優しい人たち(2)
(122)
「これはミア様、手ずから卵をお持ちいただきありがとうございます。クロエもありがとう」
卵を持って屋敷の厨房に向かうと、料理長が作業の手を止めて実亜とクロエを迎えてくれた。
屋敷で働く人たち全員分の食事を作る厨房は、大鍋でスープらしきものを煮込んでいる人や石窯でパンを焼いている人に、大きなベーコンを料理用に切り分けている人、お茶の用意をしている人――皆、朝から忙しそうだけど活気のある場所だ。
「いえ、こちらこそ。いつも美味しいお料理をありがとうございます」
実亜は卵が入ったカゴを料理長に渡す。
「今日はミア様のおかげで大量なんですよ」
クロエがそんな言葉で実亜の立場を持ち上げてくれていた。
「じゃあ、今日はミア様に料理法を決めてもらいましょうか」
料理長が「いい卵」と、楽しそうに卵を数えながら、実亜のほうを期待に満ちた目で見ている。きっと美味しくなる調理法を知っているだろう的な期待が伝わって来るようだ。
「えっ、そんな責任重大な……」
「私たち料理人は何にでも対応出来ますので、ご遠慮なく」
料理長は自信と期待たっぷりに実亜のリクエストを待っている。
「えっと、じゃあ……ポーチドエッグって出来ますか? 卵を茹でるんですけど、先に殻を割って中身だけを茹でるんです」
実亜は厨房の中を少し見てから朝食のメニューをなんとなくで把握して、リクエストをしていた。
今日の朝食は、ベーコンを焼いたものを燕麦のパンで挟むような感じなので、そこにポーチドエッグがあると更に豪華になると思ったから。
「ああ、落とし卵ですね。畏まりました」
料理長は手早く鍋を用意して、実亜のリクエストを叶えてくれていた。
朝の一仕事を終えて、実亜は一旦自分の部屋に戻るために屋敷内を歩いていた。
ソフィアも朝の鍛錬から戻ってくる頃だろうし――と、ぼんやり考えながら。
最初の頃は屋敷内で迷子にならないように気を付けていたけど、かなり慣れた今では廊下にある彫刻や絵画を眺めながら歩けるようになっていて、成長と慣れは凄いなと実亜は思う。
不意に、廊下の角にある大きな彫刻の向こうに人影が過ぎたような――と、思った途端、目の前にその人影が飛び出して来た。
「えっ? ひゃ……!」
そして――実亜の目の前に鋭く光る剣先が突き付けられていた。
剣を突き付けて来た人物は、身に纏っているマントでマスクのように口元を覆い隠していて、見える範囲の顔も長めの無造作な前髪で隠れていて、つまり不審者――だけど、そんなに簡単に不審者が現れる場所でもないから、実亜は一旦深呼吸をしていた。
「曲者、名を名乗れ」
不審者は栗色の前髪から垣間見える意志の強そうな目で実亜を睨んで、尋問のように問いただす。少し高めの澄んだ声は、凛とした響きだった。
「わ、私はえっと……結城実亜と言いまして……その、ソフィアさんに助けられて……」
実亜は目の前に突き付けられた細い剣から少し距離を取るように、後ろに下がりながら名乗っていた。
曲者――いわゆる怪しい人間ということでは、むしろ目の前の人が曲者なのだけど、あまりにも堂々としていて凛々しいから、ここではやはり自分が曲者になるだろう。
それに、目の前の不審者にはなんとなく、クレリー家の人の雰囲気というか、良くわからない不審者だけど危険な人ではない感覚が実亜にはあった。
「ユーキミア? ソフィアお姉様に? お姉様はリスフォールに居るはずだけど――」
不審者の口からは、実亜の推測を証明する答えが出て来た。
ソフィアを「お姉様」と呼んでいる時点でもう間違いなくクレリー家の人だから。
「ミア様、何かお声が……ファウナ様?」
さっき実亜が上げた小さな驚きの声が届いていたらしく、クロエが小走りでやって来た。そして、不審者の名前らしい言葉を口にしている。
「あっ、クロエ。久しぶり、元気だった?」
ファウナと呼ばれた不審者は、剣先をそのままにクロエに挨拶をしている。
不審者はとりあえず大丈夫な人で確定――実亜は大きな安堵の息をついていた。
「変わりなく過ごしてます。剣をお収めください。こちらのミア様はソフィア様のご伴侶です」
「そう、ソフィアお姉様の――ええっ? いつの間に? これは大変な失礼を致しました」
クロエの言葉に驚きながら、実亜に謝りながら、ファウナが剣を鞘に仕舞っていた。
「ソフィア様もローナ様も手紙をお送りしているはずですが……」
クロエが言いながらファウナのマントを脱がせている。
マントの下の服装はソフィアの着ている騎士のものとは違ったデザインだけど、何処か制服感があった。
「一年ほどミスフェアに行ってたから、読んでない」
ファウナは手早くたたまれたマントをクロエから受け取って、肩をすくめている。
「ミア様、こちらはファウナ様です。ソフィア様の妹でアステリア様の姉にあたります」
クロエが改めて、実亜とファウナの二人を紹介し合うように取り持ってくれている。
「初めまして。ミア・ユーキです」
実亜はこちらの世界の挨拶のポーズをして、自分の名前を改めて名乗っていた。
「ファウナ・ウェル・クレリーと申します。以後お見知りおきください」
ファウナは騎士の挨拶ではなく、実亜と同じ挨拶のポーズをとっている。ただ、実亜と違って慣れていて洗練されていた。
「はい、こちらこそ至らないですが、よろしくお願いします」
「で、ソフィアお姉様の何処が良かったの? 優しいけど、あまり融通が利かないでしょう?」
ファウナは挨拶を済ませると、目を輝かせて実亜に訊いて来る。
「え? 何処……全部が素敵な方ですよね? 優しくて、意志が強くて? 格好良くて、時々可愛いです」
実亜はソフィアの素敵なところを考えて、そんな答えを返していた。
ソフィアは優しい。融通が利かないと言うよりは、時に厳しいのだけど、それは優しさがある厳しさだから、理不尽なものではない。
「……成程」
ファウナが静かに頷く。
あ、今ソフィアさんに似てた――実亜は納得しているファウナを見て、そんなことを思っていた。
ファウナさんもなかなかの剣の達人って感じです。




