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本当に何が起きたのか今でもよくわからない。あの駅前の事件がまるで映画の撮影か何かかと思えてしまう。でも目の前に横たわる結城君の姿だけが、これはリアルな現実だと訴えかけていた。
日が落ちた病室は消毒液の匂い以外は静寂だけが支配していた。もうそろそろ面会時間が終わってしまう。それでも彼が目を覚ますその時に側にいたかった。
何故かはわからないけれど、あの時私を庇ってくれた。普段の温厚そうな雰囲気とはまるで違う頼もしい腕、そしてあの垂れ幕を見た時に見せた激烈な怒りの表情。
私の知らない結城君がたくさんいた。
私は今、病室で一人だ。ただ結城君が眠る姿を見つめている。
鏡弥は救急車と警察が駆けつける前に逃げ出した。越境者の彼があの場にいては不味いから。私だけ結城君につきそって病院までついてきた。
警察に色々聞かれたが訳が分からなかった。結城君と会ったのも、あんな騒ぎに巻き込まれたのも偶然。そして怒った結城君が襲われた……。
それを思い出しただけで、目から涙がこぼれ落ち、頬を伝って手の甲に落ちる。
その時今まで安らかに眠っていた結城君がぴくりと身動きした。慌てて顔を近づけるとゆっくりと彼は目を開いた。
「ここは?」
第一声の彼の声はひどく乾いていた。ぼんやりとした視線が空を泳ぎ、いまだ夢と現実の境にでもいるかのようだった。
「病院だよ」
「病院? どうして」
きちんと応答ができる事にひとまず安堵しながら、私はナースコールを押した。とりあえず意識を取り戻した事を医者に知らせた方が良い。
「背中に爆竹投げつけられたの覚えてない? 火傷は軽くてすんだみたいだけど、ショックで一時的に意識を失ったんだろうってお医者様が」
目を覚ましたら説明しようと、何度も繰り返し頭の中で練習した言葉。なんとかよどみなく言えた。いつもの学校だったらこんな些細な事も言えなかったと思う。こんな非常事態が、自分を少しだけいつもと違う自分にさせていた。
「背中が痛いと思ったけど……何が起こったのかよくわからなかった。音無さんは大丈夫? 怪我してない?」
結城君は私が泣いている事に気づいたみたいだ。手をゆっくりと持ち上げて頬の涙をぬぐってくれた。
「大丈夫。結城君のお陰で」
結城君は本当にほっとしたような顔で手を下ろした。その時看護師さんがやってきて結城君の状態を確認し始める。
「面会時間はそろそろ終わりです。今ご家族の方が向かっていらっしゃるそうなので、今日の所は……」
看護師にそう言われては、私は大人しく帰るしかない。
「音無さん!」
結城君が大きな声を上げたので思わず振り返る。彼の目は不安に揺れていた。
「また会えるよね?」
私は頷きながら答えた。
「また明日お見舞いに来るから。だから安心して休んで」
それだけを言い残して今度こそ病室を立ち去った。
そのまま一人Rhapsody in Blueに向かう。
もはや家は私の帰るべき場所じゃなかった。それにあの時の鏡弥の様子がおかしかった。
あんな事件が起こったのだから慌てるのは当たり前だが、鏡弥は怒っていた。
『あの馬鹿野郎どもが』
立ち去り際投げつけた言葉は、まるで犯人を知っているかのようだ。それが気になる。Rhapsody in Blueの入口に立った時、ふと思いついて気づかれないようにそっと扉を開ける。分厚い扉の向こうから怒声が響いてきた。
「何やってんだよ。怪我人まで出しやがって!」
怒っているのはたぶん鏡弥。優弥より少しだけ声が低い。それに今の優弥にこんな大声を張り上げる体力なんて無い。
「想定外だよ。あそこで垂れ幕破るだなんて思わなかったし、興奮したヤツがかっとなってつい」
その声に聞き覚えがあったのに驚いた。こっそりのぞき込むと声の主はクラスメイトの藍田くんだ。彼がなぜここにいるのだろう。
「ついじゃねえよ。こっちの奴らは見境ないんだなぁ」
「あちらで狂犬とまで言われた君に言われたくないなぁ」
何の話をしてるのかさっぱり分からない。だがなんとなく昼間の事件に関わる事なんだろうという事はわかった。
「つまり今回の一件は一部の過激派の独断で、そちらの組織の総意ではなかったということでいいのかしら?」
聞こえてきた声に愕然とした。麗花だ。どうしてここにいるのか。
「そうだ。前から言っているように我ら『ブレイカー』はもっと温厚でスマートな組織だよ」
「名前だけでも充分過激だけどな」
鏡弥の悪態にもまったく藍田はめげる様子もない。これはいったい何の話をしているんだ? 組織? 過激派? みるみる内に不安がふくれあがる。
「そちら側の組織名は……確かCTW。『チェンジ・ザ・ワールド』だっけ。世界を変えるか。かっこいいよね。リーダーさん」
そう言いながら藍田はぽんと麗花の肩を叩いた。
リーダー? 麗花が何の? 驚いて思わず扉を強く押してしまい、扉がガチャリと音を立てた。
「結花……お前……帰ってたのかよ」
鏡弥に見つかって、私は後戻りが出来ないところまで来てしまったと気づいた。




