風の匂い
(27)
「そうだ、止まる時は手綱を軽く引く」
翌日――実亜は朝からソフィアに馬の乗り方を丁寧に教えてもらっていた。
リーファスは実亜が乗る時も全く嫌がらなくて、穏やかに実亜を受け入れてくれている。
ソフィアが言うには実亜は軽いし、背中に乗せていても歩きやすいそうだ。
一つの動作が出来る度に、首を軽く叩く――これが馬への愛撫というものらしい。ついでに、たまに話しかけるのも良いらしい。しかし、あまり話しかけてはならない――この辺り難しい。
「かなり良い感じに乗れるようになったな。もう日も暮れる。今日はこの辺りにしておこう」
リーファスも疲れるから――ソフィアはそう言って馬小屋のほうに歩いて行く。
実亜はリーファスの手綱を引いて、腹に足で軽く合図するとソフィアの後をゆっくりと歩き出していた。
リーファスから降りる時に、ソフィアはサラッと手を差し伸べて、実亜をしっかりと受け止めてくれる。
「――ありがとうございます」
いつも、ソフィアの腕の中は不思議と安心する。
「礼はまずリーファスに言うのが先だな。ご褒美でポロの実も食べさせてやると良い」
ソフィアは苦笑いで、実亜の頭を撫でていた。
「あ、はい。リーファス、ありがとう――」
実亜はリーファスの首元を軽く叩いて、裏口から二個ポロの実を持って来た。
近くに居るリューンにもおやつをあげないと、不公平だから。
それを見てソフィアは「ミアは優しいな」と嬉しそうにしていたのだった。
「馬って大きいから最初は驚いたんですけど、可愛いですね」
乗馬のレッスンを終えて、実亜はソフィアが作ってくれた温かい飲み物を飲んでいた。今日のは緑茶に似ているけど甘い――抹茶とも少し違っていて、不思議な味だ。
「そうだろう。リューンもリーファスも可愛くて優しい良い馬だから、初めて乗るには良い馬だ」
「ソフィアさんが丁寧に教えてくれるのもあって、凄く仲良くなれた感じがします」
実亜はおやつの冷凍果実を食べて、甘いお茶を飲む。暖かい室内で冷たいものを食べるのは、リスフォールでは定番らしい。
「良いことだ――ん? 私がか?」
ソフィアは一瞬頷いてすぐに不思議そうな顔をしていた。
「はい。ソフィアさんも優しくて素敵な人ですから」
「そうか……そう言われると少し照れる気はするが……」
ソフィアは照れて、お茶のおかわりを飲んでいた。強いとかの一面を褒められるのは平気そうだけど、優しいだとかの柔らかな一面を褒められることにはあまり慣れていないらしい――
「私、ここに来て最初に出会えたのがソフィアさんで、幸運だったと思います」
実亜は温かいお茶を飲みながら、ソフィアに話し始める。
事実、ソフィアに保護されたし、その後の生活まで面倒を見てくれて、一応の働き口まで世話をしてくれて――感謝するしかないだろう。
「私がミアを見付けて腕に抱きかかえた時、初めて仕事以外でこの人を守りたいと思ったんだ」
ソフィアはゆっくりと相槌を打ってから、実亜を保護した時の状況を話してくれる。
騎士は国や街や人を守ることが仕事だから、ソフィアもそうして生きてきたのだという。
「仕事以外で……ですか?」
「ああ、それくらい、ミアは華奢で柔らかくて、陽射しの匂いがした。初めて会ったのに懐かしいような不思議な感覚だな」
ソフィアはそう言って、実亜にまだ冷たい果物を「食べ頃だ」と一個くれた。
実亜は遠慮なく果物を食べる。溶けかけたシャリッとした食感が美味しい。
「陽射しの匂い……自分ではわからないんですけど、どんな匂いですか?」
「甘い……何と言うのだろう、少し蕩けそうな匂いだな。香水とも違うようだ」
「蕩けそう……」
実亜はソフィアの話を聞きながら、服の襟元を少し揺らして自分の匂いを確かめる。
ボロボロに忙しくてもシャワーだけは毎日なんとか浴びていたから、身についた汗とかでもなさそうだ。それに、こちらの世界に来てからも風呂には毎日入らせてもらっているし――
「ああ、自分では多分わからないんじゃないか? もっと首筋の辺り――」
そう言いながらソフィアは実亜の首筋に顔を寄せていた。ついでに指先でそこにそっと触れる。
前に実亜が聞いたことがある、フェロモンだとかがわかりやすい場所――ソフィアの言う陽射しの匂いはそれなのだろうか。
「あっ……」
くすぐったくて実亜は思わず上擦った声を上げていた。
「失礼した。思わず触れて……しまったな」
それでもソフィアは手を引かずに、実亜の首筋を撫でる。
磁石みたいに引き合って離れないかのように。
「……ううん、平気です。もっと触れても大丈夫です、から」
「そうか――恋人のキスというものをして良いか?」
ソフィアの手は実亜の頬を包んで、優しく暖めてくれる。
「――はい」
実亜は目を閉じて――ソフィアの唇を待っていた。
吐息が絡まって、柔らかい唇が触れ合う。
ソフィアは実亜の唇を舐めて、少し開いた唇から舌を滑り込ませる。実亜がぎこちなく応えると、互いの舌が触れあって甘い感覚が拡がってきた。
「ん……」
実亜から甘い吐息が零れる。ソフィアはふと唇を離すと、もう一度軽くキスをして実亜の身体を優しく抱きしめてくれていた。
「――ミアの陽射しの匂いに負けたようだ」
ソフィアが小さく呟く。実亜は安心出来る腕の中で、ソフィアの匂いを確認していた。
自分にあるのなら、実亜が今まであまり意識してないだけで、きっとソフィアにもそういう匂いがあるはずだ。
涼しげな風のような匂いがする――それは、とても心地良かった。




