ソフィアの授業
(88)
「まず、ミアと私が此処に居る」
ソフィアが羽根ペンを手に、実亜に説明を始めていた。ソフィアはテーブルに広げた大きな紙の下側に、この世界の文字で「ミア」と書いている。その隣には「ソフィア」と書き入れて、線で隣同士を繋ぐ。
これは、家系図というものだ。もう家系図でも実亜とソフィアは伴侶の書き方になっている。
「はい」
何の問題もなく伴侶は嬉しい反面、そんなに気軽でいいのかとちょっとツッコミを入れたいのだけれど――実亜はお茶を飲みながら、アステリアと一緒にソフィアの説明を聞いていた。ローナとばあやは夕食の仕度の指揮を執りに、張り切ってキッチンへと旅立っている。
「ミアにも私にも、親となる人が居る」
ソフィアは実亜の名前の上に二つに枝分かれさせた線を書くと「父」「母」と書き足して、更にその上にも続けて、両親の両親の「祖父」「祖母」と書き入れる。そして、またその上にも祖父母の両親――つまり、曾祖父母を書き足していた。
「三代遡った曾祖父母の時点で、先祖が八人――この時点で一代三十年として、百年くらい前の話になる」
ソフィアはペンを一旦置いて「二人とも、わかるか?」と優しい先生になっている。
「はい」
「わかります」
実亜とアステリアは頷いていた。
そこまでは自分の年齢から計算すれば大まかな年数もわかる。祖父母は八十歳前後のはずだし、その上の世代だと生きていたら百歳以上だ。
「曾祖父母にも両親が居るし、その上にも両親が居る。八人の倍、更に倍――約三百年で十代遡ると、自分の先祖だけでも千人以上居るわけだ」
正確には千と二十四人――ソフィアはそう言いながら再びペンを手に、簡易の家系図に数字を書き入れて、丸で囲っている。
「千人以上……」
倍、倍になっていく計算だから、更に一代遡ると二千人を超える。もう少し遡ると一万人もあっという間だ――改めて計算すると、とんでもない人数になるものなのだなと実亜は思う。
「そして、勿論、私にも千人以上の先祖が居る」
ソフィアは自分のほうにも同じように簡易の家系図を書き入れて、上のほうにいくつか枝分かれさせた線を伸ばして「チヒロ」と書いていた。
「ミアと私の先祖で合わせて二千人も居れば、この『チヒロ』と言う女神と、ミアの先祖が親族だったとしても、何も不思議ではないだろう?」
説明しながらソフィアは沢山枝分かれした家系図の上のほうを大きく丸で囲っていた。
「……納得です」
実亜はまだインクが乾ききっていない家系図を指で辿って、深く頷いていた。
そもそも自分がどうやってこの世界に来たのかわからないし、その女神様がどうやってこの世界に来たのかも実亜にはわからないけれど、説明としては納得出来るものだった。
「ソフィアお姉様、よくわかりました。つまり、ミアお姉様はソフィアお姉様と結婚しなくても私にはミアお姉様になる――ということですね?」
アステリアが楽しそうにソフィアに笑いかけている。しかし、言っていることはなかなか少しズレている気もする。でも、優しくて可愛い人だと実亜は思う。
「可能性ではそういうことだ。これでも弟子の居る身だから、わかりやすい授業に自信はあるぞ」
ソフィアは長い説明を終えて、お茶を飲んでいた。
「……ということは、ミアお姉様は女神様と縁のある方。クレリー家をあげておもてなししないと、クレリー家の名折れです」
お茶を飲んでいる場合じゃない――アステリアが何かそういうちょっと大変なことに気付いている。
名折れ――確か、不名誉なことだとかを表す言葉だったはずだと実亜は知識をフル稼働させていた。
「いえ、仮に女神様の親族だったとしても、私は戦えませんし、女神様ではありませんから」
自分に女神様と縁があるならクレリー家の人たちも全員そうなる――というか、記録が残っている分、クレリー家のほうが女神様との縁が確実なのだから、そこは大変なおもてなしをされるのも少し違う気もするし。
「いや、わからないぞ? 戦いは何も剣で敵を倒すだけではない。守りを固めるのもまた大事なことだし、女神のもたらす文明によって国が栄えるのも大事だ」
ソフィアが頷きながら実亜のほうを期待に満ちた目で見ていた。
「でも……そんな大したものも特には」
実亜はちょっと首を傾げてソフィアに返す。ソフィアも同じ角度で首を傾げて、優しく笑ってくれている。
「しかし、ミアのスーツという服も、ここまでの旅で毎晩のように話してくれていたミアの国の文明も、ルヴィックにはないものだぞ」
ジテンシャはうちの職人に頼んでみようと思っていた――ソフィアが笑顔でサラッと凄いことを言っている。
「私も、ミアお姉様のお話をお聞きしたいです」
私、まだ帝都ルヴィックから出たことがなくて――そう話すアステリアも目をキラキラさせて実亜を見ていた。
「は、はい。お時間があれば」
実亜の返事にアステリアが嬉しそうに「約束ね」と笑う。アステリアは人懐っこい人だ。
「ふむ、しかしミアは派手なことをあまり好まない。お忍びということにすればクレリー家の名折れにはならないだろう」
皇帝陛下もお忍びで帝都を歩いていることがある――ソフィアはそんな情報を教えてくれた。
だけど、ソフィアの理解のおかげで、クレリー家をあげての大変なおもてなしは回避出来た。もてなしてくれる気持ちはとても嬉しいのだけど――
「ミア、長旅とお茶会で疲れているだろう。風呂で汗を流して、少し休むか?」
ある程度の話も終わって、ソフィアが実亜の顔をじっと見てから笑顔で気遣ってくれていた。
「え、でも、何かお手伝いとか。それに長旅はソフィアさん……ソフィア様も同じですから」
お手伝いと言ってもこの規模の家だと、何をどう手伝っていいものか全くわからない。ここはばあやとか執事長とかの熟練者に訊くしかないのだろう。ただ、何処に居るかを探すことから始めなくてはならないのだけど。
「気にしなくてもいい。私は慣れている――しかし、その『様』はミアらしくないからいつものように呼んでくれ。母上や皆にも気を使わなくていいぞ?」
先程のお茶会でも気を使って皆の名前を呼んでなかっただろう? と、ソフィアは実亜の頭を撫でてくれる。
「……はい」
実亜は素直に答えていた。ソフィアには隠せないというか、ソフィアは実亜をしっかり見てくれていて、それが凄く嬉しくて、だけど少し申し訳なくて。
何か、恩返しのようなことが出来たらいいのにな――実亜は思っていた。
「ミアお姉様、私のことはどうぞ気軽に『アステリア』と呼んでください」
二人を眺めて楽しそうにしているアステリアも、優しく実亜の存在を受け入れてくれる。
「はい、アステリアさん。私、色々と至らないですけど、よろしくお願いします」
実亜はまたお辞儀をしてしまったのだけど、アステリアは楽しそうに真似をしていた。茶器を片付けていた執事見習いのクロエは「勉強になります」と、目を輝かせている。
「ミア、私の部屋に案内しよう。クロエ、申し訳ないが此処は任せていいか?」
ソフィアもある程度の片付けをしてから、クロエにお菓子の入っていた小皿などを渡している。高級そうな装飾のあるカップやティーポットなのに、わりと扱いは普段使い的だった。
って、此処ではこれが普段の食器なのだから、本当に普段使いというもの――見たことのない世界はまだ沢山あるなと実亜は思った。
「はい、お任せください」
クロエは自分の片手を胸に当てて、綺麗な笑顔でソフィアを送り出している。スタイリッシュな執事――そういえばこの世界は、執事とかの呼び方にも男女の差がないらしい。
実亜の知識では男性が執事で女性がメイド――のような呼び方しかなかったから、新しくて楽しい。
実亜は広い家の中を歩き出したソフィアのあとを追っていた。
まさか、部屋まで五分ほど歩くとは実亜も思っていなかった――でも、豪邸というか城そのものだし、普通はそれくらいかかるのかもしれない。普通がわからないのだけど。
風呂も部屋までの途中にあるのかと思っていたら、今までの旅で泊まってきた宿のように、各部屋に備え付けられている。実亜は遠慮なく風呂を使わせてもらってから、ソフィアのベッドに寝転んでいた。
年に一度帰省するかしないかだと言うソフィアの部屋だけど、綺麗に維持されていて、ふわっといい香りもしている。ソフィアの香りにも似ていて、凄く落ち着く香りだった。
「ミア、疲れていないか? マッサージというものをしようか?」
私も結構覚えたぞ――ソフィアの手が実亜の肩を軽く指圧する。
「いえ、そんな。お気持ちだけありがたく――あ、気持ちいいです」
ソフィアの手が実亜の肩のツボを押す。強くないけどしっかりとした刺激は、緊張していた実亜の身体に優しく届く。
「ふむ、疲れているんだ。慣れない家で初対面の人たちと話すのは、私でも疲れる」
「やっぱり、そういうお茶会みたいなことも多いんですか?」
社交界と言うのだろうか、貴族の集まりは大変そう――でも、今日のクレリー家の人たちを見ていると、優しい人たちも多いだろうし、実亜が思っているより大変ではないかもしれない。
「そうだな。客人を招いて情報交換をする機会がないと、街の様子や暮らしがわかりにくいんだ」
何が流行っているかとか、最近の景気はどうだとか――ソフィアは説明をしてくれる。
「これだけ広いお家だと、気軽に街にも出られませんし?」
門から家まで馬で一時間ちょっとかかる距離では、気が向いた時にちょっと買い物もなかなか難しいだろうし、準備も大変そうだし、貴族の暮らしは思っているよりは不自由――
「そういうことだ。リスフォールは街の機能を出来るだけ集中させた新しい街だから移動も簡単だったが、帝都だと端から端に行くのも泊りがけだからな」
ソフィアはマッサージを続けて、今は実亜の背中から腰を軽く指圧してくれていた。
「広いと広いなりに大変なんですね……んん……」
適度なツボへの刺激が、実亜の口から安堵の息を溢させる。
「相当緊張していたようだな」
「はい……ソフィアさんのご家族とか皆さんにちゃんとご挨拶出来るかなって」
「ミアは立派に挨拶をしていたじゃないか」
マッサージを終えて、ソフィアは実亜の身体を反転させて仰向けにさせていた。そして、薄手のブランケットを実亜にかけて、柔らかくポンポンと寝かしつけてくれていた。
「それなら、嬉しいです」
「ああ、大丈夫だ――少しぐっすりするといい」
ソフィアは「ぐっすり」という言葉を気に入っているらしく、優しく笑っておやすみのキスをしてくれる。
「はい――ソフィアさん」
実亜は柔らかなベッドとソフィアの手を感じながら、不思議な幸せを感じていた。
遠い遠い、本当に遠い親戚かもしれなくて、でも、そんなことは関係なく、ソフィアは優しくて暖かくて、実亜にはもうかけがえのない人だ。
「どうした?」
「大好きです」
実亜はソフィアに答えて、目を閉じていた。
「ミアは可愛いな――」
少しの眠りに入る実亜の耳に、ソフィアの優しい声が聞こえていた。
君たち!君たちが居て僕が居る。(byチャーリー浜)




