旅の名物
(77)
「ソフィアさん、素朴な疑問なんですけど、宿は一泊おいくらなんですか?」
実亜は昼食を食べながら、ソフィアに訊いていた。
旅も六日目になり、日程の半分くらいが見えてきた――二人と二頭は昼食のために街道沿いの小屋で休憩していた。実亜とソフィアは小屋の近くの屋台でホットドッグみたいな料理を食べて、リーファスとリューンは飼葉を食べている。
「二人で一泊十オーツから十五オーツくらいだな」
「えっと……かなりお得ですね?」
実亜はこちらの通貨を馴染んだ円に換算する。此処に来てかなり経ったのだが、この癖はまだ抜けない。
一オーツはこちらの世界で銀貨一枚――実亜の居た世界で五百円くらいの価値だから、宿は一泊で五千円から八千円を超えないくらいの価格だ。部屋の中で剣を振っても大丈夫な広さと、結構豪華な内装の部屋でその価格だなんて、かなりのお得感がある。
「相場はこのくらいだが、ミアの国だと宿は高いのか?」
どの国でも旅人は居るだろう――ソフィアは実亜の口元をジッと見つめると、手を伸ばしてきて、口元を拭っていた。どうも、ソースがついていたようだ。
「安いところだと一人で十オーツくらいですけど、本当に寝るだけの場所で狭かったりしますし、食事もなかったりします」
実亜はソフィアの指先についたソースを自分で舐め取っていた。ソフィアは「ミアは可愛いな」と謎の納得をして、お茶を飲んでいる。
「食事は――前に言ってた昼も夜も開いている店で買うのか」
ソフィアは以前、実亜がしたコンビニエンスストアの話を思い出したようで、確かに街に数件あれば便利だなと頷いている。
「はい、大体近くにそのお店があるので。あとは、追加で朝食だけをお願い出来たりもしますし、名物を出す料理店に行ったりする人も居ます」
他にも出前もあるし、一応食べ物には困らない――実亜はそう説明をしていた。
「成程、料理の上手い人が料理を、宿は宿で眠りやすい寝床を提供するんだな? それも分業という商売の方法だな――異国の話は学びがある」
ソフィアは楽しそうに実亜の話を聞いて、笑っていた。
「ミア、疲れてはいないか?」
昼食を済ませて、あとは日が暮れる前に今日の宿への道を歩いていた。
ソフィアが水飲み場で歩みを少し止めて、リューンに水を飲ませている。実亜もリーファスに水を飲ませるために止まって、一旦リーファスから下りていた。そして、屈伸で膝を曲げ伸ばして、ついでに腰や背筋も伸ばす。馬に慣れていないと、大体最初に疲れが来る場所らしい。
「はい。適度に休憩してくださってるので大丈夫です」
実亜はストレッチをしながら、馬上のソフィアに返す。ソフィアは慣れているので、長時間の乗馬でもそれほど疲れはないらしい。そもそもの体力や筋力などの差もあるだろうけど。
「そうか、今日の宿場が見えてきたからもう少しだ。宿に着いたら名物のスイミツトウを食べようか」
「スイミツトウ……? どんな食べ物ですか?」
耳にしたことのない名前の食べ物――名物と言うからにはリスフォールにはないものだろう。ということは、輸送で痛みやすい野菜とか果物だと実亜は推理をしていた。
「果物だ。もう少し進めば果樹園があるはずだが――ああ、遠目に見えるな」
ソフィアがまだ遠い宿場の方向を見ていた。
推理が当たった――スイミツトウは果物だった。だけど、どんな果物かの想像は出来ないから宿に着いてからのお楽しみ――
「あ、あの木が綺麗に並んでるところですか?」
遠くからでもなんとなく規則的で綺麗に立ち並んでいる木々が実亜の目に入った。
「そうだ。まだ収穫されてない実が残っていると思うが、流石に此処からでは見えないな」
「楽しみに見学してみます」
実亜は休憩が済んだリーファスに乗って、またソフィアと共に旅路を行くのだった。
「あ、多分、桃です」
果樹園の近くの街道を馬でゆっくりと歩きながら、実亜はスイミツトウの木を見て、そこに実を付けている果物を観察していた。
丸い果実は淡いピンク色で、実亜の知っている桃だ。果実の一つ一つに薄い紙がかけられて、丁寧に育てられていた。
それでも落ちてしまった果実を鳥が啄んでいたりして、風に乗って甘い香りも漂っている。
「ふむ――ミアの国にもあるのか。そういえば、スイミツトウは女神がもたらしたという伝説があるな」
どのくらい昔の伝説かはわからないらしい――ソフィアがそう言って期待を込めた目で実亜を見ていた。
「あの、私は女神様じゃないですからね? そんな何か特別なこともありませんし……」
「しかし、あのスーツという服は新しい文化だと思うが……」
ソフィアはこういうところで引き下がってくれない。というか、本当に実亜は女神じゃないのだけど、それを証明する手立てがないのが問題かもしれない。
「……ソフィアさんの服の襟を広げたら、スーツみたいになりません?」
実亜はソフィアが着ている騎士の制服を見ていた。制服の襟は詰襟で、今はホックを外しているから、もう少し胸元を広げたらスーツのテーラー襟みたいになりそうなのだけど。
「――こうして……釦を外して……ふむ……成程? 少し似ている」
ソフィアは手綱を片手で持って、片手で自分の服の襟元を少し広げて、確認していた。
宿に着いて馬たちを休ませてから、実亜とソフィアは宿場の小さな街を歩いていた。
採れたてのスイミツトウ――桃を売っている店があったから、それを二つ買って、店のイートインスペースのような場所で食べる準備をする。
「持ってるだけで甘い匂いがします……」
実亜はよく熟れたスイミツトウを手にして、じっくり観察していた。どう見ても、桃――甘い匂いも、細かな産毛のある皮も、桃そのものだ。
「丁度いい時期に来られた」
ソフィアは自分が持っている桃の皮に小さなナイフで切れ目を入れて、するっと剥いている。熟しているから皮も簡単に剥がれるようで、みずみずしい果肉が現れていた。
「お皿です」
実亜はテーブルに積み重ねられている皿とフォークをソフィアに差し出す。この世界の店にあるイートインスペースは、大体こういった食器類が置いてあって、自由に使って良いものだ。
「ありがとう。切っていくから、気にせず食べるといい」
ソフィアは桃を食べやすい大きさに次々と手際よくカットして、実亜に勧めてくれていた。
「いただきます。んー……甘いです」
一口でわかるジューシーさと甘さで、実亜の口の中は一杯になる。思わずじっくり目を閉じたくらいだ。
「ソフィアさんも食べてください」
実亜はフォークで桃を刺して、ソフィアに差し出す。こんなに美味しいものを独り占めはよくないから。
「――そうだな。私もいただこう」
ソフィアはもう一つの桃の皮を剥きながら、実亜が差し出した桃を食べて「甘いな」と笑っていた。その柔らかな笑顔が見たくて、実亜はもっと桃を食べさせる。勿論、自分も食べながら。
「思うんですけど、ポロの実に味が少し似てません?」
二人で笑い合いながら桃を食べて、実亜はかねてからの疑問をソフィアに伝えていた。
馬たちのご褒美で食べさせるポロの実は、見た目はレモンの形をしたリンゴのようで、食べるとまだ熟してない硬い桃のような味なのだ。
「ふむ――スイミツトウのほうがはるかに甘いが、風味は似ている。ポロの実はミアの国にはないのか?」
「私は見たことがないです」
少なくとも一般的なスーパーマーケットには並んでいない。輸入の果物でも見たことがないし、他に似たようなものも思い当たらない。
「馬も街中を歩いてないと言っていたな。それなら目にする機会も少ないか……」
ソフィアはサービスのお茶を飲みながら、実亜の居た国を想像しているみたいだった。
「ふむ、ミアの国には機械で動く馬車のような乗り物がある――」
宿に戻って夕食を食べて、風呂を済ませて明日のために柔らかなベッドで眠る――旅に出てからのルーティンになっていた。そして、眠る前の少しの寝物語も――
「はい」
実亜はソフィアの隣で、返事をしていた。
「しかし、機械はかなり高価だろう? 誰でも持てるものなのか?」
ソフィアの話ではリスフォールの鉱山で使われる掘削の機械は帝国が保有しているものらしい。つまり、この国では機械というものは国家予算の規模でしか導入出来ないから、ソフィアはそこが不思議らしい。
「誰でもは持てませんけど、そんなに高価なものでもないので……えっと、そうですね、小さな自動車だと、百万円くらいだから……二千オーツあればなんとか買えます」
維持費とかはさて置いて、軽自動車なら買える額をこちらの通貨に換算して実亜は答えていた。
「成程――手軽にとは言い難いが、それなら一般的にも買えない額ではない」
ソフィアが「しかし、機械がそんなに安いのか」と、驚き半分で実亜を見ている。
「もっと手軽な乗り物だと、自転車って言って、自分の足で車輪を回す乗り物があります」
「ふむ。それは面白いな」
前後に車輪があって――実亜はベッドのシーツに指先で自転車っぽい形を描いて、ソフィアに説明をしていた。シーツだから描いた跡は全く残らないのだけど、ソフィアは真似して自分でも指先で車輪を描いて、座席はこの辺りだろうか、と想像を膨らませてくれている。
「はい。座席は車輪の真ん中辺りで、車輪を回すためのペダル――踏んで回転させるものがあって、チェーンって言う鎖みたいなもので繋がっている後ろの車輪が回るんです」
前の車輪で方向を変える――実亜の説明をソフィアは何度も頷いて、楽しそうに聞いていた。
「勉強になるな……そのジテンシャは安いのか?」
「えっと、三十オーツあればわりと丈夫な自転車が買えます」
実亜は指折り数えて換算しつつ、値段を答える。
ママチャリと言われるシティサイクル系のものなら一万五千円くらいで買えるし、頑丈だから十年くらいは使える――パンクとかそういう時の費用を除いてだけど。
「ほう、一気にお買い得なものになった。機会があればうちの職人に頼んでみても良いかもしれないな」
ソフィアが楽しそうに笑って、シーツに絵を描いていた実亜の手を軽く握っていた。
「あ……」
「どうした?」
ソフィアの綺麗な目が、実亜を優しく見つめている。視線が合うと、ソフィアは目を少し細めて笑うのだ――
「えっと、もっとギュッてして欲しいです」
眠気が混ざる思考の中で実亜から出てきたのは擬音語だった、これだと伝わらない。実亜は言い直そうとして、息を吸う。
「――ふむ、こういうことか?」
ソフィアは少しだけ思案して、実亜の身体を柔らかく抱きしめてくれていた。
「そうです……ありがとうございます」
伝わった――実亜はソフィアの腕の中で大きく深呼吸をして、もう少しだけ甘えるように自分もソフィアの身体に腕を回して目を閉じる。
「ようやくミアの言葉がわかった――嬉しいものだな」
実亜は今夜も、ソフィアの優しい腕と声に包まれていた。




