雪の朝
(22)
「本当に、何度詫びれば良いのか……」
翌朝――ソフィアがまた驚いて飛び起きた反動で実亜は目を覚ましていた。
ソフィアはまた最大限の礼を尽くす姿勢で、実亜に詫びている。
「ですから、いくらでも抱きついてくださいって言いました」
実亜もまた正座でしっかりと向き合って、謝るソフィアに答えていた。
いくらでも抱きついて良いと言ったし、何一つ謝ることはないのだと。
「そうなのだが、いきなり抱きついてはミアが驚くだろう?」
こういうことは一応了承を得るのが礼儀だ――ソフィアもなかなか譲らない。
騎士としての礼儀だとか、規律だとか、かなり自分に厳しい人なのだろう。
「……わりと、嬉しいです、けど」
「けど?」
ソフィアが実亜の顔を覗き込む。
実亜は次の言葉を言うべきかどうか、少しだけ迷っていた。
誘っているような人間だと思われたら、嫌われないだろうか――そんな思いが実亜の頭を過ぎる。
「……最初から抱きしめてくれたら、私も驚きません」
実亜は少し前から思っていたことをソフィアに伝えていた。
どうせ抱きつかれたり抱きついたりするのだから、最初からそうしていれば良いと思ったのだ。
でも、これは多分一般的な恋人だとかそういうものからは外れているのかもしれない。恋人が居た経験が無いから実亜にはわからないのだけれど。
「――成程」
ソフィアは納得している。
それで納得するんだ――実亜はそんなソフィアに少し面白さを覚えていた。
「かなり積もっているな」
ソフィアが騎士の制服に着替えて玄関の外に出ると、辺りを見回して少し嬉しそうだ。
雪のない街から来たから何年経っても少し心が弾むらしい。
勿論、雪国ならではの大変さもわかっているからあまり大っぴらに喜べないそうだけど。
「そんなに寒くないですね」
実亜も見送りで一緒に外に出たら、ソフィアが慌てて玄関にある私服のマントをかけてくれた。
過保護なのだろうか――最近は輪をかけて過保護だと実亜は思う。
「雪が積もればある程度は寒さが和らぐ。ああ、壁際は屋根から雪が落ちてくるから危ないぞ」
ソフィアは過保護を重ねるように実亜の腰に手を回して、壁際から離れるようにエスコートしてくれていた。絶対過保護だ――実亜は確信していた。
「はい――気を付けます」
大事にされるのは嬉しいのだけど、実亜としては丁重な扱いに慣れていないから、ソフィアが与えてくれる柔らかいふわっとした感情に戸惑ってしまう。
「今日は昼過ぎには帰る。食事は何か買って帰るから、適当に過ごしていてくれ」
ソフィアは実亜をそっと抱き寄せると、額にキスをしていた。
まるで恋人同士――そういえば恋人同士ということになったんだった。
ああいう風になるものなのかは実亜にはわからないのだけど。
「……行ってらっしゃい。お気を付けて」
ソフィアがした額へのキスも、実亜の心をふわっと柔らかくしてくれる。
他の誰でもないソフィアだから、そう思えるのだとの確信と共に。
「ありがとう。行ってくる」
ソフィアはリューンを撫でてから、サッと飛び乗って仕事に向かっていた。
「さて今日は……雪かき?」
玄関の外には実亜のふくらはぎの下が隠れる――二十センチくらい雪が積もっている。
このくらいならまだかき分けて歩けるかもしれないけど、これからもっと積もるとなると大変だと思うから、せめて玄関周りだけでも雪を避けておくほうが良いのかもしれない。
「ドアが開きやすいくらい……ここまで?」
この頃、独り言が増えたかもしれない。実亜はそう思いながら、玄関にかかっている雪かきの道具を持っていた。
雪かきは見よう見まねだけど、道の邪魔にならないところに雪を避けるのはわかるから。
「……雪って、以外と重い」
雪を掬う道具は――スコップとかショベルとか、リスフォールでの呼び名は何だろう――軽い金属製で持つのはそんなに負担ではない。
ただ、雪を掬うと途端に重たくなる。これはかなりの力仕事だ――実亜は休憩しながら最初に考えていた範囲の雪かきを終える。
「……ダイエットになるかも」
実亜はそう呟いて、達成感に浸っていた。
久々にしっかり動いたから、かなり疲れている気がする。
実亜は少し休むために、ブランケットを身体に巻いて長椅子に寝転んでいた。
玄関のドアが開いた音がした。実亜はその音で眠りから目覚める。
「ミア、体調が悪いのか? 大丈夫か?」
ソフィアの声と足音が聞こえて、すぐに長椅子で寝ていた実亜の元にやって来た。
外套――コートも脱がずに、少し慌てて。
「いえ、さっき雪かきをして。さっき……? え、もうお昼過ぎたんですか?」
実亜は時計と外の様子で昼下がりを実感する。わりとしっかり目に寝てしまったようだ。
身体を起こして、実亜は大きく伸びをしていた。身体が少し痛い。長椅子が固いからだろうか。
「ああ、雪かきをしてくれた疲れか。大丈夫か? 寝床で眠れば良かったのに」
長椅子では身体が痛いだろう――ソフィアは実亜の手をとって、立ち上がらせてくれた。
「少しだけ休むつもりだったんですけど……」
「まだ完全に元気なわけではないだろうから、無理はしないほうが良い」
ソフィアは一安心したらしく、コートを脱いでハンガーに掛けている。
「……はい、心配かけてごめんなさい」
「気にするな。今日はデネルを買ってきた。食事は出来そうか?」
「はい。少し疲れてただけなので」
デネルってなんだろう――聞いたことがないけど、もうスパイスの良い匂いがしている。
「そうか、それなら良いんだ。食べようか」
ソフィアは手際良く飲み物の用意をしていた。
「デネルってどんな料理ですか?」
テーブルに着いて、実亜はソフィアが買ってきた包みを見ていた。
まだ温かい感じで、香りもスパイシーで良い。
「ええと、南国の香辛料で肉を焼いて、野菜とメーリ粉を焼いたもので挟んだものだ」
わかりやすいように丁寧に説明をして、ソフィアは「実亜の口に合うと良いのだが」と包みを開いていた。
ピタパンのような薄いパンにこんがりと焼かれた肉と新鮮な野菜――実亜の知るケバブだ。
ケバブはドネルケバブとか言うから、実亜の居た世界の言葉に似て非なるものなのかもしれない――不思議だった。
「今日は雪かきをしてもらえて、ありがたかった」
二人でデネルを食べながら、ソフィアがそう言ってお茶を飲んでいる。
デネルの味は、実亜が食べたことのあるケバブとほとんど同じだった。
「でも、玄関の辺りだけですよ?」
思っていたよりも重労働だったから、実亜は本当に最小限の雪かきしかしていない。
「それで良いんだ。出入り口が開いていれば良いのだから。あと、道はしっかりと雪かき部隊が居るから雪かきはしなくて大丈夫だぞ?」
雪の間に閉まる鉱山で働いている人たちが、この時期雪かきを生業にしているのだとソフィアが説明をしてくれる。
「雪って綺麗ですけど大変ですね。あんなに重いとは思いませんでした」
「確かに。綺麗なのだが、そこが困ったところだな」
ソフィアは笑ってお茶を飲んでいた。実亜もデネルを食べ終えてお茶を飲む。
リスフォールのお茶は、紅茶と烏龍茶の間みたいな味で実亜はわりと好きだった。
そして、二人で過ごす時間も、実亜をふわっと柔らかな感情にさせてくれていた。




