旅一日目
(71)
昼食の休憩を挟んで、実亜たちは午後からもまた二人で馬に乗って街道を歩いていた。愛馬のリーファスとリューンは時々立ち止まっては道端の草を食んだりしながら、ゆっくりと進んでいる。
わりとゆっくりのペースのように思うけど、振り返っても、リスフォールの街はもう見えない。さっき休憩した小屋のあった丘も、実亜の目では確認出来ないくらい遠くだ。
「もう少し行けば小さな街がある、今日はその辺りで休むことにしよう」
日も暮れる時間だし、初日から無理をしないほうがいい――ソフィアは少し立ち止まって、地図と街道の標識を見てから実亜に笑いかけてくれていた。
実亜に地図を見せながら「此処からこう歩いてきた」と、指先で街道を辿って説明してくれる。
地図の上ではまだまだ先は長いけれど、景色が実際に変わる様子をこの目で見ていると、相当の距離を歩いてきたのだと実亜は思う。実際に歩いたのは可愛い愛馬たちなのだけど。
「はい。此処から――結構遠くに来ましたね」
実亜も地図の上を指先で辿って、この世界を再確認していた。見たことのない地図と文字――だけど自然に読めていることに実亜が気付いたのは、つい最近のことだった。
何故、自分が此処に居るのかはまだわからない。だけど、きっとこの世界に巡り逢うための何かがあったのだと思うようにしている。
「長い時間馬に乗るのも意外と疲れるだろう? 今日はよく眠れるぞ」
今日はもう少しだ――ソフィアがしばらく考え込んでいた実亜を見て、そっと手を伸ばして頬を撫でてくれていた。何故だろう、それだけで物凄く元気になれて、安心出来て頑張れる。
「はい、ソフィアさん、私のことを連れて行くの、少し不安だったんじゃないですか?」
実亜はそんな冗談を言いながら、リーファスの首を撫でて「もう少しだよ」と、ゆっくり歩き出していた。
「ふむ――全く不安がないと言えば嘘になるが、ミアには意外な強さがあるから、そこまでの不安ではなかったな」
ソフィアもリューンに合図をして、実亜の隣を歩きながら笑っている。
「私、強いですか?」
自分としてはそんなに強いとも思えないけど、でも知らない世界に順応出来ているから、実亜としてはそこが不思議だ。それが強さなのだろうか。
「ああ、ミアは思っていたより芯が強い。そんなところも素敵だな」
「――ありがとうございます」
実亜とソフィアの二人でそんな話をしながら、今日の目的地へと向かっていた。
「わあ……お部屋がキラキラしてます。寝床も、部屋の中なのに屋根が……」
旅に出て初めて泊まる宿は、豪華なホテルのような感じだった。壁には風景を描いた絵画がかかっているし、ソファには細かな刺繍があって、テーブルには銀の細工が施されている。
ベッドにもカーテンがかかっていて、実亜が昔見たことのある海外の映画みたいな――何処かの国のお姫様が寝ていたベッドのようだった。
「ああ、家ではあまり装飾がない家具ばかりだから、天蓋付きの寝床は珍しいだろうな」
屋根のあるベッドは天蓋付きと言うらしい。勉強になったと実亜は思った。多分、前に居た世界だと、一生泊まることも知ることもなかっただろうから。
「何処の宿も同じような部屋なんですか?」
宿に着いてソフィアが宿の人と少しやり取りをしてから、案内されるままにこの部屋だったけど、ソフィアの家を考えるとソフィアの好みだけで選んだわけでもなさそうだ。
「いや、安い部屋だともう少し簡素な内装だが――立場上、少しいい部屋を勧められるんだ」
ソフィアは荷物を置いて、部屋の中を色々と確認している。風呂は温泉が引かれているらしい。
「騎士様だからですか?」
実亜はソファに座って、部屋を探索してるソフィアを見ていた。慣れた宿ではあるけど、二人部屋に泊まるのは初めてだと楽しそうだ。
「そういうことになる。私が値切りでもして騎士の品位を落とすわけには行かないから、どうしても勧められる部屋になるのだが」
一通り部屋を探索し終えたソフィアがソファに座る。
「騎士様って大変なんですね」
節約旅とかバックパッカー的な旅をしたくても騎士の装備で大体の職業もわかってしまうし、泊まる時の身元の保証には身分証だとかも必要だろうから、そこでも判明することになる。
「それも騎士の勤めだ。それにいいこともあるぞ? 騎士の紋章を見せたら季節の果物や菓子をもらえたりする」
名産の菓子もあって、嬉しいおまけだ――ソフィアが誇らしげに笑っている。
「えっ、可愛いです」
「――菓子が可愛いのか? 食べ物を可愛いというのは珍しいな」
ソフィアはそう言いながらテーブルにある飲み物の瓶を開けていた。サラッとした赤紫色の液体をグラスに注いでいる。「疲れが取れる」と、実亜のほうにも一杯渡してくれた。
「いえ、それがいいことだって嬉しそうなソフィアさんが、可愛いです」
実亜は謎の液体を確認して、小さく一口飲む。色からはワインみたいなものを想像していたけど、全然違う爽やかで甘酸っぱい飲み物だった。
「ふむ……照れるな……」
ソフィアがグラスを傾けながら照れていた。どうも可愛いと言われるとソフィアは照れるらしい。
「お食事、豪華ですね」
日も暮れて、実亜たちが大食堂に向かうと、宿の人たちがすぐに盛り沢山の料理を用意してくれた。メインはステーキで、リスフォールでは手に入りにくい新鮮な野菜のサラダもあって、小さなカップには温かいコンソメスープらしきもの――燕麦のパンは焼きたてだし、実亜としては豪華だと思う。
「この宿は料理が評判なんだ。野菜も温泉の熱を利用して育てているらしい」
ソフィアは料理を食べながら、楽しそうに実亜に色々とこの地域のことを教えてくれていた。この地域の温泉は元の温度がかなり高いから、宿に引いてくるまでに小屋の下に温泉を通して温室を作っているらしい。
「少し場所が違うとそういうことも違うんですね」
実亜は美味しい料理を食べながら、ソフィアの話を楽しむ。まだ一日しか移動していないけど、地域の違いが感じ取れるのは今までにない経験だと思った。
「ああ、旅の楽しみでもあるな――明日の宿だと温室で育てた果物が食べられるかもしれない」
ソフィアも笑って、この先の楽しみも少し教えてくれる。
「へえ……リスフォールだと冷凍のものばかりでしたけど」
「そのまま馬車で運ぶと果物が痛んで味が落ちるらしい」
果物は柔らかくて繊細だ――ソフィアは何を思ったのか「ミアみたいだな」と呟く。
「……馬車だと、かなり揺れますもんね」
実亜はソフィアのちょっとした惚気に照れながら、旅の初日の料理をじっくり味わっていた。
「温泉はどうだった?」
食事も済んで、あとは部屋で眠るだけ――実亜はその前に一日の疲れを風呂で流していた。
先に風呂を済ませていたソフィアが、すぐに実亜の髪にコンディを塗ってくれる。ヘアオイルのようなコンディは、小瓶に分けて持って来ていたもの――馴染んだ香りがあると安心出来るというソフィアのアドバイスを元にしていた。
「はい、あの、お肌がすべすべになりました」
温泉の湯は少しとろみがあって、身体にするっと馴染む感じだった。温度もぬるめで丁度良くて、温泉の効果を思い知る風呂だった。
「すべすべ……また難しいな。サラサラの親類か?」
ソフィアは実亜の髪を撫でて「今はサラサラだ」と、優しい声で話してくれている。
「はい、似たような――手触りが良い感じです。髪だとサラサラで、肌だとすべすべ」
でも厳密に決まってるわけじゃない――実亜は髪を撫でられながら、瞼が重くなっていることに気付く。
思っていたより疲れているのかも――旅へ出たという非日常の出来事で張り切っていたし――
でも、非日常と言うなら、今の自分の状況だって非日常的なのにな――なんて思う。
「ミア――」
ソフィアの優しい声がする。
「――あ、ごめんなさい。うとうとしちゃって」
「いや、疲れているのだろう。私に掴まって――」
ソフィアは実亜の腕を自分の首に回して、耳元で囁く。
「はい……ん……」
半分眠りの中に入りながら、実亜はソフィアに抱きついていた。柔らかくて安心出来る温度はいつも実亜を包んでくれる。
そして、実亜の身体が抱き上げられる。
ふわふわ――思えばこの世界に来た時も、ソフィアの腕の中だったと、実亜は思い出していた。
そして、柔らかいベッドが身体を包む。今日は寝慣れたベッドの柔らかさとは少し違う。
「おやすみ。明日は『うとうと』を教えてもらおう」
ソフィアの甘い唇が実亜の額にそっと触れる。おやすみのキスは――凄く嬉しい。
「はい――うとうと……おやすみなさい」
実亜はソフィアの腕の中で、眠りに就いていた。
赤紫の飲み物は赤しそジュース的な。




