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41 持てなされる二人

「――ぷはっ!」


「はいお疲れ~」


 腕立ての他に腹筋やスクワットなどいろいろな筋力を使わされた後、俺は床に倒れ込んだ。

 そんな俺の様子を見ながら、アネスはニヤニヤとした笑みを浮かべる。


「ほら見てみろ、クリスタルの色が黄色になったぞ」


 アネスの言葉に従って目を向けると、もう数時間も魔力を込め続けたクリスタルは今やオレンジがかった黄色の光を放っていた。

 ユアルやアネスの魔力には到底及ばないが、それでも俺は少しずつ前に進めているようだ。


「そういえば、ユアルは……」


 全身汗でびっしょりに濡れた俺が振り返ると、そこには椅子に座ったユアルがいた。

 彼女は頭の上に大きな金属のタライを乗せたまま、無表情で虚空を見つめて座っている。


 アネスはユアルの方を見て満足そうに頷いた。


「精神集中の訓練だ。……さすがに一日に修復できるクリスタルは三個ぐらいが限度だから、集中力を鍛えて魔力のコントロールを鍛えるのが先だな」


 そう言ってアネスは俺に視線を向ける。


「日も沈んだし、そろそろ腹が減っただろ? なに、飯ぐらいご馳走してやるよ」


 アネスがそう言った瞬間、ガシャーンという金属音が周囲に響いた。

 それはユアルの頭の上に乗っていたタライが落ちた音だった。

 ユアルは恥ずかしそうな表情を浮かべながら、タライで自分の顔を隠す。


「ごめんなさい……その……お腹空きましたよね」


 ユアルのそんな様子に、アネスは笑う。


「ああ、そうだ。外のお前らの友達にも何かやっとくよ。今頃待ちくたびれてるだろうからな」


 彼女の言葉にマフを待たせていたことを思い出す。

 まあマフならそこらの獲物を獲って勝手に食っていそうではあるが。


 俺はそう思いながらも、素直に夕飯をご馳走になることにした。



 * * *



「あんた料理もできるのか」


「まあな。一人暮らしが長いしな。だてに賢者を名乗ってるわけじゃない。わたしは料理も天才的だ」


 俺の言葉に、アネスはそう答えながら茹でたパスタを炒め始めた。

 同時にトマトソースの良い香りが辺りに立ちこめる。


 俺は「手伝うよ」と、台所に立つアネスのもとへと向かう。

 アネスはパスタに刻んだ赤胡椒(トウガラシ)を入れた。


「えーと、来客用の皿はどこに置いたかな……。おっと上の棚か」


 アネスはそう言うと、背伸びをして手を伸ばす。

 彼女の指先が棚に入った皿に触れた。


「――危ない!」


 滑り落ちた皿を、俺は空中でキャッチする。

 その拍子にアネスに密着する形になり、驚いたアネスは目を見開いた。

 俺は皿を重ねて近くの台の上に置きつつ、彼女に謝る。


「……すまん。大丈夫か?」


「……あ、ああ。いや、大丈夫だ……その、この体は、背が低くてな……ええと、ありがとう」


 アネスはそんな言い訳をした。

 どうもアネスの口ぶりから推測するに、その少女の体は元々の肉体とはやはり別物らしい。

 美少女になった爺さん……うーん、やっぱり変態だな? こいつ。


 俺が皿を持ったままそんなことを考えていると、アネスが声をあげた。


「こ、ここはいいから! お前は風呂でも入ってろ! 汗臭いんだよ! そんなに近寄るな!」


「え、ああ、そうか。すまん、気が付かなかった」


 ずっと筋トレをしていたせいで、汗の臭いが酷かったらしい。

 アネスは少し顔を赤くしつつ、上の階に繋がった階段を指した。


「三階に風呂がある! 魔術で湧かしてあるから、好きに入れ! 適当に着替えは使っていいから!」


「おお……。ありがたく使わせてもらおう」


 俺は素直に礼を言って、上の階へと向かった。

 扉だけの一階、そしてリビングとキッチンらしき二階に続き、三階は廊下といくつかの扉が広がっていた。手近な扉を開けると、中には高級宿かと思うような綺麗な風呂場がある。

 ……異様な外見にそぐわない、なかなか快適そうな家だな。


「――四階から上には行くなよ! 死にたくなければな!」


 階下から声が聞こえてきた。

 魔術師のアトリエとなれば、その言葉は比喩ではないだろう。

 一歩間違えて研究部屋に入ってしまえば、即死したとしても文句は言えない。


 俺はやや慎重になりつつも、風呂場へと入った。

 断面が滑らかな石造りの壁に、中央には白い浴槽。

 満たされた湯からは湯気が漂っている。


 おそらくこの部屋だけでも、魔術技術の結晶だ。

 これを作ろうとすれば、一年は遊んで暮らせるほどの金が必要だろう。

 水道や下水もどうなっているのか見た目からは想像がつかない。


「……とはいえ、風呂は風呂だ」


 俺はささっと服を脱いで、体を軽く洗ってから湯船に浸かる。

 丁度良い熱さの湯に浸かると、一日の疲れが取れていくような気がした。


「ふぅー……」


 くつろぐ中、ふと一つの疑問が俺の頭に浮かぶのだった。


「……俺、こんな山奥に何しに来たんだっけ?」



 * * *



「……で、やっぱり街には来てくれないのか?」


 俺はユアルと一緒に天才賢者の作ったパスタを食べながら、そう尋ねた。

 ちなみに今はやや大きな、男物のサイズのローブを借りて着ている。


 対面に座るアネスは、彼女もまた辛味の強いトマトパスタを食べつつ質問に答えた。


「だから言ったろ? クリスタルを十個青くしたら行ってやるって」


「しかしそうは言ってもだな……」


 俺が今日半日近くかけて魔力を込めたクリスタルの状態は、黄色だ。

 今がどのぐらいのレベルなのかはわからないが、クリスタルの色が赤、黄色、緑、青の順で色が変わっていくことを考えると、今は二段階目。

 一日二段階進められるとしても、青のクリスタルを十個作るには二十日かかってしまう計算になる。


「俺たちは至急の依頼で来てるんだ。何日もここに留まるわけにはいかない」


「わたしはべつにいくらいたって気にしないぜ? 存分にくつろいでいってくれ。せっかく内装まで整えたってのに、誰も自慢する相手がいなくて寂しかったんだ」


 そう言って彼女はちゅるんとパスタを吸い込んだ。

 寂しくて話し相手が欲しいとか、孤独な老人かよ。


 俺がどうしたものかと考えていると、ユアルが口を開く。


「……あの、エディンさん。アネスさんってさっき『ここを動けない』って言ってましたよね」


「え? ああ、そうだったか……」


 そういえばそんなことも言ってた気がする。

 彼女は『行く意思はある』と言っていた。

 ……ということは。


「……クリスタルを青く光らせるのは、俺たちを試しているんじゃなくて、お前が街に行くのに必要な儀式ってことか?」


 俺の言葉にアネスは笑みを浮かべた。


「勘が鋭い奴は好きだぜ。お前ら、いいコンビじゃないか」


 そう言って彼女はパスタを啜る。


 ……つまりアネスを街に連れ帰るには、一刻も早くクリスタルに魔力を込める必要があるってことか。

 俺はクリスタルを握り、魔力を込める。

 黄色の光が、じんわりと鈍く輝いていた。



 * * *



 その夜。

 俺とユアルは三階の客間を一つ貸してもらった。

 ここもまた高級宿のような客室で、木目の内装が温かみまで感じる一級の部屋だった。

 アネスはベッドやトイレの場所などを指示して、俺たちを残して部屋を出ていく。


「……人んちでエッチなことするなよ? 明日の朝、気まずくなるから」


「せんわ!」


 アネスは俺の返答に笑いながら、扉を閉めた。



 しばらくして、また扉が開く。


「……やっぱりちょっと、寝る前にみんなでお話するか? 恋バナとか……」


「寝ろ!!」


 アネスは不満そうな顔をしたあと、去っていった。

 ……あいつ、山奥で独り暮らしてるせいで人恋しくなってたりするのだろうか?

 俺はそんなことを思いながら、ユアルと同じ部屋で眠りにつくのだった。

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