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泣き笑い

(31)

「ミア、どうかしたのか?」

 眠る前の少しの時間、暖かい部屋で実亜は助けられた時に着ていたスーツを手にしていた。

 そして、ポケットを探る。レディーススーツはそんなにポケットがないのだけど。

「いえ、小さな財布をスーツに入れてたはずなので、何かに使えないかなって」

 ジャケットの一番大きなポケットに、雑誌の付録で手に入れたミニ財布が入っていた。

 これを入れたまま洗ったようで、合成皮革の財布は少しくたびれている。

「スーツとはその服のことか? 不思議な素材だと聞いているが」

 ソフィアが言うには、裏地が絹のような手触りなのに軽いし、服そのものが全体的に乾燥するのが早いと専門家が驚いていたらしい。

「はい。あの、これは安物の素材なんですよ……?」

 ポリエステルというものだ――実亜はそう説明して、スーツをソフィアにも見せる。

 自分の居たところでは、大体の服はこういった素材で大量生産されるのだ、と。

「そうなのか? しかし、ミアの国では安物だったとしても、此処では稀少なものだから高級品だな」

 他にもリスフォールだと南国の香辛料などは高級なものになる――ソフィアはそう言って、一緒にスーツを見ていた。相変わらず「襟元が寒そうだ」との感想らしい。

「――あ、そういう考え方もあるんですね」

 自分の周りにありふれたものでも、それが全くないところに行けば貴重品――気付きにくいけど、綺麗な飲み水などは国によっては高い品になるものだ。

 ソフィアに言われて、実亜は納得していた。

「貿易の基本だ。寄宿舎時代にたたき込まれた。それが財布か、そんなに小さくて財布になるのだな。これは革のようで何か少し違う」

 これも稀少な品だ――ソフィアは目をキラキラさせて見ている。

 意外と好奇心旺盛な人だ――実亜はそんなソフィアを見ていた。

「はい。これも合成された偽物の革で……えっと、三千円くらい入ってます」

 実亜は財布の中身を確認して、紙幣を取り出す。

 千円札が二枚と硬貨が何枚かの財産は、一週間分の昼食代だった覚えがある。

「――三千……かなりの額ではないのか?」

「こっちの価値だと……銀貨六枚くらいです」

 此処では銀貨一枚で手軽な外食が出来るから、銀貨一枚で大体五百円くらいだと実亜は換算している。三千円――大金と言えば大金だし、絶妙な金額だ。

「しかし、王族の肖像画が描かれた手形を発行するくらいなのだろう?」

 手形――ソフィアの言ったそれは、取引などで使う約束手形のようなものだろう。

 銀行に持って行って換金出来る手形は、商売などの取引には必要なものだ。

 金貨や銀貨を大量に持ち運ぶのは多分危険だろうし、何より重い。取引をするには手形を使うほうが安全――それは実亜の居たところでも同じで、現金よりは手形が使われる場面も多い。

 そもそも、金や銀という貨幣の素材自体だって産出量の問題があるだろうから。

「あの、これが私の居た国のお金です」

 紙幣って言うんですけど――実亜は紙幣の説明をしていた。

 肖像画は王族ではなくて歴史上の偉人だとか、細かな模様は偽造防止のためだとか。

「……成程。銀行で換金せずに、このままで使うものなんだな? なんだ、銀貨もあるじゃないか。これは……銅貨か? これなら帝国領でも使ってるぞ」

 しかし、細工が細かいな――ソフィアは十円玉を手にしてじっくりと観察している。

「面白いな。世界は広くて、様々な知見をもたらしてくれる。ミアと出逢わなければ知ることがなかったものが多く知れて楽しい」

 銅貨は何枚で銀貨になるんだ? ソフィアが紙とペンを取り出して、計算を始めていた。


「銅貨十枚でこの銀貨――間に五枚分の銀貨もある。五十枚だと少し大きな銀貨。成程、良く考えられている」

 実亜の説明を聞いて、ソフィアはメモをとりながら「なかなか勉強になる」と呟いていた。

 騎士になるための勉強は多岐に渡るので、異国の文化や風習を学んだりもするけれど、実際に違う文化を見るのはまた違った驚きや発見があると、嬉しそうだ。

「お役に立てましたか?」

 実亜は楽しそうなソフィアに訊く。

「役に立つなんて軽いものではないぞ? 紙幣というものはこれから帝国でも普及するだろうし、細かな印刷も素晴らしい。沢山の学びがある」

 この年になっても学べることがあるのは幸せだ――ソフィアは笑顔で実亜に答える。

「ソフィアさん……」

 その笑顔が、実亜の胸に不意に入ってくる。キラキラ眩しくて、心から楽しんでいて。こんな自分がその笑顔を少し担えているのが、役に立てているのが何故か凄く嬉しくて。

「ど、どうして泣くんだ……」

 ソフィアの言葉で気付くと実亜は涙を流していた。悲しくはない。

 ただ、こんな時間が嬉しかったのだ。

「なんか、そんな風に言ってくれる人が居なかったので、嬉しくて……」

 何をしても、誰からも認められない辛さ――そんなものを抱えて生きていたから、多分。

 実亜は途切れ途切れでソフィアにそれを答える。

 誰からも、認められなかったと。

 こんなことを言えるようになったのも、ソフィアがいつも優しさをくれるからだ。

「そうか……辛い思いをしてきたんだな。もう大丈夫だ」

 ソフィアの腕が、優しく実亜を抱く。背中をトントンと子供をあやすように軽く叩いて、そのあとにギュッと抱きしめてくれていた。

 その腕はいつも優しくて、確かな存在が此処にあるということを感じさせてくれる。

「はい……ごめんなさい」

「謝ることなどない。私では足りないだろうが、ミアを沢山認めよう」

「ううん、ソフィアさんがこうしてくれるのが一番嬉しいです」

 でも、なんでか泣いちゃう――実亜はソフィアの肩に顔を(うず)めてまた泣いていた。

「そうか……遠慮せずに沢山泣けば良い」

 あとで目を冷やすのを忘れないようにしないといけないな――ソフィアは静かに囁く。

「泣くなって言わないんですか?」

 大人は泣いちゃいけないと、いつからか実亜は自分を縛り付けていた――いつからか涙も出なくなって、泣くことさえ出来なくなっていたけど。

 これだけ泣いている今を思えば、感情を麻痺させることで生きていたのかもしれない。

「そうだな――悲しかろうが嬉しかろうが、泣きたい日くらい誰にでもあるだろう?」

 少しだけ身体を離して、ソフィアは実亜の涙を指先で拭う。

「ソフィアさんも?」

 誰にでも――それならソフィアにも泣きたい時があるはずだろう。実亜は訊いていた。

「騎士たるもの、簡単に涙を見せてはいけないことになっている」

 そう言うとソフィアはふわっと笑って、それから実亜の頬を両手で包む。

 もっと泣いても良いんだぞ? と、優しく。

「じゃあ、ソフィアさんが大変じゃないですか」

「赤ん坊の頃は沢山泣いていたらしいぞ」

 良く泣いたから強い子になったとばあやが言っていた――ソフィアは得意気にしている。

 その得意気な様子が少し面白くて、実亜は泣いてたことを忘れかけて小さく笑っていた。

 元々嬉し泣きみたいなものだから、それで構わないのだけど。

「赤ちゃんは泣くものです」

 実亜がそう答えると、ソフィアは少し不思議そうな顔をしていた。

「ふむ、言われてみれば確かに。いきなり話し出す赤ん坊は見たことがないな」

 ソフィアは真剣な表情で「いや、世界は広いし何処かには?」と顎に親指を当てて考えている。

「……ソフィアさんって、ちょっと面白いです」

「そうか? まあ、笑ってもらえるならそれで良い。沢山泣いた分、沢山笑えば良いのだから」

「――はい、ありがとうございます」

 今は泣いてることのほうがまだ多いけど、きっと、この人と居ると沢山笑顔になれる――

 実亜はそう確信していた。

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