51 崖上からの奇襲
「みんな、準備はいーい?」
魔術師のローブに身を包む、ミュルニアの声が風の魔力に乗って周囲に響いた。
そこはアルノス渓谷の崖の上、岩場の上。
付近は数人の狙撃手が、等間隔に並んでいる。
風が通り続ける場所でのみ使える『伝声風路』の魔術によって、ミュルニアの声は各員の耳元に届いていた。
ミュルニアは周囲の状況を確認ながら、口を開く。
「もう一度確認。合図があったらとにかく狙いを付けずに一斉掃射。でたらめにたくさん撃っちゃって。弓兵隊も魔射隊もおんなじね! 魔法の矢はできるだけ威力下げて本数と範囲優先で!」
その声に呼応するように、全部で三十数人になる狙撃隊は軽く手を上げる。
遠目でそれを確認したミュルニアは、それに頷いた。
「おっけー。それじゃあ狙撃準備に入るよ」
ミュルニアの声に合わせ、それぞれ弓や杖を持つ。
一つとして同じ武器がないのは、冒険者隊ならではの光景だった。
「狙撃準備! カウント開始。二十……十九……十八……」
ミュルニアが数を数え下ろしていく。
やや数が多いのは、魔術隊の詠唱に合わせた配慮だった。
「十……九……八……」
狙撃隊に緊張が走る。
ミュルニアの声も、普段より張り詰めていた。
「カウント五! 四、三……!」
ミュルニアが息を吸う。
「――撃てー!」
その声に合わせて、いくつもの風切り音が発せられた。
放たれた矢や魔法は、放物線の軌道を描いて崖下に向かっていく。
「次弾、撃てる者から撃っちゃって! 連射!」
ミュルニアの声と同時に、崖下から多数の悲鳴が聞こえた。
それに構わず、何本もの矢や魔法が降り注いでいく。
「――よし! 撃つのやめ! 反撃される前に一旦引くよ! 撤収!」
ミュルニアの命令を受けて、狙撃隊は身を引いて荷物をまとめる。
あっという間に岩陰に隠れて、そのまま後退を始めた。
「さっすが冒険者! 逃げ足だけは早いね!」
楽しそうなミュルニアの声に合わせて、冒険者の一人が苦笑する。
「姉さん、その言い方はあんまりですぜ」
「大丈夫! 褒め言葉だって。迅速な仕事は腕の良い冒険者の証だよ! さあさ、次のポイントに移動~!」
ミュルニアの声に合わせて、冒険者隊の面々は岩場からそそくさと撤退をする。
狙撃の邪魔にならないよう丁寧に移動された鳥の巣の中で、小鳥がぴちぴちと鳴いていた。
* * *
「敵襲! 敵襲だー!」
「なんだ!? どこから撃たれた!?」
「腕をやられた! 誰か手当を……!」
無数の矢と魔法が雨のように降り注ぎ、帝国軍の部隊は混乱の極みにあった。
突然の奇襲に驚いた兵士たちは我先にと逃げようとするも、崖上の細道という悪い足場ではそれも満足にできない。
慌てた兵士は、何人かが足を滑らせ崖から落ちていった。
帝国軍の隊長であるムッソフは声をあげる。
「落ち着け! 落ち着けと言ってるだろうが! 何が起こった!? おい! 誰か教えろ!」
彼の声が空しく響くが、誰もその言葉に従う者はいない。
射撃を受けたのはほんの数十秒の間だというのに、どんどん混乱は広がって兵士たちがその場を離れようと暴れだす。
逃げようとする兵士に押し出される形で、さらに何人かが崖下に落ちていった。
その混乱は激しく、中には兵士たちの人の波に押し潰される者まで出てしまう。
「く、くそ……! ええい、引け! おい、一旦下がれ! お前らの命よりも、積み荷の保護が優先だ! 足場がちゃんとした場所まで下がって隊列を組み直せ!」
ムッソフが後ろに向かって叫ぶと、後列の兵士たちは慌てて後退しだす。
しばらく部隊の動揺は続いたが、兵士たちが全員しっかりとした足場にまで退避してようやくその混乱は収まった。
「ひ、被害状況を調べろ……! それまではここで待機だ……」
ムッソフが力無くそう言うと、兵士たちはそれぞれの小隊を確認しに行く。
日が沈みかけるまで待ち、辺りが薄暗くなったところでようやくその状況が報告された。
「運良く急所を射貫かれた者はいませんが、その後のゴタゴタで百名ほどが戦闘不能になっています。軽症の者を含めれば、負傷兵は四百名ほどにのぼるかと……」
「四百だと……! あの一瞬でそこまで……!? いったい敵は何千人いるのだ! 少なくとも山賊ではなさそうだな……!」
ムッソフは親指の爪を噛む。
その様子を見て、兵士は口を開いた。
「い、一度退却して帝国へ戻った方が良いのでは……?」
「……ならん!」
兵士の弱気な言葉を、ムッソフは強く否定する。
「ここで逃げ帰ったら永遠に我が家の名誉は傷付く……一生エディン以下の扱いで馬鹿にされ続けてしまうだろう。……そんなことは許されない、あってはならないんだ」
ブツブツと呟くように言うムッソフ。
「そ、それに! 我々の補給を待つ五千の本隊がすでに決戦の地へと向かっている! 彼らを見捨てるというのか、貴様!」
「い、いえ! そんなわけでは……」
そう言って兵士は逃げるようにその場を去った。
残されたムッソフは鼻息を荒くする。
「おのれ……! 使えない愚図どもめ……! 何があってもこの積み荷を届けなくては……かくなる上は」
ムッソフは西の方角へと目を向ける。
そこには山道と、木々がそびえ立つ森林が広がっていた。
「……ルートを変更するぞ! 西の森を通っていく! 森の中なら狙撃も受けないだろう」
彼の言葉に、周りにいた兵士が驚く。
「し、しかし渓谷の西側は魔物の領域とのことですが……!」
「魔物がなんだ! 渓谷は岩肌が剥き出しで、見通しが良い。だが森の中であれば木々が障害物となって狙撃はできない! 森なら大丈夫だ!」
「ですが分断された隊との合流もまだ……」
「どうせ前を行く奴らは最初から捨てゴマだ! 戦う気力もないだろうし使い物にならんわ! さっさと荷運びの準備をしろ!」
ムッソフの指示に従って、兵士たちは困惑しながらも荷物をまとめる。
その中には武器商人から預かったという、巨大な積み荷もあった。
「兵士たち十数人がかりなら、何とか山道でも運べるか……。最悪これだけでも届ければ、私の功績として認められるはずだ」
ムッソフは積み荷の大きな箱を睨み付けながら、ポケットに手を入れた。
商人から預かっていた積み荷の封を解く鍵が、その硬い感触を手のひらに返していた。




