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雨の日

(78)

「雨が降りそうですね……」

 旅の七日目の朝は、今にも雨が降り出しそうな曇り空だった。

 実亜は宿の窓を開けて、湿気が混ざったような少ししっとりした朝の冷たい空気を吸い込む。これはこれでわりと爽やかな気分にはなる。

 何も晴天だけが「いい天気」というわけではないのだし――雨だって降らないと植物とか川とかが枯れてしまうのだから。些細なことだけど、この世界に来て実亜の認識が変わったことの一つかもしれない。

「そうだな。雲の様子を見てもこれから雨だ。無理をしないように、もう一泊しようか」

 ソフィアが実亜を後ろから抱きしめて、深呼吸をしながら空を見上げていた。

「はい。ちょっとしたお休みですね」

 実亜は腰に回されたソフィアの腕に自分の手を重ねて、しばらくソフィアにもたれてみる。ソフィアは実亜の身体をしっかりと受け止めて、そっと頬を寄せてくれるのだ。

「リューンとリーファスの様子を見て、自分たちの服の洗濯をして、温泉に入って――休みでもすることが多いから、休みとも言えないが」

 ソフィアは納得したのか実亜の頭を撫でて、身体を離す。

「温泉に入るのは丁度いいお休みですよ」

 実亜は寝間着を着替えて身支度をしていた。今日は休みだから、乗馬服ではなくて普段着だ。

「ふむ、一日の疲れは風呂で取れとも言うからな」

 ソフィアは騎士の服――軽装のほうだけど、毎日気を抜けない感じで少し大変かもしれないと実亜は思う。リスフォールでも何かあればすぐに仕事に向かっていたし、ソフィアに本当の休みはあるのだろうか。

「そうなんですか?」

「言わないか? 帝国では昔から言われている健康の心得だ」

 キリッとした佇まいで、ソフィアが笑う。やっぱり騎士の服は格好いい――何故かわからないけど。

「疲れた時には熱めのお風呂に入るといいとかは聞きます。あとはぬるめのお風呂で半身浴とか」

「熱い風呂とぬるめの風呂……それは忙しいな」

 沸かす手間を考えると湯船も二つ必要だし――ソフィアは宙を見て、実亜の言った風呂を想像しているようだ。

「一回に入るんじゃなくて、その日の疲れに合わせて使い分けるんです」

 実亜は「湯船に浸からず汗を流すだけの場合もある」と、更に風呂の説明をする。

「成程、ミアの国にも風呂にこだわりのある人が多いようだ。それなら、湯の花は知っているか?」

 ソフィアは着替えを済ませた実亜をじっと見て、そっと手を伸ばして髪を整えてくれていた。

「聞いたことがあるような、ないような……」

「温泉の成分が固まった粉末だ。家の風呂に溶かして使うと温泉気分を楽しめる」

 他にも金属の研磨に使ったりする――ソフィアは風呂の知識を披露している。ソフィアの言う湯の花はつまり、入浴剤だった。でも金属を研磨出来る――ミネラル成分の多い塩に近いものだろうか。

 どちらにしても、この世界にも風呂にこだわる人は多いようだ。


「リューン、リーファス、今日は存分に休んでくれ」

 まずは馬たちのケアで実亜とソフィアは厩舎に居た。それぞれの馬房で休む愛馬たちにポロの実を食べさせて、おはようの挨拶をする。二頭とも旅の疲れもなく元気そうで、まずは一安心で実亜はリーファスの首を撫でていた。

 ソフィアは馬たちの脚のケアのために巻いていた肢巻(しまき)――バンデージのようなもの――を外して、脚の腫れやむくみががないかを確認している。

 人も馬も、むくみとりには苦労するんだな――実亜も一緒に確認しながら思っていた。

「腫れもない。飼葉もよく食べているし、安心だな」

 ソフィアは手早くリューンのチェックを終えて「良い子だ」と、鼻筋を撫でている。リューンは目を閉じて喜んでいるみたいに見える。実際、もっと撫でて欲しいみたいで顔を寄せている。

「リューンは可愛いな」

 実亜を褒めてくれる時と同じ口調でソフィアがリューンを褒めている――ような気がする。

 だけどソフィアはあらゆるものに優しいし、そうなるだろうなとも思う。実亜としては、そういう優しいソフィアも好きだし、素敵だ。

「どうした? リューンに妬いているのか?」

 ソフィアが実亜を見て、少し苦笑いでそんなことを言う。

「いえ、そんな――仲良しだなって。あとソフィアさんは優しいなって」

「ふむ――ミアも優しい人だと思うが……でなければリューンもリーファスも懐かない」

 ソフィアはリーファスの馬房に移って、実亜を呼ぶ。馬の健康管理もご主人様の大切な仕事だから、覚えられるように丁寧に教えてくれていた。

「そんな、馬が懐くとか懐かないでとかで人柄ってわかりますか?」

 実亜はリーファスの脚をそっと触って、腫れやむくみがないかを確かめる。

「馬は乱暴な扱いをする人には懐かないぞ?」

「それは人でも同じです……」

 リーファスの健康チェックを終えて、実亜はリーファスに「お疲れ様」と声をかけていた。

「ああ、同じだ。だからこそ、どんなものにも優しく接することが大事――今のミアのようにな」

 ソフィアは実亜を見て笑っている。今の実亜はリーファスの首元を撫でて、リーファスが顔を寄せてくれている。少しくすぐったいけど、それも可愛い。

「……」

 実亜がリーファスをじっと見つめると、リーファスはペロッと実亜の首元を舐めていた。

「リーファスもミアが好きか。気持ちはわかるが、ミアは私の大事な人だから渡せないな」

 ソフィアが大真面目にリーファスに言い聞かせている。やっぱり、この世界の人は馬と話せるんじゃないだろうか――実亜は大真面目にリーファスと会話しているソフィアを見ていた。


「雨が降り出してきましたね」

 宿の窓ガラスにポツポツと雨粒が当たる音で、実亜は雨に気付いていた。

「ああ、もう降り出してきたか」

 洗濯も終わったけど、時間はまだ午前中――ソフィアは宿に置かれていた本を読む手を止めて、窓の外を見ている。

「雨もいいですよね。私、前の国に居た時は、雨って傘を差しても服も荷物も靴も濡れるし、いつもより大変だなとしか思えませんでした」

「ふむ――確かに大変なことも多いが、雨が降らなければ川や湖が枯れて草木も芽吹かない」

 雪も同じだな――ソフィアは実亜の話を聞いて、優しく同意してくれていた。

 自然と上手く折り合いを付けて生きられる世界は、実亜には心地がいい。きっと、自分は以前のような世界では上手く生きられるタイプではなかったのかも――なんて思ったりもして。

「ミア、雨が降る時のミアの言葉はあるのか?」

 ソフィアは実亜をソファに呼び寄せて、身体を抱きしめる。

「えっと『しとしと』とか『ちゃぷちゃぷ』とか言います」

 「しとしと」はどちらかと言えば小雨を表していて、「ちゃぷちゃぷ」は水が溜まっている音――実亜は窓の外の雨を見る。そして、少し強い雨の今は「ザアザア」だと説明する。

「ふむ、言われてみればザアザアしているな」

 ソフィアは実亜と一緒に窓の外の雨を眺めて、実亜の身体と言葉をしっかり受け止めてくれていた。

 旅の小休憩は、そんな風に穏やかに過ぎて――

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