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一人の買い物、一人の冒険

(52)

「今日でまた上達している。あとは降り方だが――まだ少し不安が残るな」

 ソフィアが「最初の頃を考えたら降り方以外はもう合格なのだが」と笑っている。

 実亜は今日も乗馬の練習をさせてもらっていたのだ。ソフィアと一緒に旅をする目標が出来たから。旅――というかソフィアの帰省はまだ確定ではないけど、近い未来の約束。だから実亜は約束に向けて努力すると決めたのだ。

「が、頑張ります! リーファス、見守っててね」

 実亜はすっかり愛馬になってくれたリーファスに声をかけて、首元を軽く叩いて挨拶をする。

 リーファスは言葉がわかっているみたいに、少しだけ鼻を鳴らして静かに立っていた。その間にソフィアはリューンから降りて、実亜を受け止めやすい場所で待っている。

 心なしかソフィアの愛馬のリューンまで心配しているように見える。気のせいだろうか。

「――えい! と…………やりました!」

 鐙から足を外して、反対側の地面に着地――今日はしっかりと足が地面を掴む。

 実亜はバランスを取るために少し両手を広げて、謎のポースを取る。しかし、前よりもふらつくこともなくなっているし、良い感じの着地だと自分でも思った。

「ふむ――良い感じだ」

 ソフィアが拍手で実亜を褒めてくれる。結構安心出来る感じになっていた、と。

「練習すれば私みたいに鈍くてもなんとかなるんですね……」

 実亜の言葉にソフィアが吹き出して笑う。

「ミアは大人しそうに見えて案外活発だと思うぞ?」

 「鈍い」を「大人しい」と言い換えてくれる辺り、ソフィアは優しい気遣いをしてくれる人だ。

「え……そうですか? 私、徒競走とかはいつも最後のほうだったんですけど」

 運動とか、競争とか、そういうものには大体いつも取り残されていたし、そんなに活発じゃないと実亜は自分で思うけれど、この頃の乗馬だとかの練習だとそれなりにはなんとかなっている。

「徒競走か――それは速く走る方法を身体が知らないだけだ。身体が覚えてしまえばある程度は速く走れる」

 ソフィアはそう言って実亜の腰を軽く抱く。

「あっ……」

 ただ触れられただけ――いつものスキンシップなのだけど、少し身体が疼く感じがする。

「ん?」

「か、身体が覚えるのは……その、ちょっと身に染みてます」

 ソフィアとのスキンシップが心地良くて、癖になる感じはここ最近で実亜が覚えたことの一つかもしれない。ソフィアはいつも優しいし、実亜を大事にしてくれるから、それが癖になっている。

「ふむ、このままミアとはもっと身に染みるまで過ごしていたいが、昼からは仕事か……」

 ソフィアはナチュラルに実亜を抱きしめて、軽くキスをすると名残惜しそうに離れた。

「お仕事、頑張ってください」

 実亜はソフィアの頬にキスのお返しをする。

「――ミアは可愛いな」

 ソフィアはそう答えて、実亜の頭を撫でてくれていた。


「よし、夕方までにお買い物――」

 ソフィアを送り出して、部屋の掃除をして、実亜は夕食の買い物に行くために肩掛け式のトートバッグを持つ。コメが中途半端に残っているので具沢山の雑炊とかはどうだろう――なんて考えながら。

 それなら野菜も肉も食べられるし、温まるし――実亜はもう慣れた雪道を歩いて市場のほうに向かう。

 雪が積もっている世界は静かで、だけど街の中心部に近付くにつれて、人の生活の気配もしてきて、街全体が生きている風に思える。

 そういえば、自分の居た世界もあれはあれで活気があったな――実亜は少し懐かしく思い出す。

 まだ数ヶ月しか経ってないけれど、あんなに辛くて苦しかったことでも、過ぎてしまえば良い思い出になるのかもしれない。

 それだけ、ソフィアやみんなに助けられたから――ありがたい話だと思った。


「やあ、ミアさん。今日は一人?」

 市場に着くと、馴染みの店の店主が朗らかに実亜に声をかけてくれた。

「はい。ソフィアさんはお仕事です」

「そうかいそうかい。ああ、そうだ。小魚の干したものが入ってるけど、どうだい? 保存も出来るし、新しく仕入れてみたんだよ」

 ソフィアさん魚好きだろ? 店主はソフィアの好物をしっかりと把握している。

 見せてもらったのは、ちりめんじゃこと煮干しの間みたいな――小ぶりの煮干しというか、大ぶりのちりめんじゃこというかは謎だけど、煮れば柔らかくなりそうだし、出汁もよく出そうだった。

 店主は「これは煮てから天日に干して乾かすんだよ」と製法を教えてくれる。

「美味しそうな煮込みに出来そうです。おいくらですか?」

「この紙袋に詰めて詰めて、銀貨一枚だけど、今日はおまけで鶏の卵が五個付いてくるよ」

 雑炊にピッタリのおまけ――ここまで来たらもう今日は雑炊だ。実亜は即決で購入していた。

「おまけはありがたいですけど、お店が損しません?」

 実亜は銀貨を一枚出して、小魚を買う。

「知り合いの養鶏場の鶏が、卵を一気に沢山産んでちょっと困ってるんだよ」

 店主は豪快に笑いながら紙袋と卵をまとめてバッグに入れてくれた。卵は割れないようにクッション材で包まれている。

「そんな、一気に沢山とか産まれるものなんですか?」

「鶏も吹雪と同じで気まぐれだからね。いつもありがとうね」

 店主は朗らかに実亜を見送ってくれていた。


「あとは……醤油があればもうちょっと料理にバリエーションが出るんだけど……」

 だけど、実亜の知る食べ物はリスフォールでは南の食べ物っぽいし、それならあったとしてもそこそこのお値段になるだろう。でも、美味しいものを食べて欲しいし、生活費もしっかり預かっているし、給料も週払いでしっかりもらっているし――

「うーん……」

 実亜は南国の食べ物を扱っている店の前で少し悩む。今までの自分だったら、そんな風に買い物をしたことはないけれど、でも、少し変わった今なら――実亜は店に足を踏み入れていた。

「いらっしゃい――ああ、前にソフィアさんとおいでになった」

 店主は実亜を覚えていたらしく、愛想良く出迎えてくれる。

「こんにちは。あの、今日は調味料を探してて――」

「任せて、なんでも訊いてください」

 店主は頼もしげに答えて笑う。

「醤油っていう、えっと、茶色い液体の調味料なんですけど、ご存知ですか?」

「ショーユ……茶色の液体ねえ……サルサかな? パスタみたいに豆を発酵させるんだけどね」

 店主が棚から取り出した細長い瓶は茶色い液体――見た目だけなら醤油だ。リスフォールでパスタと呼ばれるものは、実亜の居た世界の味噌だから、作り方もほとんど合っている。

 何故「サルサ」なのかは実亜にはよくわからないけど、瓶の見た目はちょっと小洒落たオーガニック食品のそれだ。

「ちょっと味見してみる?」

「いいですか? 少しお願いします」

 店主が小皿を取り出して、瓶から少しそのサルサという液体を出してくれる。とろみが強めだけど、ふわっとした香りは醤油だった。

 実亜は小さなスプーンを受け取って、少しだけ味見をする。少し濃い目だけど醤油の味だ。なんとなくだけど、物凄く懐かしい感じがした。

「これです! おいくらですか?」

 もう絶対に買う勢いで、実亜は店主に迫る。

「えっと、この瓶一本で銀貨三枚だよ」

 瓶の大きさは五百ミリリットルのペットボトルくらい――瓶だから厚みがあるので内容量はもう少し少なめだろうけど、それで千五百円くらいの価格だった。スーパーマーケットで買える一般的な醤油の十倍近い。

「た、高……いえ、買います」

 今までの自分じゃない――実亜は自分に言い聞かせて、サルサを買っていた。

 なんとなく、高いものを買うと気分が高揚するのはどうしてだろうと思いながら。

だいぶこの世界に慣れてきた実亜。

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