新しい朝と新しい不思議
(50)
吹雪が明けた朝の空は、一段と空気が輝いている気がする――空には平筆で払ったような雲の筋が少し残っていた。
実亜はソフィアと一緒にリーファスとリューンの様子を見ながら、この綺麗な世界を思う。
二人の大事な愛馬は二頭とも無事――というか、何事もなかったかのように飼葉を食んで、実亜が持ってきたポロの実を元気に食べている。
「元気で良かった……」
実亜はリーファスを沢山撫でて、リューンも沢山撫でて、その無事を確認していた。
そして、ソフィアと二人で敷藁を綺麗なものに入れ替える。これがなかなかの重労働なのだけど、二頭の可愛さに比べたら軽いものだ。
「二頭とも飼葉を沢山食べているし、水も飲んでいる。安心していい」
ソフィアは一仕事終えて、頃合いを見計らったように懐くリューンを撫でていた。「賢いだろう?」とちょっと得意気に。
「はい。良かったです」
実亜は答えてリーファスを見る。まだソフィアとリューンみたいになるには少し時間がかかりそうだと思っていた。
「それにしても、かなりの吹雪だったようだ。雪が斜めに積もっている。壁際は危ないぞ――」
実亜とソフィアは馬小屋から出て、家に戻る。その短い間でも、ソフィアは実亜の腰を優しく抱いて、安全なところを歩かせてくれている。
「はい、ありがとうございます」
実亜は少しずつソフィアのエスコートにも慣れて、この頃はあまりドキドキせずに受け止められるようになった。それでも、少し心は弾むのだけど。
「ソフィア様、ミア様、おはようございます」
まだ朝は早いのに、ばあやが玄関先に立っている。
「ばあや、旧友との話は済んだのか?」
ソフィアは実亜をそのまま家の中に連れて入って、ばあやもあとから家に入っていた。
ばあやはここ数日、リスフォールに住む友人と会っていたらしい。
「ええ、百年ぶりくらいに会いましたが、丸二晩ほど話し込みまして」
ばあやはそう言いながら手早くお茶の用意をしている。実亜もカップを三つ出して、それを手伝っていた。
「積もる話もあっただろうに、二晩で済んだのか?」
ソフィアは朝食に燕麦で出来たパンを切り分けて、ハムとチーズを薄切りにして、サンドイッチを作っている。
「過去をあまり振り返らないのが私たちの信念ですから。それより、ミア様に関するかもしれないお話を聞いてきました」
ばあやはお茶を手に、ダイニングテーブルに着いていた。
「私に……?」
実亜は今度はソフィアを手伝いながら、ばあやに返す。サンドイッチはもう挟むだけ――実亜はハムとチーズを丁寧にパンの上に並べて、ソフィアを待つ。
「正確には、ミア様と同じ国からいらしたかもしれない女神様のお話でございます」
以前に少し話していた、女神様の話です――ばあやが笑顔で「仲睦まじくてよろしいこと」と、実亜とソフィアの二人を見ている。
「ふむ、それは興味がある」
ソフィアはサンドイッチを皿に並べて、適度な大きさに切る。ついでに、ちょっと出来た切れ端を実亜に食べさせてくれていた。
「ミア様、エドという街はご存知ですか?」
三人で朝食を食べながら、ばあやがそんなことを実亜に訊いてきた。
「エド……エド、えっと、私の住んでた街の、昔の名前が江戸と言います」
その他に「エド」という名前は――何処かにはあるかもしれないけど、実亜の思い当たる「エド」はそれくらいしかない。
「どのくらい昔でございますか?」
「……ええと、百五十年くらい前です」
実亜は覚えてる元号の年数を遡って大まかに指折り数える。
江戸時代が終わって、明治で四十年ほど、大正が十五年、昭和で六十数年、平成が三十数年、令和はまだ数年――全部合わせると百五十年を超えるくらいだ。
「ばあやが生まれた頃よりも昔か……」
ソフィアがサンドイッチを食べながら、楽しそうに実亜とばあやを見て、適度に話に相槌を打ってくれる。
「そのくらい昔、南にあるミスフェア王国に、カタナという剣を持った女神様が、エドという街からやって来たそうです。私の友人は百九十九歳になりますが『確かにこの目で見た』と」
ばあやは納得したように頷くと、話を続けていた。
「カタナ……女神様の武器か。そういえば、湾曲した剣を持った女神の話をしていたな」
ソフィアが以前のばあやの話を少し思い出しながら、話を更に深く掘る。
「はい。ミスフェアは常に魔物の脅威にさらされる国――その時はかなりの危機に瀕していたと言います。そこに女神様が現れ、魔物退治を」
「ふむ、勇猛果敢な女神だ」
「ええ、しかも、その女神様は新しい文化や風習をミスフェアにもたらしたと」
紙で作られた貨幣や、農作物や調味料などの効率的な作り方を根付かせたのだと、ばあやは言う。
「成程、ミアが食べ慣れているというコメやメーリ粉は、ミスフェア周辺が一大産地だな」
面白いな――ソフィアは目をキラキラさせて、ばあやの話を聞いている。
「もしかしたら、ミア様はその女神様と同じ国からいらしたかもしれない――これが私と友人の一つの結論です」
ばあやは「二晩のうち一晩はミア様のお話で盛り上がりました」と笑っていた。
「ふむ、話をまとめるとミアと符合する面も多いな……」
ミアは女神だったか――ソフィアはなんとなく納得しているような感じだ。そんなに簡単に納得してはいけないと実亜は思う。
「で、でも、私、魔物とかこちらで初めてお話を聞きましたよ? 刀も持ってませんし」
女神ではない実亜は、慌てて自分と女神に共通しないところを探してソフィアを見ていた。
「もしかしたらその女神はエドの騎士や自警団だったのかもしれん。それなら剣を持っていても不思議ではないぞ? リスフォールでも街の人は滅多に剣を持たないからな」
ソフィアはサンドイッチを食べ終えて、実亜に笑いかける。
「江戸時代には騎士とかは……あ……!」
実亜は重要なことを思い出していた。江戸時代で刀を持っている人たち――存在していたはずだ。
「どうした?」
ソフィアは黙り込んだ実亜にそっとお茶を差し出して、じっくり様子を見ている。
「あの、江戸という街があった時代を江戸時代と言うのですけど、その時は武士という職業があって、刀を持ってたそうです」
武士はこちらで言う騎士のような職業――実亜はソフィアに説明して、お茶を飲む。
「ふむ。武士……騎士……ふむ、どことなく親しみを覚えるな」
ソフィアが更に納得している。
あまりにも符合する女神と実亜の共通点――実亜にも予想外の話だった。
「でも、私は全然戦えないですし……新しい文化なんて全然そんなわからないですからね?」
「いや、ミアのスーツという服は新しいし、女神の中には穏やかな女神も居るだろう。ミアは穏やかな――ああ!?」
驚きの声をあげて、今度はソフィアが固まっている。
「ソフィア様、どうなさいました」
これにはばあやも驚いたようで、お茶のカップを置いてソフィアを心配していた。
「私は、女神と騎士の誓いを交わしたということか? そして、女神を伴侶に?」
ソフィアの話がちょっとあらぬ方向に飛んでいる。
「……そのようですね。これはクレリー家をあげてお祝いしなくては」
ノリがいいのか、ばあやも「大変に喜ばしいことでございます」と二人を祝福していた。
「いえ、あの。女神様じゃないですから!」
実亜は謎の誤解を解くのに数時間かかっていた。
だけど、伝承の女神――多分、自分と同じ世界から来たのだろうということは、理解が出来る。
百五十年前にも、何らかの理由でこの世界に来た人が居る。それはおそらく事実なのだ――と。
ソフィアはなかなかの天然。




