二人の進歩
(20)
「温かい……」
実亜の目が覚めた時、またソフィアに抱きしめられていた。
むしろ、それで目が覚めたというか――でも今日はいつもと違って回される腕が腰じゃない。
もっと背中というか、上半身が思い切り密着をしている。顔も間近で今にもキス出来そうだ。
「ソフィアさん――」
実亜はソフィアの頬に手を触れる。
改めて近くで見ると整った顔立ちで、睫毛が凄く長くて――引き寄せられる。
実亜はそっと、わからないくらいの軽いキスをしていた。
親愛、それとも恋愛、わからない――ただ、目の前の人を自分だって守りたい。
そんな気持ちと覚悟のキスだった。初雪の日に、ソフィアが誓ってくれたように。
実亜がまた目を閉じて、次に開いた時はもう夕暮れだった。
窓から少しオレンジがかった光が射し込んでいる。
リスフォールに来て何度目かの夕焼け――こんなに光が届くものだっただろうか。
「おはよう。少しは眠れたか?」
実亜が上体を起こすと、ソフィアが温かい牛乳の入ったカップを持ってやって来た。
「は、はい。ちょっと安心出来たので」
何処か気まずい――寝込みを襲ったようなものだから。
だけど、ソフィアは気付いていないみたいだ。
謝ろうか、どうしようか――謝るしかないだろう。実亜は息を吸う。
「心配をかけた、ありがとう。一緒に、少し雪を見ようか」
ソフィアが手を取ってベッドから実亜を優しく誘い出してくれる。
嬉しいのだけど、謝罪の出鼻をくじかれてしまった。
「――はい」
次の機会だ――実亜は心で決めてから、ソフィアと庭に出ていた。
「薄く積もってますね」
積もった雪に夕日が反射して、いつもの夕暮れより明るく感じる。
これで光がいつもより射し込んでいたのだろうか。
実亜は雪に触れる。当たり前だけど冷たい。
ちょっと雪だるまでも作ってみようか――実亜は少し庭を歩く。
「これからもっと本格的に積もる。慣れないと足を滑らせるから――危ない」
注意をされた傍から、実亜は足を滑らせてしまう。
ソフィアが慌てて実亜の身体を抱き留めて、転ぶ寸前で姿勢を立て直せた。
「……あ、ありがとうございます」
「そのうち雪道の歩き方にも慣れる。雪が積もっている間は魔物の活動もほとんどない。安心してゆっくり過ごせば良い」
「はい……あの、手……」
抱きかかえられて実亜が姿勢を立て直してから、ソフィアの手はずっと実亜の腰を支えているのだけど、それがなんとなく恋人同士みたいな不思議な密着具合だった。
「ん? し、失礼を――」
ソフィアは慌てて後ずさりをしたが、今度はソフィアが少し足元を滑らせそうになっていた。
まだブーツに鋲を付けていないから、少し滑りやすいらしい。
「失礼じゃないです。その、安心出来ます」
実亜は慌ててソフィアの手を取って支える。何故か逆転だ。
「そうか……いや、しかし、意識しないと自制出来なくなりそうだ」
「自制?」
「いや、こちらの話だ。冷えるからもう入ろうか」
ソフィアが家に戻ろうとする。その前に、近くの小屋のリューンを少し覗き込んでいた。
「あ、待ってください。こうして――」
実亜は少し積もった雪を手でかき集めて、楕円形の形を作る。
そして、長細い落ち葉を雪で覆われた地面から二枚探し出して、雪の塊に刺していた。
「?」
ソフィアは不思議そうに実亜のやっていることを黙って見守って――
「えっと、ウサギって知ってます? 耳の長い動物で」
「ふむ、ラパンのことか? 飛び跳ねて逃げる小さい生き物だろう?」
ラパン――実亜の居た世界でもウサギのことをそう呼ぶ国があったような。
でも、こっちにも居るみたいで、それなら通じるかもしれない。
「雪ウサギって言って、私の居たところでも雪が積もるとこういうのを作ったりします」
そう言って、実亜は出来上がった手の平サイズの雪ウサギをソフィアに見せる。
「成程、葉は耳か――ふむ、可愛いものだ」
ソフィアはそっと雪ウサギを受け取って、頭を指先で撫でていた。
「この軒下に居てもらおうか」
ソフィアは雪が積もっていない屋根の下に雪ウサギを置く。
優しい目で、優しい口調で――ああ、駄目だ今、謝らないといけない。実亜は思った。
こんなに優しい人を騙し討ちしたみたいにはしておけない。
「あの……ごめんなさい」
「どうした? 何かあったのか?」
実亜の手をとって「冷えている」と、ソフィアは両手で柔らかく包み込む。
「えっと、さっき寝てる時にキスしました」
「……キス」
「はい。あの、襲おうとかそういうつもりじゃなかったんです」
こんなの、ただの弁解――実亜はまた「ごめんなさい」と言って目を閉じていた。
「――キスとは何だ?」
しばらく黙っていたソフィアからはそんな言葉が返って来る。
「え?」
「ミアが何をしてそんなに困っているのか、わからない」
ソフィアは親指を顎に当てて、ソフィアの考え込む仕草だ。
「あの……えっと、えっと……くちづけ?」
誓いを交わした時、ソフィアはそう言っていたはず――実亜は記憶を呼び覚ます。
「……ほう。くちづけをキスと言うのか」
一つ勉強になった――ソフィアは納得して家の中に戻って行った。
「え、気にしないものなんですか……?」
寝込みを襲ったようなものなのに――実亜はソフィアのあとを追って家に入る。
「くちづけなら、初雪の時に既に誓いを交わした。私はそれくらいミアに気を許している」
何も問題はない――ソフィアは「寒いだろう」と、ショールを実亜の身体に被せてくれた。
「でも……キスは恋人同士とかがするもので……」
違う。何を言っているのだろう――実亜は混乱して妙なことを口走っている。
「恋人――私はミアをそう思って良いのか?」
「……え、あ、その」
ソフィアの手が、実亜の頬を優しく包み込む。
「――恋人同士。ミアが願うなら私は嬉しいのだが」
「う、嬉しい……ですか? 私、何も出来ない厄介者なのに」
ここでも実亜に根付いた思考が顔を覗かせる。
自分なんて誰からも必要とされてなくて――
誰にも、大事にされる資格もなくて――
「ミアが居ると安心出来る。大きな理由にならないか?」
ソフィアは実亜に根付いた思考を軽く取り去ってくれる。
「でも……私――」
何も出来ない――言いかけた唇を、ソフィアがそっとキスで塞いでいた。
舌が入り込んで、実亜の舌と少しだけ絡まって離れる。
「――恋人同士がするキスとは、これで良いのか?」
唇を離して、ソフィアが笑う。手はまだ実亜の頬を包んだままだ。
「あ、合ってますけど……」
実亜は思わずソフィアにしがみついていた自分の手に気付く。
今の二人の体勢は、本当に恋人同士のそれでしかない。
「それなら、今から恋人同士だ。私が寝ていても気にせずキスというものをしてくれ」
ソフィアは笑ってから、実亜を優しく抱きしめる。
恋人って、そういう風になるものなんだ――
違うような気もするけど、ここは前に居た世界とは違うのだし。
実亜は甘いキスの名残でクラクラする頭で考えていた。
二人とも天然気味です。




