しきたり
(30)
「さて、ミア様。クレリー家の一族と婚姻関係を結ぶにあたりまして、クレリー家のしきたりを覚えていただかなくてはなりません」
ソフィアが仕事に向かったあと、落ち着いてお茶を飲んでいるばあやが実亜に「ここだけのお話ですが」とそんなことを言っていた。
「……え、は、はい。って、待ってください。まだそんな急に婚姻って言われましても」
まだプロポーズのようなものをされたばかりなのだけど、どんどん話が進んでいるような気がする。そもそも、ばあやが居るような由緒ありそうなソフィアなのに、自分のようなどこから来た人間かわからない人と、そう簡単に婚姻だとかの話を進めて良いものだろうか。
「ソフィア様のことですから、しきたりなど気にせず――と仰るでしょう」
ばあやはマイペースに話を進めている。ソフィアより何倍かマイペースだ。どうもこういう人らしい。
「え、あ、それはわかります。ソフィアさんってそういう優しい方だとは……」
ソフィアはいつも優しい。この街のことも教えてくれるし、実亜が少し変わったことをしても余裕で受け止めてくれる。
「しかし、しきたりを知っていてそれを実行しないのとは、また違う話でございます」
ばあやはとことんマイペースで話を続けて、しきたりを教えてくれる熱意が凄いと実亜は思った。だけど、ある意味で自分が認められている証拠かもしれない――だとしたら、優しい人だ。
「はい。あの、ですから婚姻とかはまだそんな具体的には進んでは……」
「ええ、わかっています。婚姻関係は互いを知ることが大切――つきましては事前準備としてユーキ家のしきたりも、このばあやにお教え願いたく」
互いを尊重することから婚姻関係は始まる――ばあやが言うにはそうらしい。
実亜としては、もっと古い考えが根付いている世界かと思っていたけど、前の世界より余程進歩的な世界だと、改めて思い知る。
「私の……ですか?」
「はい。ミア様の生まれ育った大切なご家庭でしょうから、大切にしなくては」
ばあやは優しく笑って、やっと実亜の話をゆっくりと聞いてくれる姿勢に入っていた。
「……私、の家のしきたりは、特にありませんでした。食事の時間なんかも全然合わなくて私だけ自分で作って食べてましたし」
ここ数年はクタクタで帰って食事を作る気力も無くてインスタント食品も多かったけれど――
「ずっとお一人での食事だったのですか?」
「ほとんど……あまり家族で食卓を囲むことはなかったです。ほとんど一人でした」
学生時代から始めたアルバイトも夜遅くまで働いていたし、給料もほとんど渡していた。空いている時間があったら家の様々な用事を言いつけられて全部やっていた。
友人と遊ぶなんてこともなかったし、会社員になってからはブラック企業で毎日遅くまで働いていたから、家人が寝ている時に家を出て、家人の寝ている時に帰宅していたのだ。
実亜はそれを出来るだけクッションを持たせてばあやに話す。
多分、他の家から見ても少し異常だったと思うから。
「そうですか……ミア様のご家庭は複雑なのですね。それにカイシャという街での過酷な労働、よく生き抜いて来られました」
カイシャのことはソフィア様から先程聞きました――ばあやが眉根を寄せている。
「……その、はい。ありがとうごさいます?」
これで答えが合っているのか――わからないけど、実亜は礼を言っていた。
「――わかりました。ミア様は普段どのような手伝いを?」
実亜の少しの身の上話が済んで、ばあやはゆっくりと話し出す。
「え、えっと……食事を作ったり、少し掃除とか、あ、本当に少しですけど」
教わることの方が多い――実亜はそう答えてばあやにお茶のおかわりを淹れる。
緑茶に似ているけど、少し甘いこのお茶はこの頃の実亜のお気に入りだ。
「カイシャでの過労もまだ残っているとは思いますが、お身体は大変ではございませんか?」
ばあやは穏やかに、実亜を気遣ってくれている。
「全然、ソフィアさんも手伝ってくださいますし、作った料理を美味しいって言ってくれるのが嬉しくて――此処に居られるのが楽しいです」
「そうですか。ソフィア様も積極的に……成長なさいました」
どう見ても「ばあや」と呼ぶには若すぎるばあやは嬉しそうにお茶を飲んでいた。
「ただいま。今日は作る時間も無かったろうから、屋台でデネルを買って来た」
日暮れ時――ソフィアが両手に沢山の食料を持って帰ってきた。
「おかえりなさい。ばあやさん、今日はもう宿に戻るって帰っちゃいました」
引き止めたんですけど――実亜はソフィアを出迎えながら、まだ温かい料理を受け取る。
「そうか。ばあやらしい」
「あの、ばあやさんってそんなに『ばあや』って感じのお年じゃないような気がするんですけど」
実亜はずっと抱いていた疑問を不躾にソフィアに訊いていた。
ばあや本人に訊くのはもっと失礼な気がしたからなのだが、本人が居ないところで訊くのもわりと失礼な話だとは思う。
「ん? 確かもうすぐ百五十歳になると言っていたが」
ソフィアは皿を用意しながら実亜に答えていた。
「百……五十歳?」
五十歳はまだわかる。ばあやは頑張って高めに年齢を見て、そのくらいの見た感じだから。
だけど、百がわからない――カレンダーなどの数え方は実亜の居た世界と変わらないし、年数も変わらないみたいなのに、そこだけ不思議な数字だ。
「ああ、百五十歳だな」
そろそろ祝いを考えなくては――ソフィアは手早く料理をセッティングして、実亜に渡す。
「あの、この世界の人たちは百歳以上になる方が多いんですか……?」
だったらソフィアの二十八歳はまだまだ若いというか、それなら「ばあや」と呼ぶのも理解出来るけど、百五十歳というのは実亜には衝撃だ。
「いや、普通は百歳にもなればかなりの長生きだが、ばあやは長命族の者だから、確か三百歳くらいまで生きると聞いている」
「長命族……ですか?」
実亜は不思議を解明しようと質問を重ねる。
世の中、色んな人種が入り混じって成り立っているのは前の世界でも同じだし――
「ミアの国には居ないのか?」
ソフィアが不思議そうに実亜を見ている。
長命族はその長寿を活かして、家の執事や学者などの職に就くことが多いという。
「物語の中なら居ますけど……実際に見たことはないです」
「成程。不思議なものだな」
二人とも不思議そうに顔を見合わせて、笑っていた。
実亜には凄く不思議な世界で、ソフィアには当たり前の世界――その差が少しおかしくて。




