもしや……と思って、試しに心臓に魔力を流し込んでみた。
すると案の定、こうして復活したというわけだ。
「いやー、助かった助かった」
彼女はケラケラと笑いながら、頭をかく。
……俺の部屋で倒れてくれていて良かったと言うべきか。
もしアネスが自分の部屋で倒れていたら、誰にも見つけられずにそのまま死ぬまで寝ていた可能性もある。
俺は呆れてため息をついた。
「まったく、不用心だな。自分の生命線だってのに」
「いや面目ない。まあお前なら何も言わずとも察してくれると信じてたよ」
いったいどこからその自信がわくんだか。
……それにしてもこの状況は良くないな。
「いいからさっさと部屋に戻ってくれ。下着姿で俺のベッドの上にいるとか、誰かに見られたら勘違いされかねない」
「……ほう? 勘違い?」
アネスはにやりとその顔に意地の悪い笑みを浮かべた。
「寝てる間にわたしの体をあれだけ弄んでいたのに、勘違いも何もないだろう」
「お、お前、寝てる間も意識が……!?」
俺はその言葉に、慌てて言い訳する。
「いや、あれはノーカウントだろ! お前が起きてるかどうか確認しただけだし!」
「えー? あんなに揉んだりつねったり引っ張ったりしておいて、そんなこと言うのかー。悲しいなー。ユアルに言いつけちゃおっかなぁー」
「言い方! 揉んだりつねったりしたのは、ほっぺだろほっぺ!」
俺の言葉にアネスはケラケラと笑う。
彼女は笑いながらベッドから降り、立ち上がった。
「……けけけ。しばらくこのネタで脅せるな」
「こいつ……!」
こいつは今後人々に悪さを働かないよう、ここで懲らしめておいた方がいいかもしれない……!
俺はそんなおとぎ話の悪鬼にでも抱くような感情を心の中に渦巻かせていると、彼女は振り返って微笑んだ。
「冗談だよ。……その……」
そうして視線を逸らして、少しだけ頬を赤らめた。
「あ、ありがとな、エディン。……とっても助かったよ」
「……おう」
俺は小さく返事をした。
どうやらアネスの言動は照れ隠しだったらしい。
彼女はバツが悪そうな様子で、そそくさと部屋を出ていく。
そして一瞬間を空けてから、もう一度扉を開いてその顔を覗かせた。
「……おっぱいぐらいなら触らせてやろうか?」
「いらん! 早く戻って魔力充填しろ!」
俺の言葉に「は~い」と返事をして、アネスは自分の部屋に戻っていく。
残された俺は、アネスの謎の気遣いに謎の脱力感を感じた。
「……疲れた」
俺はベッドに座る。
そこにはまだ少女のぬくもりが残っていた。
……今一瞬、「触らせてもらっても良かったかもしれない」なんて思ってはいない。
本当だ。
全然、ほんの少しも、全く……思ってない……と思う……。




