62 錬金術師のお手伝い
「お兄さぁん……お兄さぁん……」
「なんだその声は、ミュルニア」
俺がギルドで次の冒険の参加者向け支給品をまとめていると、ミュルニアが甘えるような声で机の下から顔を出した。
ミュルニアといくつか仕事やプライベードで付き合っているうちに理解してきたが、彼女がこうして近付いてくるときは警戒しなければいけないときである。
ミュルニアはにんまりと笑うと、おずおずと用件を切り出した。
「ちょっとだけ……錬金術の研究に力を貸して欲しいなぁと思って……」
「断る」
全力で第六感が警報を鳴らしていたので、俺は一言で断って手元の書類に目を移した。
ミュルニアは俺の冷たい態度に口を尖らせる。
「なんでなんでなんでー! せめて内容ぐらい聞いてくれたっていいじゃん! どんだけうちのこと信用してないのさー!」
「……それは冒険者として、もしくは依頼人としての頼みか? それとも友人としての頼みか?」
「……友人としての頼みです」
「なら却下だ。仕事上のお前は信頼しているが、友人としてのお前は一切信用していない」
「ひっどーい」
ミュルニアはけらけらと笑う。
どうやら気にしていないところを見ると、多少の自覚はあるらしい。
彼女はテーブルに肘をついて、上目遣いで俺を見つめた。
「お願いお願い……! お兄さんしか頼れる人がいないの……!」
「……断るって言っただろ」
「お兄さんがいなかったら、知らない人に頼むことになるし……何かあったらと思うと……」
ミュルニアが目を潤ませる。
絶対泣き真似だ。こういうときこそ、こいつに関わるとロクなことにならない。
……とは思うのだが。
「……とりあえず話だけなら聞いてやる」
「やったあ! お兄さんやっさしい!」
「聞くだけだからな!」
……俺も人の性格をとやかく言えないぐらい、甘い性分なのであった。
* * *
「……やっぱり帰っていいか」
「なんで!? ここまで来たんだから付き合ってよ!」
俺はギルドでの用事が終わった後、ミュルニアの家に来ていた。
彼女の家は、町外れにあるそこそこ大きな邸宅だ。
白い壁には何本ものツタが這っており、まさに「魔女の家!」と全力で主張しているような家だった。
中に一歩入ると、玄関にはいくつかの靴が散乱していた。
廊下には古い本やら布の塊やらで、人一人分が通れそうなスペースしかない。
「……いや、人を迎え入れられる状態じゃないだろ」
「ちょっっっとだけ散らかってるけど、遠慮せず上がって上がって。……ヘタに動かすとどこに物があるかわかんなくなっちゃうからさ」
ミュルニアはひょいひょいと荷物を避けて奥へ進んで行く。
俺は嫌な予感が正しかったことを実感しながら、その後ろを付いていった。
「どうぞどうぞ。座って座って」
「……どこに?」
「適当な空いてる場所に……」
「空いてる場所がないんだが?」
彼女の部屋の中はこれでもかというほど散乱していた。
杖や触媒らしき鉱石といった魔術師らしいものから、拷問器具のように見える何かの金具まで、一見するとよくわからないさまざまな物が部屋を占有している。
ミュルニアは俺の近くの一画を足でざざっと寄せると、そこに椅子を置いた。
……こいつ、絶対今ので何がどこにあるかわからなくなっただろ。
俺はため息をつきながらもその椅子へと座る。
「だ、大丈夫……生ゴミとかは放置してないから、腐ってたり汚かったりするものはないはず……」
「大丈夫のハードルが低すぎるだろ……」
呆れながらため息をつく。
ミュルニアは苦笑しつつも、一本の試験管を取り出した。
中には赤色の液体が入っている。
「じゃじゃーん! これが開発した男性用飲み薬……『一目惚れ~るZ』!」
「ネーミングセンス……」
「気にしない気にしない! さあこれをぐいっと」
そう言って薬を渡される。
蓋を開けてみると、ミントのような刺激臭が鼻をついた。
「……本当に安全なんだろうな……?」
「大丈夫大丈夫! 材料は全部普通に使われる安全なものを使ってるし、動物実験もしてみたし、うちも飲んだけど何も異常なかったから!」
ミュルニア曰く、女性には効果がないとのこと。
効果は今のところほんの数分程度なので、危険はないとのことだったが……。
「……まあお前の錬金術師としての腕は信頼してるよ」
俺はじっとその薬液を見つめる。
ミュルニアは一攫千金を狙って惚れ薬を作ってみたらしい。
だがもし知らない男に飲ませて効きすぎてしまった場合、自身の貞操の危機が心配ということで俺に依頼したとのこと。
俺が相手でも危険度はそんなに変わらないと思うのだが、もしかして俺は男と見られてないのだろうか……。
そう思いながらも、俺はそれを口に近付けてみる。
刺激臭に混じってわずかにフルーティな香りもした。
……これならいけるかもしれない。
俺は覚悟を決めて、それを口に運ぶ。
――まっず!
「……ぐっへ。メチャクチャ苦いなこれ……」
「だよねー。食べ物に混ぜるとかは無理っぽいよね。まあ悪用されにくいのは良いことだけど」
……惚れ薬なんて悪用以外に何に使うんだ?
相手の気持ちを無視する用途にしか使われないのでは……?
今更そんなことを考えていると、ミュルニアが真面目な顔で話しかけてくる。
「どうどう? 何か変化あった?」
「……うーん」
体の調子を確認するも、特段おかしなところはない。
ミュルニアの顔を見ても、普段より魅力的に見える……なんてありがちなこともなかった。
「特にないな。動物実験ではどんな効果が出たんだ?」
「ネズミに使ったんだけど、メスと一緒にしたらすぐに交尾始めたよ!」
「……媚薬じゃねーか!」
俺の言葉に、ミュルニアは苦笑する。
「だ、だって動物相手じゃそれしか判断基準ないじゃん? 愛を囁き始めるわけでもないしさ」
ミュルニアの言い訳に、俺は呆れる。
それは本当に惚れ薬と言えるのか?
一応、俺はもう一度その観点から自分の体を――特に一部を意識して――確認してみるも、特段普段と変わりはなかった。
……ちょっとでも期待しなかったかといえば嘘になるが。
「……べつに何も効果はないな」
「そっかそっか。おっけー」
彼女はそれを気にする様子もなく頷いた。
……どうやら実験は気が済んだらしい。
俺はその反応に、疑問を口にする。
「……失敗したのに悔しくないのか?」
「全然! 百回の失敗は、一回の成功の為の前準備だからね!」
ミュルニアは笑顔でそう答える。
……きっと彼女が錬金術師を続けられるのは、そんな心構えがあるからなのだろう。
たくましい信念だ。
……それにしても、部屋が散らかっている。
まるで百回の失敗を体現するかのように、ミュルニアの部屋は汚かった。
……一度ユアルと一緒に来て、片付けてやった方がいいかもしれない。
俺がそんなことを考えていると、突然ミュルニアが顔を近付けてきた。
「……な、なんだ?」
「……くんくん……お兄さん、なんかすっごく良い匂いするね……。安心するっていうか……」
「そ、そうか?」
昨日風呂に入ったはずだが……。
俺は自分の匂いを嗅いでみるが、特に何も感じなかった。
ミュルニアはリラックスしたような表情で、俺の胸に顔を寄せてきて息を深く吸った。
「おお……これは……キく……」
これは……もしや薬の効果か?
トリップしたような様子を見せるミュルニア。
俺はその効き目に、若干の不安を感じた。
「……起きろ」
「びえっ!?」
ミュルニアの頬をはたくと、パチーンと小気味良い音がした。
ミュルニアは一瞬空中を見つめた後、俺の方へと振り返る。
「……やっべ! 今このまま抱かれてもいいなって思ってた! 止めてくれてありがと!」
「どういたしまして……」
どうやら止めて良かったらしい。
ミュルニアの様子からして既に効果は切れたようだが、これは悪用されるとマズイ気がする。
「……ヤバそうな薬だから、外に出すのはやめといた方がいい」
「そうだね……。この薬はなかったことにしよう……」
ミュルニアは額に浮かんだ汗を拭いつつ頷いた。
ヘタに使ったら望まれないベビーブームが起こるかもしれない。
ミュルニアはメモを取りつつ、上目遣いでこちらを見た。
「でも、ちょっとだけ気持ち良かったな……。あのまま続けたらどうなるんだろ……。ねえお兄さん、また今度この薬――」
「――断る!」
俺はキッパリとミュルニアの誘いを断る。
……依存性があったりしたら大変だ。
そんな俺の態度にミュルニアは不満そうな顔をしていたが、結局は諦めて納得してくれた。
そうして俺はミュルニアの家を後にする。
帰り際、見送る彼女に俺は告げた。
「今度ユアルと来て掃除してやろう」
「ええ……。それは……うーん、どっちかというと嬉しいけど、申し訳なさが勝つかな……!」
「お前に遠慮という気持ちがあったのか」
「お兄さん、うちをなんだと思ってるの……?」
彼女と冗談を交わしつつ、うちへと戻る。
念のため残り香がついていないか気になり、その日は昼間から風呂に入って優雅な気分で一日を過ごした。




