雪解けの気配
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あれから、実亜は二ヶ月ほどソフィアと乗馬の練習をしたり、ばあやに時々実亜の居た世界の食事の作り方を教えたりで過ごしていた。たまにアルナとお茶をしたり、アルナの家族が経営しているお店で数日働かせてもらったり――
実亜はそんな風にリスフォールでの生活にも馴染めて、友達も出来て、凄く充実していた。
「そろそろ雪解けも近いな――」
市場からの帰り道――ソフィアがリューンの上から道の端を見て、そんなことを言っている。
「わかるんですか?」
実亜はリーファスに乗って、ゆっくりとソフィアと歩調を合わせて、ソフィアを見ていた。実亜はもう乗馬にもかなり慣れて、少しくらいよそ見しながらでも手綱をしっかりとコントロール出来るようになっていた。
「ああ、この花の蕾が膨らみ始めたら雪解けが近い」
「どの花ですか? わ……危な……」
ソフィアの視線を追って実亜は道の端を見る。馬上だと高さがあるからわかりにくいけど、確かに植物がある。だけど蕾――と思って身体を乗り出して危うくバランスを崩しそうになった。
「あまり乗り出すとまだ危ないな。家の裏庭にもあるだろうから、あとで見ればいい」
花は逃げない――ソフィアはなんとか姿勢を立て直した実亜を見て笑っている。
熟練者でも馬を斜めに乗ることはあまりないが、とも付け足して。
「気を付けます……」
実亜はソフィアに返して、リーファスの鞍上で姿勢を正す。
「だが――ミアも馬に乗るのにはかなり慣れただろう?」
またゆっくりと家までの道を歩きながら、ソフィアが笑う。最初の頃から比べたら驚くくらい上手くなったし、見ていて安心出来るようになったらしい。
「はい。ソフィアさんとリーファスのおかげです」
教え方が上手いのもある――実亜が答えると、ソフィアが「ははっ」と、爽やかに笑う。リーファスも名前を呼ばれたことに反応して、少し鼻を鳴らしていた。
「それなら、帝都までは二人で行けるな。そのつもりで心構えをしてくれ」
ミアが居ると楽しい帰省になりそうだ――ソフィアは楽しげにそんなことを言ってくれる。
「あの、休みなく歩くんですか?」
「いや、勿論夜は休むが――荷物もそれなりにあることだし、三日に一度くらいはリューンたちを休ませてやらないといけないだろう」
帝都まで大体十五日くらいかかると言っていたから、休みをプラス五日して、天気とかの様子なんかも考えるともう数日増やすと三十日近くかかる――一ヶ月程の旅は楽しそうだ。
実亜自身、そんな長旅をしたことがないし、この世界で生きるために、この世界を知るためにも素敵な旅になると思った。
「留守の間の家はどうするんですか?」
家は誰かが住んだり手入れをしていないと痛むと、実亜は昔聞いた気がする。短くても二ヶ月程は家を空けるのだから、そこは少し心配だ。
「ああ、それは専門の人を雇って家の面倒を見てもらうんだ」
十日に一回程度、掃除と空気の入れ替えをしたりする――らしい。
「留守の家を見る専門の人が居るんですか?」
「勿論だ」
「勉強になりました……」
実亜の居た世界でもビルやマンションの管理会社があるし、別荘なんかは管理人が居ることもあるらしいから、そういうものなのかもしれない。
世の中、何処にでも仕事はある。一つの場所に固執していたちょっと昔の自分に聞かせたいと実亜は思っていた。
「去年もこの辺りに咲いていたが――ああ、あったぞ」
帰宅してリューンたちを馬小屋に連れて行って――ソフィアが裏庭を少し歩いて実亜を呼ぶ。実亜が駆け寄ってソフィアの視線の先を見ると、十五センチくらいの細やかな植物があった。
確かに蕾っぽいものが少し綻び始めている。この感じだと咲くのはあと数日くらい――多分。
「何ていう花なんですか?」
「確か、マツユキソウ――だったかな。雪解けとほとんど同じ時期に、小さな白い花が咲くんだ」
ソフィアは優しい目で、優しい言葉で実亜に説明をしてくれる。花に限らず植物は人を優しくさせるのかもしれない。ソフィアはいつでも優しいのだけど、更に。
「へえ……咲いたら雪解けが……素敵な花なんですね」
「リスフォールでも人気の花だ。雪もいいが雪解けも楽しいものだからな」
実亜とソフィアの二人で、花の前に座り込んで二人で話をする。そういえば、この頃は外に居ても底冷えするような寒さが少し和らいでいて過ごしやすくなっていた。
「初雪の時と同じように、雪解けの時にも何か約束することってありますか?」
もう冷えるからと、ソフィアが実亜を立ち上がらせて外套を羽織らせてくれる。
実亜も温度の残る外套に包まれながら、ソフィアと家に入っていた。
「そうだな――同じ頃に流星が夜空を駆けていくのだが、その時に交わす誓いは、初雪と同じく永遠の誓いを交わすものだと言われているな」
外套をまとめて玄関の外套掛けに引っかけて、ソフィアが他には何かあったかなと考え込んでいる。リスフォールでは雪にまつわる言い伝えが多いから、長年住んでいるソフィアでも全部はわからないらしい。
「じゃあ、その時に私からも永遠の誓いをしても良いですか?」
実亜は心の底に秘めている想いをソフィアに伝えるための心構えをしていた。
「ああ、待っている。ミアの誓いか――楽しみだな」
ソフィアはその優しい手で実亜の頬を軽く包んで、もう慣れたくちづけをして笑う。
もう慣れたけど、いつもドキドキするくちづけ――キスは甘くてふわふわする。
こんなにも誰かを好きになれたことは、この世界に来て良かったことの一つだと実亜は思う。沢山良かったことはあるけれど、ソフィアと居られるこの時が何よりも大切だから。
「あんまり期待されると、ちょっと残念に思うかもです」
実亜もソフィアにキスで返す。この数ヶ月で実亜も少し積極的になっていた。
「ん……何を言う。ミアのすることは何でも楽しいし面白いぞ? 今日の夕食も楽しみだ」
ソフィアは実亜を少しの間抱きしめてから、またキスで返してキッチンに向かっている。
今日はソフィアの好きな魚料理だ。サーモンの切り身――多分違う種類の川魚だろうけど――に似たものが市場に出ていたので、実亜が「味噌で沢山の野菜と焼く」と、ちゃんちゃん焼きみたいな感じの料理を提案したら、凄く乗り気でOKしてくれたのだ。
「ミア、野菜は何を使うんだ?」
ソフィアは楽しそうに食事を一緒になって作ってくれるのだった。
60話辺りからちょっとお話と季節が進む予定です。




