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雪解け

(60)

 日に日に寒さも緩んで、気のせいか吸い込む空気が少ししっとりしているような――積もっている雪が溶け始めて湿度が少し高くなったのだろうか。

 そういえば雪がしっかり積もっている今も、寒さはそれなりにあるけどそんなに乾燥した感じにはなっていない。実亜は毎年冬になると軽い喉風邪を引きがちなのだが、それもなかった。

 実亜は環境の不思議を感じながら、朝の馬小屋で飼葉を追加する作業をこなして、リーファスとリューンにポロの実を食べさせていた。

 そして、ソフィアに教えてもらってから毎日観察しているマツユキソウを見に裏庭に向かう。

 何本かの蕾から白い花弁(はなびら)がうっすらと見えて、あと少しで開きそう――

「もう少しかな……頑張れ――って、どう頑張ればいいんだろ? 頑張らなくても、ちゃんと待ってるから落ち着いて咲いてね」

 実亜は花に話しかけていた。ちょっと変な人になっている――自分で心の中でツッコミを入れてみるが、わりと虚しい。だけど、植物を見て応援出来る余裕があって、ツッコミまで出来るのだから、昔を考えたら大きな進歩だと思った。


「ああ、ミア。餌やりありがとう。寒くなかったか?」

 実亜が家の中に戻ると、ソフィアがすぐに温かいお茶を出してくれた。

「はい。この頃、そんなに寒いって思わなくなりました」

 でもまだ温かいものが嬉しいくらい――実亜はお茶を受け取って、両手を温める。

「ふむ……寒さが落ち着いてきたのだろうな。食事にしよう。ミアに教えてもらったミソシルを一人で作ってみたぞ?」

 ソフィアは楽しそうにテーブルセッティングをして、料理を置いていく。

 ベーコンエッグと味噌汁と燕麦のパン――取り合わせが色々だけど、全部美味しそうだ。

「ありがとうございます、美味しそうです。いい匂い」

 本来なら食事は実亜が作る役目なのだけど、ソフィアは色々と役割分担をしてくれる。元々自分で身の回りのことをしていたし、何より伴侶なのだから分け合うものだ――と。

「そうだろう――遠慮なく食べてくれ」

 ソフィアは少し得意気に笑って、実亜の様子を見守っている。

「いただきます」

 実亜はまず味噌汁を少し飲む。丁度良い味で、小魚と野菜の出汁も利いていた。小魚はそのまま入っているけど、具沢山の味噌汁だからそれも美味しい。

 そして、何よりもソフィアが実亜の故郷の味を作ってくれたのが嬉しかった。

「どうだ……?」

 ソフィアが自分の食事を食べるのも忘れた感じで、興味津々に実亜に訊く。

「美味しいです。なんか……すごく幸せな味がします」

 実亜はそう答えて、味噌汁を大事に食べる。

 美味しくて、温度だけではない温かさがあって、心まで満たしてくれて――凄く贅沢な味だ。

「――そうか、それならいい。沢山食べてくれ」

 ソフィアもゆっくりと食事をしながら、実亜を見守ってくれていた。


「ミア――花が咲いたぞ?」

 朝食が済んで、ソフィアが仕事に向かう前――ソフィアが裏口からそう言って実亜を呼ぶ。

「え? さっきはまだ……」

 食器の片付けをちょっと中断して、実亜は裏口へ向かう。さっき自分が蕾を見てから一時間くらいしか経ってないけど、そんなに早く咲くものなのだろうか。

 実亜が裏庭に出ると、ソフィアがマツユキソウのある場所にしゃがんで、実亜を待っていた。朝の柔らかな陽射しがキラキラ光って、ソフィアを照らしている。

 気のせいかまとっている空気も光っているような――実亜は改めてソフィアを見ていた。

「まだ一輪だが、今年も綺麗に咲いたようだ」

 ソフィアの足下には同じく、陽射しを浴びて柔らかく白く光る、小さな花が咲いている。

「はい、綺麗ですねえ……」

 実亜もソフィアの隣にしゃがみ込んで、一緒に咲いたばかりの(ささ)やかな花を守るように眺めていた。か弱く見えるけど、しっかりと咲いていて綺麗だ。

「そういえば、花が咲いたら何か誓いをしてくれるのではなかったか?」

 ソフィアが期待に満ちた目で実亜を見ている。誓いとは言っても、そんなに期待されるようなものではないかもしれないから、実亜は少し言い(あぐ)ねていた。

 その間もソフィアは実亜の言葉を、誓いを待ってくれている。そして、その優しい手で、そっと実亜の頬に触れていた。

「あの――私、ソフィアさんとずっと一緒に居てもいいですか? いえ、ずっと一緒に居ます。でも、もしも……私が邪魔になったら――」

 遠慮なく捨ててください――その弱気な言葉はソフィアのキスで塞がれる。

 誓いの最後の「捨ててください」という言葉は、それこそが実亜の捨てたかった考え方で、いつまでも頭から消えてくれない「不必要な存在」という考えを表したものだった。

 不必要だと思っていたから、必要とされたくて生きてきた――だから、簡単には癒えない傷だ。

 だけど、ソフィアはそんな実亜の考えを打ち消して、傷を何度でも塞いでくれる。

 柔らかくて温かいキスとソフィアの優しさは、しっかりと実亜の心まで届いていた。

「――ミアを邪魔だなんて思うわけがない。私の傍に居てくれ」

 ミアが必要なら、何度だって同じことを言う――ソフィアは実亜の心臓の辺りに手を触れて、とても柔らかく笑っていた。

「はい――誓い、なんか逆になっちゃいました」

 改めて誓わせてください――実亜はソフィアの心臓の辺りに触れる。

 トクントクンとソフィアの鼓動が伝わって、実亜の鼓動と混じり合っていた。

「それもミアらしくて控えめでいいと思うぞ?」

 ソフィアは笑って実亜にもう一度キスをする。

「――でも、少しは強くなりたいので、頑張ります」

「成程、それなら存分に誓いを――落ち着いて、息を大きく吸って、吐いて」

「はい。私は、ソフィアさんとずっと一緒に居ます。永遠に」

 実亜は深呼吸をしてから、迷いのない言葉で誓う。

 弱気な自分に振り回されて迷わないように。道標は目の前に居るこの人――ソフィアだ。

「素敵な誓いをありがとう――」

 ソフィアはまた実亜にキスをして、実亜の誓いを受け取ってくれていた。


 そして、リスフォールに雪解けの季節がやって来る。

前話への誤字報告ありがとうございました。

反映させております。

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