舞踏会のあと
(40)
実亜が不思議な酒を飲んでいると、大広間に流れている音楽の調子が明らかに変わった。
さっきまでは三拍子のゆったりしたワルツ風だったけれど、今度はテンポが速い。そして、衣装を揃えた五人の人たちが大広間の真ん中に並び始める。
「何が始まるんですか?」
実亜は少しほろ酔い気分でソフィアに訊いていた。薄めのアルコールだと思っていたけど、グラス一杯分も飲むと意外と良い気分で酔えて、少し気分がふわふわして楽しい。
「ああ、舞踏団の宣伝だな」
ソフィアは「なかなか見応えがあるんだぞ」と、視線を大広間の中心に向けていた。
「舞踏団……」
つまり、プロのダンサーたちということになる。どんな世界にもプロは居るもの――実亜もソフィアの目線を追って、舞踏家たちを見る。
一人が足でタップを踏むように床を鳴り響かせ始めて、それがやがて二人、三人と増えていく。音楽とリズムを合わせて、足でも音楽を奏でているように華やかなものになる。
何処かで見たことのあるような――あれはテレビのCMだっただろうか、海外で有名なダンスチームの来日公演があるみたいな。小さな頃に見た記憶があるのだけど、実亜の記憶は朧気だ。
テンポの速い音楽に合わせて、ダンサーたちがステップを揃えている。
タップダンスのような感じで、リズミカルな音楽とステップが共鳴していた。
「凄いだろう? 有名な舞踏団なんだ。この冬はリスフォールに滞在するらしい」
ソフィアは実亜にだけ聞こえるように囁くと、音楽に合わせて軽く手拍子をしている。
「はい――素敵です。凄い……綺麗な世界って沢山あるんですね」
一糸乱れぬステップは、まさにプロの美しい仕事――実亜はこんなエンターテイメントを間近に見たことはないけれど、凄いのはわかった。
「そうだな。今のミアもキラキラだ」
ソフィアは楽しそうに実亜の顔を覗き込む。
「……キラキラ?」
実亜も飲み終えたグラスを返して、手拍子で舞踏団を盛り上げていた。
その技術やパフォーマンスには、称賛を持って応えたい――だから、大広間の人たちと一緒に。
「綺麗ということだろう?」
「はい。キラキラして綺麗……私、此処に来てからキラキラしたことばかりです」
自分が綺麗なのかはさて置き、この世界は綺麗――それは間違いのないことだと思った。
多分、目は輝いていると思う。自分では見えないけれど。
「……そうか。それなら良かった」
ソフィアは実亜の身体を抱き寄せて自分の懐の中に納めると、また手拍子をしている。
「ソフィアさんのおかげです」
実亜はソフィアに少しだけもたれて、音楽を聴きながらソフィアと一緒に手拍子をしていた。
「ふむ――そう言ってもらえるのも悪くない」
ソフィアの優しい声が、音楽と同時に実亜の耳に響く。
そして――舞踏団のプロのダンスが綺麗に終わって、万雷の拍手が大広間に響いていた。
「凄かったです」
実亜はソフィアの服にしがみついて「凄いですね?」と確認していた。
確認しなくてもわかっていることだけど、共感が欲しかったのかもしれない。ソフィアは笑って実亜の手を取ると「そうだな」と優しく返してくれていた。
「気に入ったのなら、この冬は何度でも見られるぞ?」
また大広間に緩やかな音楽が流れ出して、ソフィアは実亜の身体に手を回してまた踊り出す。
「舞踏会でですか?」
実亜は訊きながらソフィアと二人で踊っていた。
「劇場があるから、そこで見られる。劇場だともっと大人数なんだ」
二人で出かける場所に追加しておこう――ソフィアがそんな約束をしてくれていた。
もしかして、それはデートと言うものではないのだろうか。
此処に来てから、本当にキラキラしたことばかりだ――
舞踏会が終わって、夢のあと――実亜とソフィアはまた馬車に乗って帰路に着いていた。
「疲れてないか? 酔いは回ってないか?」
ソフィアは念のためにともらった冷たい水が入った薄型の水筒を手にしている。
飲んでもいいし、火照った頭を冷やしてもいい――と。
「はい――大丈夫です。ふわふわして、いい気分です」
手渡してくれた水筒は金属製で触り心地がいい。実亜は見たことのない水筒を観察していた。
「ふわふわ……柔らかい気分ということか。成程、楽しめたのなら何よりだ」
ソフィアは以前にミアが言った言葉をすぐに思い出したのか、頷いて話を訊いてくれる。相変わらず少し可愛くて楽しいと、実亜を抱き寄せて囁く。
「ソフィアさん……」
「もうすぐ揺れる場所だ」
「え……」
ガタン――ソフィアの言葉通り、馬車が大きく揺れていた。
「揺れただろう? 多分轍に石が挟まったままだな」
ソフィアは実亜の身体を抱きしめたまま、得意気な笑顔だった。
帰宅して、ソフィアが早速実亜の普段着を持って、着替えを手伝うと言ってくれる。
スルスルとドレスを脱がされて、素早く普段着を渡して――鮮やかだ。
「うん。舞踏会の姿もいいが、ミアはこの姿もいいな。どちらも似合う」
ソフィアは実亜のドレスを綺麗に整えて、壁際のクローゼットのようなところに掛けている。
「ありがとうございます」
実亜は普段着を着ながら、なんでも褒めてくれるソフィアに返す。
ソフィアと居ると、些細なことでもしっかりと言葉にしてくれるから、嬉しい。
「今日は疲れたろう? 少し休むといい」
沢山踊ったし、慣れない場所で気疲れもしただろうし――ソフィアは実亜を寝室に連れて行く。そして、ベッドに座らせてそのままスムーズに押し倒された。
「でも、夕食とかの準備を――」
実亜は上体を起こすのだが、ソフィアにまたやんわり押し倒されて、額にキスが降って来る。
「私が何か滋養にいい温まるものを作っておこう。疲れには鶏肉と香草の煮込みがいいらしい」
ばあやが新しい作り方を教えてくれた――ソフィアは得意気にキッチンへと向かって行った。
「……優しい。いつものことだけど」
実亜はまだ少し酔いの残っている頭で、さっきのキスの温度と共に、温かいふわふわのベッドに沈み込んでいた。
ふわふわ――そういえば、此処に来た時もこんなふわふわの感覚に包まれてたっけ――
実亜は目を閉じる。
以前に居たあの場所は、会社や家族はどうなっているのだろうと、ふと思った。
酷い環境から逃げられたのだからもう考えなくてもいいのに。おかしな話なのだけど。
もしも――心配してくれる人が居るのなら、今が幸せだよと心から伝えたいなと思いながら、眠りに落ちていた。
舞踏団はリバーダンスみたいなイメージです。




