飴のように甘い人
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ウエディングドレスの試着を終えて、少し遅い昼食を食べてからお茶を飲んで――実亜は喉の違和感に気付いた。軽く咳払いをして違和感を取り除こうとしたけど、なんとなくまだ少し違和感がある。
「どうした? 喉か……ふむ、今日はもう休もう」
ソフィアが実亜の顔を覗き込んで、額に手を当てたり喉の辺りを軽く撫でたり、ちょっと――いや、かなり過保護に心配そうだ。
「いえ、大丈夫です」
実亜は「元気です」とソフィアに笑顔で返していた。
「無理はいけない。風邪は喉から来るものだ。私も嬉しくてミアを振り回してしまったな」
花嫁衣装の試着で少しの埃も舞っていたし、喉に来たのかもしれないとソフィアはお茶をもう一杯注いでくれている。とにかく喉を潤すのが大事らしい。
「そんな、楽しいので全然平気です」
丁度いい温度のお茶を飲んで、実亜はもう一度喉の様子を確認していた。本当に軽い違和感なのだけど、自分の感覚では大丈夫な気もする。
「しかし、楽しいことでも疲れはするだろう? そういう時は休んだほうがいい」
ソフィアは実亜の喉を撫でて、軽くキスをして、かなりの過保護だ。
「……はい。ありがとうございます」
本当にソフィアは過保護なくらい過保護――でも、束縛するような感じではなくて、こちらの意思を確認して、自由にさせてくれた上での過保護だと思う。
それに、無事に帝都に着いて、数日してから遅れてやって来る筋肉痛のような疲れは実亜もなんとなくで感じてはいたし、実亜は素直に甘えさせてもらっていた。
帝都に来るまでの旅で、甘え方も少し上手くなれたのかもしれない――なんて、思いながら。
「ミア、喉にいい蜜飴を持ってきた」
ソフィアの部屋のベッドで大人しくこちらの絵本を読んでいた実亜の元に、ソフィアが小さな瓶とスプーンを手にやって来た。
瓶の中にはとろみのある琥珀色の液体――ソフィアが蓋を開けると柑橘系の甘酸っぱい香りがふわっと広がる。
「ありがとうございます。えっと、キンカンの飴ですか?」
「ああ、クロエの故郷の名産で、村で採れたキンカンと砂糖を煮詰めて作るんだ。帝都でも人気の商品だな――口を開けて」
ソフィアがスプーンでくるくると瓶の中を軽く混ぜてから、一匙掬って実亜に差し出していた。実亜は素直に食べさせてもらう。
じっくりと口の中で溶けていく蜜飴の、頬が落ちそうなくらいの甘さと、少しの酸っぱさと。あと、微かに感じるほろ苦さは格別かもしれない――ソフィアの優しさとかもプラスされているから、一段と美味しい。
「美味しいです。ちょっと酸味があって、甘くて。もう喉に効いてる気がします」
「それならよかった。いつもの飴と違って気軽に食べにくいが、こっちのほうが喉には効く」
「中に蜜飴が入った飴はないんですか?」
実亜の素朴な疑問だったのだけど、ソフィアは一瞬キョトンとしてから「詳しく教えてくれ」とベッドに身を乗り出していた。
「固い飴の中にこのシロップ――蜜飴みたいなものが入っていて、舐めていると最後に濃い味の蜜飴が口の中に広がるんです」
作り方は詳しくはわからないですけど――でも、飴で小さな器を作って蜜飴を入れて、また飴で蓋をすれば出来そうだなとも思いながら実亜は答えていた。もっと他に作り方はあるだろうけど。
「ふむ、成程、二段構えか、興味深い。ミアは流石、健啖家だな」
蜜飴もそれなら扱いやすい――ソフィアはそう言いながら、実亜にもう一口蜜飴を食べさせて、お茶を飲ませてくれていた。
「いえ――よく思い出したら、私の居た国も美味しいものが多かったみたいです」
こちらも美味しいものは沢山あるけど、やっぱり食べ慣れている味だと少し安心感がある。どっちがどうだとかは比べられるものではないのだけど――
「オムスビやツクリが気軽に食べられる国だ、相当なものだと思うぞ?」
「はい、離れてから改めて思います」
あんなに辛かったのにな――実亜は小さく呟く。
辛かったけど、その分今は幸せで、幸せすぎて少し落ち着かないくらいだ。だけど、あの辛さがあってこその今だと思えば、不思議と辛かった自分を労れる。
「懐かしいか?」
ソフィアが実亜の髪を軽く指先で梳いて、整える。その目は愛おしむように優しくて、温かい。
「懐かしいですけど、私には合わなかった街のような気がします」
少しだけ忙しすぎた――実亜は笑う。
自分は人より不器用だし、きっと、あの街で生きていくだけでもギリギリだったのだろう。
「そうか。人は何処でも生きていけるが、自分に合った場所を見付けるのは難しいものだ」
ミアがその場所を見付けられたなら、それでいい――ソフィアも笑顔で答えてくれていた。
「はい。ありがとうございます。あの、飴の話、お役に立てるならいつでも訊いてください」
実亜はソフィアの服を軽く掴んで、その肩に頭を預ける。ソフィアの肩は思っているよりは華奢で、でも頼れるくらいのしっかりさがある。
だから、自分も頼るだけじゃなくて、役に立ちたいと心から思う。全然強くはないけれど、大事な人の隣で生きていられるように。
「ああ、気になってたんだ。ぐっすりしてから教えてもらおう」
ソフィアが実亜の肩を抱いて、ベッドに寝かせていた。
そして――そっとおやすみのキスが――
「はい――あ、あの……もし風邪だとうつしてしまい――」
実亜が言い終わる前に、ソフィアがキスをしてくれていた。
数秒触れるキスは、いつも柔らかく甘やかしてくれる。
「――ミアの風邪なら喜んで引き受けるぞ?」
ソフィアは唇を離すと得意気に笑っていた。そして、今日は少し甘いなと呟く。
「もう……ソフィアさんはいつも優しすぎます」
実亜の言葉に、ソフィアは笑って、また優しく頭を撫でてくれるのだった。
しばらく静かに眠ったほうがいいと、ソフィアは部屋を出て行った。騎士の仕事は一応休暇を取っているらしいけれど、帰省したら今度は公爵家の仕事があるみたいだ。
立場のある人はそれなりに大変――どんな世界でもそれは変わらない。
「飴……まず薄い丸い板を沢山作って、筒にした飴の中に蜜飴を入れて挟んで……」
実亜は少しでも役立ちたくて、眠りに入りながら新しい飴の作り方を考えていた。
柔らかいベッドの中で寝ていると、不思議と色々な思考が浮かんでくる。実現出来そうなもの、出来なさそうなもの、そのほとんどは取るに足らないものなのだろうけど、きっとソフィアは全部の話を優しく聞いてくれるから――
「幸せです……」
実亜は小さく呟いて、枕元の鈴を見る。調子が悪くなったりしたら鳴らしていいらしいけど、一人では抱えられない幸福感の置き場に困った時に鳴らすと怒られるだろうな――みたいな冗談も浮かんでは消えていた。
そして、少しの眠りに――
「お加減は如何ですか?」
「大丈夫です。あ、キンカンの蜜飴が効いたみたいです」
数時間ほど眠っていたらしい実亜は、ベッドの横のテーブルのお茶を取り替えに来たクロエと話していた。喉の違和感もすっかり消えて、少し寝不足気味だったのも解消されている。
「お気に召していただけましたか? キンカンは私の故郷の名産なんです」
村の自慢です――クロエが可愛く笑う。
「はい、美味しくて、もっと沢山食べたいなとか思っちゃいました」
実亜はお茶を一杯もらって飲んでいた。眠っていると案外喉が渇くのだ。
「女神様にそう言っていただけると、評判になりますね」
クロエが少し冗談混じりで実亜に笑いかけている。
「え、私は女神様じゃないです……よ?」
「存じてます。ミア様は女神様の前にソフィア様の大事な伴侶――アステリア様の姉にもなる方ですから、全力でお支えします」
「は、はい……ありがとうございます」
なんとなくまだ少し誤解はあるみたいだけど、クロエが納得していた。
それにしても、クロエはアステリアに厳しいのかと思ったら優しくて、不思議な関係に思える。そもそも実亜の居た世界では執事という存在が身近ではないから、どういう関係がいいのかはわからないのだけど。
「何かお訊きになりたいことがございますか?」
クロエはもう一杯お茶を注いでくれて、実亜を見て笑顔だ。
「え? あ、えっと……私の国では執事というお仕事はあまり馴染みがないのですけど、クロエさんはどういったお仕事なのかなって……」
実亜はクロエに不思議に思っていたことを訊く。執事とかメイドとか、なんとなくイメージは出来るのだけど、じゃあ具体的にどんな仕事なのかは想像が出来ない。
「クレリー家の皆様のお世話――主に私的な用事などを仰せつかっています。時々、家業についても助言や管理をしていますね」
「はい……このお家のお仕事を……かなり大変で、凄いですね」
プライベートをサポートするだけではなく、仕事まで――それを任せられる関係を築くだけでも相当なものだし、お互いの信頼があってこそ成り立つ仕事は独特なものだ。
「私はまだ半人前ですので、勉強の日々です」
クロエは笑顔で答えてくれていた。
「私も、まだわからないこととか多くて、今朝は卵でお手数をおかけしました」
実亜は改めて頭を下げていた。人数分に足りない卵をみんなで分けるのは解決のようで手間をかけてしまったわけだし――それじゃあ一番いい解決策が何なのかは実亜も勉強だ。
「お気になさらず。ミア様のお心遣い、私は嬉しく思っています」
迷わずアステリア様に譲っていただけた――クロエはとても嬉しそうだった。




