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番外編(アステリアとクロエ・3)

(1)

 クロエがクレリー家に来て五日目――今夜も何故かアステリアと一緒に眠ることになった。

 初日こそクロエは一人で眠れたのだけど、その次の日からアステリアの話し相手をしながらの睡眠――いい加減に断らなくてはいけないけど、クロエには雇用主の機嫌を損ねないような上手い断り方が見付からないのだ。

 執事長や他の人たちがアステリアをなだめて「一人で眠るように」と何度言ってもアステリアは「クロエと話すの」と、言うことを聞いてくれない。

 もうクレリー家の奥方であるローナにも話は行っているらしいのだけど、今はクレリー家のブドウ畑が収穫期で、ローナも色々と忙しくて、すぐになんとか出来るものではないみたいだった。


「アステリア様、私の話はほとんどしてしまいました」

 クロエは自分の寝床の中でアステリアにそんな告白をしていた。

 小さな村育ちの自分にはそんなに楽しい話はないと思うのだけど、アステリアはこの数日間でクロエがした話を全部楽しそうに聞いてくれている。

 村にある柑橘類の木で育つ蝶の話や、落ち葉で作る畑の肥料の話に、村近くの小川での魚釣り――村での生活に必要なことばかりだけど、アステリアの知らないことだったらしく、目を輝かせて全部聞いてくれた。こんな話でも喜んでくれる人が居るなんて、クロエは思っていなかったけれど。

「それじゃあ、クロエの馬の話がいい」

 アステリアは自分で持ち込んで来た枕に頭を預けて、クロエのほうをずっと見ている。その目は深い琥珀色で凄く綺麗だと思った。

「私の馬ですか?」

 自分の馬はとても大事な馬だけど、クレリー家の馬に比べたら特別に何かあるわけじゃないと思う。それでもいいのだろうか。クロエは何から話せばいいのか少し考える。

「お名前は?」

 アステリアは楽しそうにクロエの話を聞く姿勢だ。しかも、こちらが話しやすいように簡単に答えられることから訊いてくれていた。

「ルーディーです」

「素敵な名前。昨日のお昼に放牧場に居た、茶色で、靴下を履いた子?」

 屋敷の近くには屋敷で働く人たち専用の厩舎と放牧場がある。アステリアは午前の勉強を終えたあとにその周りを歩くのが日課らしく、新しく来た馬やお客様の馬は大体わかると言うのだ。

「はい。茶色で後ろ足の足元が片方だけ白い子です」

 クロエの愛馬、ルーディーの特徴はそれだ。此処に来てから他の馬も沢山見たけれど、足元が白い馬は見かけなかったから、特別な自分だけの愛馬という実感が湧いて、少し嬉しかった。

「いいなあ、靴下を一つだけ履いてる馬は名馬の印だって、前にソフィアお姉様に教えてもらったことがあるの」

 アステリアの言う「ソフィアお姉様」は、帝国騎士団の一員で、帝国最北の地リスフォールに赴任している。年齢は離れているけれど、一番仲良しで優しい姉なのだそうだ。

「そうなんですか? 優しくて丈夫で、私には勿体ないくらいのいい馬ですけど……」

 クロエは笑顔で送り出してくれた村の人たちを思い出す。アステリアの話が本当なら、村で一番のいい馬を自分に預けてくれたことになる。

「ううん。クロエに似合う、素敵な馬よ」

 アステリアがクロエの謙遜をすぐに打ち消してくれていた。

「……その、ありがとうございます」

 クロエの視界が不意に涙で滲んだ。恵まれたアステリアを羨ましく思っているけど、自分にも恵まれたものが少しはあったこと――気付けた気がした。

 そして、村の人にそこまで期待されて、そこまで大事にしてもらえて、まだあまり慣れない帝都での環境で、そんな温かい故郷を思い出してしまったのだ。

「クロエ……悲しいの?」

 アステリアが泣いたクロエを見て、同じような表情になっている。

「いえ、大丈夫です」

 立派になるまで、人前では泣かないと決めていたのに、五日目でそれが崩れるなんて情けない――クロエはすぐに涙を止めていた。

「いい子、いい子」

 アステリアのまだ小さくて華奢な手が、クロエの頭を優しく撫でている。

「アステリア様……」

「お母様やお姉様は私が泣くといつもこうしてくれるの。だから、私も泣いてる人にこうするの」

 アステリアはしばらくクロエの頭を撫でて、そんなことを教えてくれる。

「……」

 持って生まれた素質なのか、そう教育されているのかわからないけど、アステリアはその生まれ持った地位に相応(ふさわ)しい思いやりや余裕がある。

 勝ち負けとかじゃないけど、この人には勝てないかも――クロエは少し思っていた。


(2)

「クロエ、此処がブドウ酒を作る醸造所です。今は丁度仕込みの時期――樽の中でブドウの果汁を熟成させています」

 今日は午前からクレリー家の主な事業について学んでいた。この家での事業の全責任を負っているローナが、畑から醸造所までの流れの案内をしてくれていた。

「はい。初めて見ました」

 収穫から加工、瓶詰め、出荷までを領地で全て済ませる――自分の村では農作物の収穫と出荷しかしていなかったから、加工が出来ればもう少し安定した収入が見込めるだろうなとクロエは思う。

「クロエの村は、キンカンが名産でしたね」

 ローナは瓶を作る工房へとクロエを案内しながら、クロエの村のことを確かめている。

「はい。実が小さいですし、あまり大きな収入にはなっていないです」

 その他の農産物も含めての収入で村の人たちがなんとか生活出来るくらいなので、加工場を作るとなると、またかなりの投資をしなくてはならない。安定しない収入では借金も難しいし、村の発展というものはかなり難しいのだ。

「キンカンは喉の薬にもなるものですし、村で何かの加工をして売り出せば、また少し違った展開が見えるかもしれませんね」

 ローナも同じようなことを考えていたようで、手に持っている書類に何かを書き留めている。

「はい――私も、少し考えてました。でも、加工場を作る費用とかを考えると……」

「クレリー家との縁も出来たのですから、安心なさい。投資は惜しみませんよ」

 村には定期的にクレリー家の専門家たちが視察に行って、加工場の土地などの確保に当たっているとローナは言う。でも、まだどのようにキンカンを加工するかは決まっていないらしい。加工場を建てながら商品の試作を重ねる方法――事業にはこういった進め方もあるとのことだった。

「もうすぐ午後のお勉強の時間ですね。それでは見学はここまで。家に戻りましょう」

 ローナは庭を歩きながら、お腹が空いたらその辺りの果物を食べても良いのよと笑っていた。


「クロエ! おかえりなさい! 一緒にお菓子食べましょう?」

 家に戻ると、アステリアが玄関の奥からクロエに向けて走って来た。予定だとアステリアは午前中に勉強で、午後からは舞踏の練習のはずなのだけど、お菓子を食べたいらしい。

「アステリア様、私はこれから勉強の時間ですから、お菓子はまた今度にしましょう」

 クレリー家ではアステリアのために呼ばれている家庭教師が、クレリー家で働く人たちやその家族にも各種の勉強を教えてくれるようになっている。アステリアと違って、一対一の授業ではなく、学校のように数名の生徒が集まっての授業だけど、こちらの習熟度などに合わせてくれるので贅沢な勉強だった。

「お勉強なんていつでも出来るの」

 アステリアはまた少し自分の恵まれた環境に無頓着――生まれついての公爵令嬢だし、そうなるだろう。その分、アステリアはその素質がある人なのだと、クロエもこの数日だけで少し感じてはいるのだけど。

「アステリア様、勉強は、私にはいつでも出来ないものです」

 クロエは色々な感情を抑えて、それでもアステリアに自分の立場を少しだけ理解してもらうために、率直に言い切っていた。

「……はあい」

 不満そうだけど、アステリアは素直に言うことを聞いてくれる。

 それにしても、懐かれているみたいで、どうしていいものかクロエは頭を悩ませていた。

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