ご馳走の夜
(89)
「あの……こんなにご馳走を……ありがとうございます」
少しの眠りから目覚めた実亜を待ち受けていたのは、豪華な夕食だった。
テーブルには鳥の丸焼き――こんがり焼けていて、見た目だけでも美味しそうだ。他にも新鮮な野菜のサラダに、ポタージュみたいなスープに――おむすびや採れたてのブドウもある。
この世界に来てからこれまでも結構贅沢な食事をさせてもらっていたけど、流石に鳥の丸焼きは初めてだった。
実亜が丸焼きの鳥をどう食べるのか戸惑っていたら、執事見習いのクロエが綺麗に一口大に切り分けて皿に盛り付けてくれた。そして、とろみのあるソース――ブドウを熟成させた酢を使ったものらしい――を、鮮やかな手つきでかけてくれる。
「遠慮しないで、沢山食べてね?」
ローナが「いただきましょう」と笑って、フォークを手にしていた。
「は、はい。ありがとうございます。いただきます」
実亜はローナと切り分けてくれたクロエにも礼を言って、こんがり焼けた肉を食べる。ソースが甘酸っぱくて、濃厚なのに後口が爽やかだ。
「ミア、鳥の丸焼きにはシチミも合う」
ソフィアがスープを少し飲んでから、シチミがたっぷり入った小瓶を渡してくれた。なるほど――焼鳥に七味唐辛子をかけることもあるし、それはまた美味しいだろう。実亜はシチミを肉に少しかけていた。
「ミアお姉様、それでは少なくないですか? 遠慮しないでください」
そんなに少なくてはシチミの味がわからない――アステリアがそう言いながら不思議そうに実亜を見ている。確かに、ソフィアの普段のシチミの使い方は、シチューのような煮込みに大匙一杯とかの豪快なものだから、ひとつまみ程度では明らかに少ないだろう。
「アステリア、試しに少なめにかけて食べてみればいい。少ないほうが香辛料の風味が際立つんだ」
ソフィアが少し得意気にアステリアに説明をしている。いずれ帝都でも流行するだろうと付け足したりして。
「はい――本当です。沢山かけるより香辛料の香りがします。どうして?」
アステリアが実亜の真似をして、シチミを肉に少しかけて一口食べると驚いていた。辛さはあまり感じないけど、他の香辛料の香りがする――と。
「え? えっと、多分シチミは辛い成分が多めに入っているので、あまり沢山かけると辛さだけが勝つのかもしれません」
実亜は自分のわかり得る範囲での答えをアステリアに伝えていた。唐辛子は美味しいけれど、あまり多くてもそれはそれで辛いものだし、シチミには他にも色々な香辛料が使われているから、そこを踏まえての答えなのだけど。
「確かに、沢山かけた時の辛さもいいですけど、微かに香るシチミもいいですね」
ローナがシチミを少しかけた肉を食べて頷いている。控えめな辛さも美味しいものですと笑顔で。ソフィアはアステリアとローナを見て、嬉しそうに「ミアは凄いだろう?」と惚気ている。
「ミアお姉様、うちで作ったオムスビの味は如何です?」
私も少し手伝ったの――アステリアは三角形のおむすびを手にして、凄く楽しそうにしている。実亜が作るおむすびよりもやや小さめにアレンジされていて、食文化はこうして変わっていくのだなと思った。
「はい。お米がふっくらしてて美味しいです」
実亜もおむすびを手にして食べていた。この世界に来てから、初めて自分以外の人が炊いた米を食べたような気がするけど、炊き加減も丁度良くて、小さめだから食べやすかった。
「ふっくら?」
アステリアが首を傾げて、実亜を見ている。
「ふむ、わかったぞ。コメが固すぎず、柔らかすぎず美味しく炊けているということだな?」
ソフィアが楽しそうに実亜の擬音語を翻訳してくれていた。ここまでの旅で色々と話していたから、かなりスムーズに通じるようになっているみたいだった。
「当たりです。丁度いい感じに膨らんで柔らかいものを『ふっくら』と言ったりします」
「ふむ、『ふっくら』や『ふわふわ』――柔らかいものを表す言葉も多いのだな」
ミアと通じ合えてきた――ソフィアはそう言って嬉しそうにおむすびを食べて笑っている。
「ソフィアお姉様、その『ふわふわ』ってなんですか?」
アステリアが興味深そうにソフィアに訊いていた。
「柔らかいものを簡単に表すミアの国の言葉だ。そうだな――冬に使う羽毛布団はふわふわだ」
ソフィアは「いいだろう? ふわふわ」と笑ってアステリアに答えている。
「ふわふわ……勉強になります。ミアお姉様の言葉は可愛らしいです」
先生に教えてもらう勉強ではこんなことはない――アステリアは目を輝かせていた。
「本当――ミアさんもふわふわですね」
ローナはおむすびを手に、不思議なやり取りをしている三人を優しい笑顔で見守っている。
「ふむ、母上はミアが柔らかい性格の人だと見抜いているのか……」
ソフィアがしみじみと頷いて、サラダを自分の皿に山盛りにしていた。ここまでに食べた宿の野菜も美味しかったけど、家の野菜はやはり美味しいのだと言う。
「いえ、そんな……私は結構頑固ですし、面白くないですし……」
「あら、頑固さと柔和さは両立するのですよ?」
ローナが「私もどちらかと言うと頑固よ」と笑っている。
「そうですよ、クロエなんて優しくて頑固なんです」
アステリアがテーブルの近くに控えているクロエを見て、そんなことを教えてくれる。実亜がクロエを見ると、クロエはにっこりと笑顔で返してくれていた。
優しそうだけど、頑固には見えない。でも、アステリアにはもっと色々な面が見えているのだろうな――実亜は笑顔でクロエに返す。
というか、クロエやばあやたちの食事はどうなっているのだろう――自分だけこんなにご馳走を食べさせてもらってたら大変だし、あとでソフィアに訊かなくてはと実亜は思っていた。
「このブドウ、凄く甘くて美味しいです」
食後に食べるデザートのブドウは、凄くジューシーだった。皮は厚いけど、柔らかいので皮ごと美味しく食べられる。
「クレリー家の自慢の果物なんですよ。このブドウからブドウ酒やブドウ酢を作ってます」
他にも牧場と農場と――ローナがクレリー家の事業的なものを説明してくれていた。
「お屋敷にはブドウ酒やブドウ酢を作る場所もあるんですか?」
そういえばブドウ畑の近くに大きな建物があったな――実亜は今朝見かけた光景を思い出す。広大な畑に牧場に、倉庫に。それらを管理する人たちの家も敷地の中にしっかりと整備されている。
「ええ、ブドウ畑の近くにいくつか醸造所があるのよ。出来たものは帝国で売られています」
ローナは笑顔で規模の大きなことをサラッと言う。
ソフィアの家は、ある意味会社みたいなもの――それも第一次産業の生産から第二次産業にあたる加工、そして第三次産業の流通と販売までを総合的に扱う、第六次産業と呼ばれる業態になる。
「その、凄いですね」
実亜の感覚ではそうとしか言えなかった。あまりに規模が大きくて。
しかし、それでは気に入った服を扱う店を店ごと購入するだろうなと実亜は思う。単に贅沢なワガママとかではなく、事業主としての立場で利益も見込めるものなのだろうし――
「ミア、もう食べないのか?」
疲れているのではないか――ソフィアがぼんやりと考えごとをしていた実亜を心配そうに伺っている。
「えっ、あ、もう少しいただきます」
実亜は「ちょっとお家の色々なことを考えてました」と、苦笑いで返していた。
「ふむ、大事に育てられた畑の恵みだ、遠慮せず沢山食べてくれ」
ソフィアはちょっと過保護にブドウを食べさせてくれて、アステリアが「まあ……素敵」と笑顔で呟いていた。




