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優しい人たち(1)

(121)

「う、腕がバキバキです……」

 寝室のベッドで、実亜は今日の作業の名残を味わっていた。今、これだけ腕が筋肉痛だということは、明日になると更に痛むだろう。

 分けて作業をしていたとはいえ、三十人分くらいの麺を()ねればそうなるのは、ある程度わかってはいたのだけど――

「つまり、粉を捏ねて鍛えられたけれど、疲れが溜まっているわけだな?」

 ソフィアが日記を書き終えて「あれだけ大量に麺を作っては、そうなるだろう」と、苦笑いをしている。

「そんな感じです」

 実亜は腕のストレッチをしながら、ソフィアに答える。

「腕を見せて――ああ、少し熱を持っているな。このくらいになると、冷やしたほうがいい」

 ソフィアは実亜の腕にそっと触れると、棚から細いタオルを何枚か取り出して、部屋に備え付けられている洗面台で濡れタオルを作って、実亜の両腕に巻いてくれていた。

「あっ、少しスッと――えっと……爽やかな気分になります」

「それなら何よりだ。体温でぬるくなったらまた冷水に浸して巻けばいい。遠慮なく言ってくれ」

 ソフィアはそう言いながら柔らかい袋に水を貯めて、水風船のようなものを作っている。これも熱っぽい場所に当てて冷やすものらしい。

「はい。ありがとうございます」

 実亜はソフィアの優しさをじっくりと噛み締めて、幸せを喜んでいた。ソフィアはいつも優しくて、甘やかしてくれて――傍に居られるだけで充分なのに、それ以上の幸せをくれる人だった。

「皆、楽しそうにミアの麺を食べていたな」

 ソフィアは水の入った袋で実亜の腕を冷やしながら、今日の話をしている。

 実亜の作った小麦の麺――うどんは好評で、麺打ちの道具を作るために参考にしたいと言っていた職人たちはアイデアを沢山出し合って、料理長は麺にかける肉と野菜のソースを作ったりしていた。

「こちらでは珍しい料理なんだなって、しみじみと思いました」

 だけど、珍しいながらもすぐにアレンジメニューを作り出したり、効率のいい作り方を考え出したりと広がっていく様子も楽しかった。

 食に限らず、文化はこうして広がるのかもしれない――なんて実亜は思う。

「以前よりはメーリ粉も安くなっているが、それでもまだ気軽に買える値段でもないから――麺のように贅沢な使い方は相当に珍しかったと思うぞ?」

 あとは水も贅沢に使っている――ソフィアはそう言いながら店で出す場合の値段を軽く計算している。

 一食、六オーツ――銀貨六枚分くらいにしないと、店で安定した料理として出せないらしい。一オーツが五百円くらいだから、三千円ほどだけど、うどん一食でその価格はかなり高級だ。

「珍しさもあって、皆さん楽しかったのかなって思います」

「確かに、異国の料理は楽しさと珍しさへの驚きもある。そういう点で理解をし合えるのもいいことだ」

 口に合わなくても、新しいものを知る驚きは変わらない――ソフィアは実亜の腕を軽く撫でて、もう一度タオルを巻き直してくれていた。

「はい。私もこちらのお料理はいつも美味しくて楽しいって思ってます」

 実亜の言葉にソフィアが優しく笑う。

「何か気に入っている料理はあるか?」

「……一番最初に食べた牛乳のお粥が凄く優しくて、温かくて少し甘くて――自分はまだ生きてるんだなって思えました」

 実亜はこの世界に来た時のことを思い出していた。もう随分前のことのような気がするけれど、実際はまだ一年も経っていない。

「ああ、燕麦(えんばく)の――贅沢な食べものではないのだが、それがミアの糧になっていたなら何よりだ」

 気に入る料理は得てしてそういうものだ――ソフィアがそう続けて頷いていた。

「そういえば最近はあまり食べませんけど、普段は食べないものなんですか?」

 お粥イコール病気というわけでもないとは思うけど、優しい食べものだし、こちらは燕麦が気軽に買える食材で調理もしやすいから、体調を崩した時には嬉しいだろうなと実亜は考えていた。

「体調がすぐれない時に食べるのが一般的だが、私はリスフォールだと時々朝食にしている」

 ソフィアは「干した果物を入れる作り方もあるようだ」と、少し珍しいメニューを教えてくれる。

「お洒落な感じがしますね」

「ふむ? ミアのコメやメーリ粉の料理のほうが洒落ていると思うぞ?」

 ソフィアが不思議そうにしながら、ベッドに寝転んでいた。

「そうですか? 見慣れてるので……あ、お互いにとって珍しい料理同士だから、新鮮でお洒落って思えるのかもです」

 実亜は見慣れた色々な料理を思い出して、ソフィアに答える。

 自分の知ってる料理はおむすびでもうどんでも、単体では地味に見えるものが多いけれど、こちらの世界の料理は色鮮やかな感じがする。

 盛り付けの感じとかも少し違っていて――だけど、それも美味しそうで素敵なのだ。勿論、自分の料理には安心感があったりするのだけど。

「おそらくそういうことだな。ミアと居ると世界を知られる」

 ソフィアは実亜の髪を軽く撫でて整えてから納得している。

「私も、ソフィアさんと居ると、世界を沢山知ることが出来てます」

 実亜がそっとソフィアに手を伸ばすと、ソフィアはその手に自分の手の指を絡めて――いわゆる恋人繋ぎの状態で受け止めていた。

「お互いの世界を知ることが出来る人――心地が良いな」

 ソフィアはそう言うと柔らかく手を握る。

「……はい」

 実亜は少し照れながらソフィアに答えていた。

 指先が交互に組み合わさるようにお互いのことが合わさって、そこからまた世界が広がっていく。

 それはとても嬉しいことだと思うのだ。

「今日は疲れただろう、ぐっすりしてくれ」

「はい――おやすみなさい」

 二人、手を繋いだまま、心地よい疲れと心地よい眠りに就いていた。


 翌朝、実亜が目を覚ますと、腕に巻いていたタオルがなかった。寝ている間に外れたのだと思うけれど、枕元のテーブルにたたんで置かれているから、ソフィアが片付けてくれたのだろう。テーブルには「朝の鍛錬へ行く」とのソフィアの書き置きもあった。

 冷やしたおかげで、筋肉痛は予想していたよりは軽く、実亜は手を何度か握って開いて確認していた。


「ミア様、おはようございます」

 実亜が朝の支度を整えて屋敷の裏庭のほうへ向かっていると、クロエがカゴを手にやって来た。

「おはようございます。あ、卵ですか? ご一緒してもいいですか?」

 実亜は自分に出来る手伝いを進んで申し出る。

「はい、ありがとうございます」

 ではご一緒に――クロエは笑顔で答えて、実亜と裏庭に出ていた。


「ミア様、そちらの隅にも卵があります」

 鶏小屋は広く、クロエは用意した餌を撒きながら、手早く卵を拾って、実亜にも卵のある場所を丁寧に教えてくれる。

「はい、ちょっとごめんね……卵を持って行かれるのにちょっとどころじゃないけど」

 鶏たちは基本的に餌に夢中だけど、中には卵の近くで睨みを効かせている鶏も居たりして、実亜はとりあえず一言断ってから卵を採集していた。

 そんな実亜の言葉で、クロエが吹き出して笑っている。

「ミア様はお優しい――」

 そんな風に笑うクロエも、とても優しい笑顔だった。

「いえ、そんな……」

 実亜は少しの恥ずかしさでクロエに答えていた。だけど、優しいと言われるのは少し嬉しくもあった。

 出来るなら、ソフィアたちのように優しい人になりたい――なんて考える時もあるから。

「クレリー家の皆様は鶏に話しかけるので、ミア様にも似たところがあるのでしょうね」

 クロエは言いながら次々に卵を集めている。今日は鶏たちの機嫌がいいらしい。

「クロエさんも鶏の機嫌とかがわかるみたいですし、きっと似てますね」

 実亜の言葉にクロエは「勿体ないお褒めの言葉をありがとうございます」と、照れていた。

先月末に親知らずの抜歯入院とかしてまして、なんか久々の投稿になりました。

まったりお付き合いいただけると幸いです。

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