新商品開発
(93)
「ミア、今日もありがとう。職人たちも楽しんでいたようだ」
自転車の説明と、ちょっとした試作品の監修みたいな仕事を終えた実亜に、ソフィアが礼を言ってくれていた。
今日「は」じゃなくて、今日「も」と言うところにソフィアの優しさがあると実亜は思う。
「いえ、私のぼんやりした説明をすぐに形にしてくださって、こちらも楽しかったです。素敵な機会をありがとうございます」
実亜は職人たちが居た工房から家までの広い敷地をソフィアと歩きながら、礼を返す。言わなくてもわかることもあるけど、言わないと伝わらないこともあるから、そこはしっかりと。
「いい刺激になったようだし、他にも面白いものが出来るかもしれないな」
うちの職人の腕は確かだぞ――ソフィアは嬉しそうに笑っている。
革は勿論、木材や金属で作る家具などの製品もかなりのもので、飾りの細工も含めて帝都で評判なのだと説明をしてくれていた。
クレリー家の事業は本当に多岐に渡るんだなと、実亜は説明を聞きながら思う。
「はい、お役に立ててたら嬉しいです」
何処の世界でも会社組織的なものはあって、でも働き方は違っていて――不思議だけど面白い。
「腹は減ってないか? 何か――ああ、もう夕食の時間が近いな……」
その辺りの木の果物でもと思ったのだが――ソフィアが庭を眺めて笑っている。
「え、もうですか? 夢中になってて……」
そういえば、太陽は午後から夕方へと移り変わる気配だった。まだ夕焼けにはならない。だけど、もうすぐ一日の終わりを告げる夕暮れがやって来る、少し穏やかな気配――
そして、実亜は言われてから気付いたけど、クレリー家の敷地にある木々は大体何かの実がなっていた。広いし、庭の途中での遭難だって視野に入るから、食べられる果物の木を植えているのだろうか――流石に遭難はしないかもしれないけど、かもしれないと思う時点で結構危険だ。
「夢中になれるのはいいことだ。日が暮れるまで時間があるから、庭を散歩しよう」
「はい、ありがとうございます」
庭で散歩になるのもとんでもない気がするけど、いつになったら落ち着いてこの広さとかを受け止められるだろう――実亜はちょっと考えながらソフィアと歩いていた。
「これは美味いぞ。半分に割るだけで手軽に食べられる。イチジクと言うんだ」
ソフィアが紫色のタマネギみたいな形の実がなっている木を指して、これからがいい季節だと教えてくれる。
実は何個かずつまとまってに枝に付いていて、葉は手袋を広げたみたいに不思議な形で、大きい。実亜が木の近くに行くと、甘い果物の香りをふわっと感じる。
「あっ、イチジク知ってます。私の国にもありますけど、食べたことはないです」
こういう木になる果物だったということも初めて知りました――実亜は改めてイチジクを見ていた。
「そうか、一つくらいなら食事前でもいいだろう――半分ずつ食べよう」
ソフィアは実が少し割れかけているイチジクを一つもぎ取って、半分に割ってくれていた。このまま中の赤いところを食べるそうだ。
「いただきます――甘い……なんか、プチプチしてます」
イチジクの舌触りはなめらか――だけど、種みたいな小さな粒が多くあるので全体的な食感は不思議だ。
「ふふっ――粒が多いということか?」
ソフィアもイチジクを食べて、実亜の言葉をまた当てていた。この頃、かなり通じ合えるようになってきて、実亜としても嬉しいことだった。
「はい。小さい粒が沢山弾けるみたいな」
「ああ、これは小さな花が実の内側で咲いている果物なんだ」
花を食べているようなものだ――ソフィアは実亜の口元を指先で拭ってくれる。
「へえ……知らなかったです。私、まだ沢山知らないことがありますね」
「今日で一つ知ることが出来たではないか。明日もまた一つ何かを知れば、二つの知識が手に入る。その次は三つ、知識は積み重ねるものだから、心配しなくていい」
ソフィアは優しく笑うとそんな風に実亜を励ましてくれていた。
「ソフィアさん、あの木の果物は何ですか?」
しばらく庭を歩いていて、実亜は小さな実が付いている木を見付ける。遠目で見て、皮がミカンっぽいから柑橘類なのだとは思うけど、ミカンにしてはかなり小さい。
「あれは、スタチバナだ。熟すと色はキンカンに似るのだが、酸味が強い果物だな」
色が変わったら収穫して果汁を搾っておいて酒を飲む時に少し足す――ソフィアは木に近付くと、少し大きめのまだ青い実を一つ手にして実亜に渡してくれた。
大きさ的にはスダチ――香りも実亜の覚えのあるスダチの香りだ。夏にコンビニエンスストアで買う冷やしうどんなどに付いていて、馴染みがある。スタチバナと言う名前から推測してもスダチだと思う。でも、こちらでは熟してから収穫するものらしい。
「青いまま使うんじゃないんですか?」
実亜はスタチバナの実の香りを楽しみながらソフィアに訊く。私の知ってる果物と同じなら、まだ熟してない時点でも使う、と。
「青い……熟していないと相当強い酸味だぞ? 香りはいいが酒で割っても少し飲みにくい」
ソフィアが「青い」に一瞬疑問符の付いた表情をしていた。どうもまだ熟してない果物を「青い」とは言わないみたいだ。確かに、色的には緑色だなと実亜は思う。
「飲まないですけど、焼き魚に少しかけたり、サルサと混ぜて焼いたり茹でたりしたお肉にかけたりします」
香ばしさに果物の甘酢っばさと香りが足されて、更に美味しく――実亜は謎のプレゼンテーションをしていた。
柑橘類の果汁とサルサ――醤油を混ぜるとポン酢醤油だし、更にゴマ油でも足すと、肉にも野菜にも合う簡易ドレッシング的なものになって、わりと万人受けするものが出来るのだ。中には酸味が苦手という人も居るけれど、混ぜる果汁の量や種類を調節すればそれほど酸味も強くはならない。
「魚に? それは美味そうだ。サルサと混ぜることもあるのか……成程」
流石、魚が好物なだけあってソフィアの反応が嬉しそうだった。
「ツクリにも合いますよ」
此処では海の近くでしか食べられないツクリ――刺身はポン酢醤油を使うこともある。実亜はポン酢醤油がよく使われるカツオのたたきをソフィアに説明していた。
ツクリを食べやすい大きさに切る前に、少し炙って表面だけに火を通して、薄切りにして、野菜などと食べる時にサルサと果汁を混ぜた調味料をかけるんです――と。
「ふむ……それはいいな。とりあえずその調味料は、新しい商品で母上に提案しよう」
試作品を作るから調合の配分を教えてくれと、ソフィアはとてもキリッとしていた。
実亜はそんなスピード感で決まる事業も凄いなと思っていた。
散歩を終えて、夕食を食べたあと、実亜はソフィアと二人でポン酢醤油の試作品を作っていた。
去年収穫したスタチバナの果汁があると言うので、厨房の片隅を借りて、理科の実験のような感じで。
「ふむ、互いの香りが引き立っているな。酸味が効いた味もいい」
サルサと果汁を一対一で混ぜたものを少し舐めて、ソフィアが配合と味の感想をメモしながら頷いている。こういった作業には記録は欠かせないらしい。
実亜も味見をして、足りない味を探す。よく知ってるポン酢醤油はもう少し甘みがあったような――でも、こちらでは菓子以外の料理に砂糖を使うことは少ないから、言い出しにくくもある。
「もう少し果汁を多くしたものはどうですか?」
実亜はサルサより果汁を多めにしたものを味見する。こちらは果汁が際立って、フルーティーだけど酸味がより強い。サルサを多めにしたものだと、肉に合う感じの塩っぱさになっていた。
「これは焼いた肉に合いそうだ」
ソフィアもサルサ多めのポン酢醤油を少し舐めて、メモをとっている。
「私も同じことを思ってました」
「気が合うな。別の果汁を足してみるのはどうだろう?」
ソフィアは厨房の棚からオレンジジュースのような色の液体が入った小瓶を取り出していた。スタチバナよりも甘くて、そのまま飲めるものらしい。
「じゃあ、これを少し……」
実亜は小瓶を受け取って、小皿に少し加えて混ぜていた。
「ふむ、少し口当たりが優しくなった。私はこちらのほうが好みだ」
混ぜた液体をソフィアが少し舐めて味見する。
「……本当ですね。飲んじゃ駄目ですけど、飲みやすそうな丁度いい味です」
甘みが少し加わって、実亜の求めてる味――というか、少し食べ慣れていた味に近くなっている。しかも、フルーティー感が増えていた。
「配合は確かに書き留めた。新しい商品になれば、ミアには売上に応じて権利料が入る」
ソフィアがサルサの値段や果汁の値段――帝都で売られている大体の――を書いて、計算している。
「えっ。そんな、混ぜただけですから、そんなお気になさらず」
実亜は慌てて「そんな大変なことじゃないです」と、ソフィアの申し出を遠慮していた。元々あるものだし、そもそも元になるサルサや果汁がないとどうにもならないものなのだし。
「遠慮するな。働きには相応の対価を受け取らなくてはならない」
「でも……」
「ジテンシャも商品になるなら相応の権利料が発生するぞ?」
流石にジテンシャは、まだ商品にするには遠いけど、この調味料は案外早く形になるだろうと、ソフィアは言う。
「ええ……そんな大変なことに……」
でも、権利をしっかりと目に見える形として評価してくれるのは嬉しいかも――実亜は戸惑いながらも、またこの世界の仕組みを学んでいた。
あえて言うなら、ホワイト企業――なのかも。なんて思いながら。
ホワイトな企業。
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