52 死亡フラグによろしく
「目標は森に入ったみたいです」
マフに乗って伝令役を務めるユアルがそう言った。
戦場は岩場の渓谷から、その西にある森へと移っていた。
足場が悪い為、この場ではソードタイガーの足が一番早い。
俺は一足先に森の中に身を潜めたまま、ユアルの報告を聞いて頷く。
「想定通りだ。……あまりこうなって欲しくはなかったが」
一番理想的な展開は、敵の軍がこちらに恐れをなして逃げ帰ってくれることだった。
だが彼らはあくまでも王国を目指すらしく、森へと入った。
ならば、迎え撃つしかない。
「相手の分断した部隊の様子は?」
「落石に付与した魔術トラップも功を奏したのか、今は一歩も動けず救助待ちですね」
トラップに殺傷力はないのだが、落石をどかそうと近付けば大きな音が鳴るようになっている。
脅かすだけではあるが、どうやら上手くハマってくれたようだ。
「俺が騎士だったとき散々帝国軍の状況は見てきたから、士気が低いのはわかっている。責任が怖くて、各々の判断で動くようなヤツはほとんどいない。分断されたら救援を待つ以外に何もしようとしないはずだ。……問題はやはり数だな」
戦力は未だに相手の方が倍以上多い。
多少数は減らしたものの、このまま正面から戦っても勝てないだろう。
「なので地の利を最大限に生かす。……狙撃隊はそれぞれの配置に付いて準備。敵軍が所定ポイントに侵入したら、同時に攻撃を始める。タイミングはミュルニアに任せるから、よろしく頼む」
「了解です、エディンさん。ミュルニアさんに伝えに行きますね」
ユアルは頷くと、マフの背中に乗り込む。
俺は彼女へと声をかけた。
「ユアル。……この作戦は危険だ。もう二度と会えない可能性もある。だから――」
ユアルはこちらを見つめ、黙って耳を傾けた。
俺は言葉を続ける。
「――だからそのときは、お前は街に戻って作戦失敗を報告してくれ。そのあとは無理に戦いに付き合う必要はない。好きに生きて欲しい」
俺がそう言い終わると、ユアルは笑みを浮かべた。
「……なんだ。『帰ったら結婚してくれ』とか言われるのかと思って期待したのに」
「――は!? な、そ、そんなこと突然言うわけないだろ!?」
「サプライズのプロポーズってよく聞くじゃないですか」
ユアルは俺をからかうようにクスクスと笑う。
「まあでも、戦場で『帰ったら結婚しよう』は絶対死亡フラグなので言っちゃだめですね」
「だから言わないって」
「ちぇー」
ユアルは唇を尖らせる。
……言って欲しいのか言って欲しくないのかどっちなんだ。
ユアルはもう一度笑って、人差し指を立てた。
「帰ったら一緒に、デートしましょうねデート。トリシュさんが教えてくれたんですけど、美味しいパンケーキ屋さんがあるんですよ。あといい加減、新しい服買いましょう? 見繕ってあげますね。そういえば街の公園にもまだ言ってませんよね。今度一緒に行きましょうね。ああ、そうだ。ミュルニアさんの家にも遊びに行きましょう。遊びに来てって言われてたんです。それからロロさんも、前の四人パーティのときのメンバーでまた冒険しようって言ってくれてたんですよ。あ、もちろんマフちゃんも一緒にね」
まくし立てるように話す彼女に、俺は苦笑する。
「……戦場で帰ったあとの約束をしたら、死ぬんじゃないのか?」
俺がそう言うと、ユアルは笑った。
「あからさまにたくさん乱立しておけば、無効になるんです」
「そういうもんか」
「はい、そういうもんです」
彼女はそう言うと、「ではエディンさん、また後で」と言ってマフと共に去っていく。
戦場にふさわしくない、気の抜けた会話だった。
……でもなんだかんだ、今の会話で緊張が解れたな。
ユアルがいてくれて良かった――。
「――恋人との挨拶は済んだ?」
「うわっ!?」
突然かけられた声に、俺は驚きの声をあげる。
振り向けば、そこにはニヤニヤとした笑みを浮かべた銀髪の剣士がいた。
「盗み聞きとは趣味が悪いぞ、ロロ。それにユアルとはそういう関係じゃない」
「そうなの? まあ聞こえちゃったから仕方ない。聞かれるような声で話すのが悪いね。もっと抱き寄せて耳元で囁くぐらいしないと」
なんで戦場で女の口説き方を教えられなきゃいけないのか。
俺はため息をつきつつ、ロロの顔を見つめる。
「ロロ、期待してるぞ。お前にかかってる」
「うん、任せて。……わたしは大丈夫。人を斬るぐらいは慣れてるから」
少し寂しそうに、彼女はそう言った。
ロロの年齢でAランク冒険者となるほどの剣の腕を持つには、いったいどれだけ過酷な人生があったのだろうか。
俺にも想像はできない。
だが彼女の実力は本当に頼りにしていた。
「……ミュルニアの合図があれば作戦開始だ。みんなの準備はできてるか?」
「うん、白兵戦部隊の準備は完了。今まで待たされてたし、うずうずしてるね。エディンの号令一つでいつでも行けるよ」
俺はその言葉に頷く。
同時に、冷たい感触が頬を伝った。
「……雨か」
さきほどミュルニアが忠告していたとおり、天気が崩れ出した。
ぽつぽつと振り出した雨が、すぐに本降りへとなっていく。
木々の葉を打つ雨音が、すっかり暗くなった夜の森に響き渡った。
* * *
「この、くそ……こんなときに雨とは……!」
ムッソフは兵たちと共に山道を登りながら、悪態をついていた。
ただでさえ急斜面に獣道のような悪路だと言うのに、それに雨が降ってぬかるんでいる。
騎士としての体面と見栄えを気にするムッソフは、急所を守る薄いプレートなどがメインの軽鎧を着込んでおり、それもまた歩みを困難にしていた。
「ぐおんっ!?」
足を滑らせ、地面に倒れる。
「おのれ、こんな屈辱を……!」
泥だらけになりながらも剣を杖代わりにして起き上がると、雨音に混じって何やら声が聞こえた。
最初は転んだ自分を笑う兵士の声かと思い、一発殴ってやろうかと辺りを見回す。
だがそれが勘違いだと気付く。
前から兵士が慌てて山道を下って来ていた。
「――敵です! 前方の隊が何者かに撃たれました! 数は少ないようですが……」
「なんだと……!? 反撃せよ!」
隊列は山道を登る為に細長くなっており、前方の様子が見えない。
状況が把握できず歯がゆい思いをするムッソフに、今度は後ろから兵が声をかけた。
「ムッソフ隊長! 後方より敵襲! どうやら魔術師がいます!」
「な……!? 後ろだと!? 回り込まれたか! 数は!?」
「ご、ごく少数です……! 多くて数十人規模かと……」
「ならば、第八小隊から後ろは全員その討伐に向かえ! 生きて逃がすな!」
ムッソフの命令を受け、兵士は走っていく。
その後ろ姿を見ながら、ムッソフはほくそ笑んだ。
「ようやく尻尾を表したか。だが山賊程度の規模で我が軍に刃向かおうなどとはバカめ……!」
ムッソフはそう言って辺りを見回す。
周囲には木々に覆われた森の中。
――ここなら狙撃もできないはずだ。
そう思ったとき、違和感に気付く。
「狙撃をやめて、射撃手が直接攻撃を……?」
――いくら森の中だから近付かなければ撃てないとはいえ、森を出てからの待ち伏せではなく、前後から襲撃をかけられている……? これはいったい……?
ムッソフが考えるのと、その音が聞こえたのは同時だった。
雨音を斬り裂くようにして、闇夜に紛れて木々の間から何者かの影が飛び出す。
「――駆けろ剣閃、貫け刃」
声と共に、白銀の残像が駆け抜けた。
「奥義! ポステリタス・ウィクトリア!」
瞬間、ムッソフの周囲にいた二十を越える兵たちが同時に声をあげて倒れた。
夜の闇と雨音が、その瞬間何が起こったのかを秘匿する。
しかし同時に現れたいくつかの人影が、ムッソフに自身が襲撃に遭っていることを伝えるのだった。
「ひっ……!?」
何者かが彼に斬りかかってくるのと同時に、ムッソフはとっさに剣の鞘でそれを防いだ。
転んだときに剣を杖代わりにするべく握っていなければ、それを防ぐことはできなかっただろう。
同時に雨音が弱まり、ムッソフは切り結ぶ相手の舌打ちを聞いた。
雨雲の合間から、月明かりが差し込んで相手の顔を照らす。
それはムッソフのよく知る顔だった。
「エ……エディィィィンっ!!」
その名前を叫ぶ。
平民の子の、万年雑用騎士エディン。
ムッソフの前に、その男が立ち塞がった。




