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存在

(42)

 翌朝――実亜はふわふわのベッドで目を覚ます。

 ソフィアはもう起きているが、ベッドは体温がまだ残っているような暖かさで、二度寝の誘惑が襲ってくる。だけど、せめてソフィアに「いってらっしゃい」は言いたい。実亜は起き上がって、ベッドから降りていた。

「ああ、起きたのか。もっと寝てなくて大丈夫か?」

 ソフィアは丁度騎士の制服を着込んで、装備の確認をしている。実亜を見て「無理はしなくていいぞ?」と優しく笑っていた。

「お出かけを見送ったらまた寝ます」

 せめて、出かける時の無事を願いたい。冬場は魔物があまり出没しないらしいからまだ安心だけど、危険な仕事だから無事を――実亜は祈る。

 特に神様とかを信じていないから、ただ本当に無事を祈るだけしか出来ないのだけど。

「そうか? それは嬉しいな。昨夜(ゆうべ)と同じものだが、食事はあるから食べてから寝るといい」

 この香辛料を少し足すと(から)くなるが温まる――ソフィアは赤い粉末が入った小瓶を取り出していた。多分、色合いと「辛くなる」と言う言葉から考えて、唐辛子的なものだ。

「はい。お気を付けて」

 実亜は瓶を手に、ソフィアを玄関口まで見送る。ソフィアは実亜の頭を撫でると、そっとキスをしていた。

「見送りありがとう――夕方には帰る。そうだリーファスの小屋も掃除を済ませているから、気が向いたらポロの実をやってくれ」

 愛馬のリューンを連れて、ソフィアの出勤だ――

「はい。ありがとうございます」

 実亜の言葉に、ソフィアは手を軽くあげて応えてくれていた。


「……えっと、とりあえず約束したからご飯食べて、また寝る!」

 二度寝に罪悪感はあるけれど、心配させても駄目だし――実亜は独り言を言いながらキッチンのコンロに火を付けて、昨夜の煮込みを温める。受け取った小瓶は、多分唐辛子だろうから、食べる時に少し使ってみるつもりだ。

 煮込みを温めていると、玄関をノックする音が聞こえた。ドアを開けるとばあやが立っていた。

「おはようございます。先程ソフィア様とすれ違いました。ミア様をよろしくと」

「ありがとうございます。今から食事をして、また眠るつもりでした」

 寝る前にリーファスにポロの実をあげないと――実亜は温まった煮込みを深皿に盛り付ける。

「では、片付けはこのばあやにお任せください」

 ばあやは手際よくお湯を沸かしてお茶の準備をしている。

「良いんですか?」

「勿論でございます。ミア様はクレリー家の、ソフィア様の、大切な伴侶ですから、お身体は大切になさっていただかないと」

 ばあやは「まだカイシャでの過労も残っているでしょう?」と実亜に優しく笑いかけてくる。

「そんな……その、私、不勉強でよくわからないのですけど、ソフィアさんのお家って貴族とかそういうご家庭なんですか?」

 深皿に盛った煮込みをテーブルに置いて、実亜はばあやに茶葉の入った瓶を渡していた。

(さかのぼ)れば、ルヴィック帝国の第六代皇帝陛下のいとこが始祖のお家にあたります」

 公爵という位の家で、現在の皇帝陛下は第十五代――ばあやは手短に説明をしてくれていた。

「……はい。遡らなくても凄いですね?」

 要するに、このリスフォールなどの街を()べるルヴィック帝国皇帝の親戚。流石に遠縁にはなるだろうけど、わりと凄い家だった。

「ええ、クレリー家は皇帝陛下をお支えする役目が……いけない、長話になりますね。お食事は温かいうちに召し上がらなくては」

 ばあやはお茶を入れて、実亜に差し出していた。そして、食事をしながらゆっくり話をしようということになった。

 ばあやはもう朝食を済ませているらしく、お茶だけで良いと、テーブルに着いていた。

「あ、はい。いただきます」

 実亜は食べる前にソフィアから渡された小瓶の蓋を開ける。中には小さなスプーンが入っていて、唐辛子の赤一色ではなく、もう少しスパイスのようなものが混ざっていた。

 何処かで見たような気がする――実亜は小瓶をジッと見つめていた。

「ミア様、それはシチミという香辛料です」

 ばあやが実亜を安心させるような笑顔で「食べても大丈夫です」と、そっと助言をしてくれる。

「えっ、シチミ? ソフィアさんが、辛いけど温まるって渡してくれました。あの、私の居たところにも同じ名前の似たようなものがあります」

 そうだ、これは七味唐辛子だ――中身は少し違うかもしれないけど、実亜も牛丼などを食べていた時によく見ていたものだ。

「それはそれは、となるとミア様は帝国より、もう少し南のほうのご出身かもしれませんね」

 シチミは南のほうの名産品だとばあやが言う。リスフォールでも人気で、専門店もあるらしい。

 実亜が皿の中にスプーンで何杯か掬ってシチミを入れていると、ばあやは安心していた。

「ソフィアさんも仰ってました。陽射しの匂いがするから南のほうの人かもしれないって」

 実亜は少し赤くなったスープを飲んで、リスフォールのシチミの味を確認する。

 少しピリッとするけど、そんなに驚くほど辛くなくて、本当に実亜のよく知る香辛料――七味唐辛子だった。

「陽射しの匂い――思いがけぬ仲睦まじさに、ばあやは感激しています」

 ばあやはお茶を飲んで、静かに頷いている。

「え……あの、何処で感激したんですか?」

「仲睦まじくないと互いの匂いなどはわかりにくいものですから」

「……あ、そう言われると、そうですね」

 これは思いがけずの惚気(のろけ)だろうか――実亜は恥ずかしくなって、香辛料の効果だけではない熱さを頬に感じていた。

「ソフィア様がミア様のような素敵なお相手と巡り逢えて、ばあやも安心です」

 ばあやは「あれだけ言っても身を固めようとしなかった人が――」とソフィアを評している。実亜にはそんなに堅い人には見えないけれど、律儀なところがあるし、仕事優先だったのかもしれないなと思う。

「でも、私、得体が知れない行き倒れですよ……?」

 由緒のあるソフィアのクレリー家と、よくわからない行き倒れ。多分、普通は大反対をすることのように思うのだけど、ソフィアもばあやも全く気にする様子がない。

 大前提として、同性同士でも何も問題がなく大歓迎されているし、本当に此処は違う世界なのだと実亜は感じる。だけど、居心地は凄くいい。

「何を仰います。ミア様はミア様。過酷な労働を生き抜いて、尚強く、心優しく、ソフィア様を心配してくださる。それだけで伴侶として充分過ぎるくらいです」

 ばあやは「ご安心なさいませ」と、キリッと言い切っていた。

「私は……ソフィアさんに頼りっきりで……まだ何もちゃんとしたことは出来てないです……この街のこともあまり知りませんし、お役に立てるかどうか……」

 仮にこのまま婚姻だとか、伴侶だとか、ソフィアと人生を共に生きる選択をして――きっと幸せだと思うけれど、もの知らずな自分ではいつか足手まといになる。

 実亜はそれが怖い。自分が、本当は何もない人間だと思い知らされるのが――

 だから、前の場所では必死で居場所を求めたし、手に入れたと思った。だけどそれは(もろ)く崩れた。前に居た場所がどうなったのか、実亜にはもうわからない。

 そして、この場所でもまた同じことになってしまったらと思うと、怖いのだ。

 本当の居場所だと思えるから、自分の本当の幸せの場所だと思うから――だから、失うのが怖い。

 実亜の目頭が少し熱くなる。涙――悲しいのか、不安なのかわからないけど、泣くことさえ出来なかった自分に感情が戻って来ていることを実亜は実感する。

 自分は、この場所で確実に人生を取り戻しているのだ。

「知らなければ知ればいいだけのことです。それに、大切な存在があるだけで人は強くなれるものです。ソフィア様にとってもミア様にとっても、お互いそういう存在だと私は確信しています」

 ミア様は、存在してくれるだけで充分お役に立ってます――ばあやは優しくも強い言葉で、実亜をしっかりと見据えて、実亜の不安に答えてくれる。

「存在、してるだけで……?」

 ただ居るだけでいいというのだろうか――こんな自分でも、それだけで。

「はい。私も長命族の宿命として、幾人もの方との別れを経験してきましたが、どんな方でもその方の代わりはいません。ですから、今、ミア様が此処に存在していることが大切なのです」

 ばあやは実亜を見て何処か懐かしむような笑顔だった。

「あ……そうでした。ばあやさんは、ずっと――」

 ばあやのように長く生きる長命族がどのくらいの人数なのかはわからないけれど、普通の人たちよりも寿命が長い分、別れも多い――だからこそ言える大事な言葉を、ばあやは実亜にくれた。

「ありがとうございます。私、自分の心配とか不安ばかりで……ごめんなさい」

 実亜はその言葉を大事に心の中に仕舞う。いつでも取り出せる場所に、強く。

 存在しているだけでいい――自分が揺らぎそうになったら、この言葉を思い出すようにするために。

「若いうちはそれでいいのですよ。きっと今日は舞踏会のお疲れも残っているのでしょう。お食事が済んだらお好きなだけ眠ってくださいませ」

 気持ちが不安定な時は食事と睡眠だとばあやは笑う。

「はい。ありがとうございます」

 実亜は少しだけ涙の味がする煮込みを食べて、少しだけソフィア以外の誰かに甘えることも覚えていた。

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