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自転車

(119)

「えっ、もう完成したんですか?」

 実亜はベッドの中で、さっき届いたばかりのメモを読んでいるソフィアに答えていた。

 仔馬が生まれたお祝いと名付けの宴会の余韻も冷めないうちに、ソフィアは実亜がアドバイスをした自転車が形になった報告をしてくれていたのだ。

「まだ試作品だが大体の形にはなったらしい。お時間があれば、是非ともミア様に監修を――明日で構わないか?」

 ソフィアは報告が書かれたメモを読み終えて、ベッドサイドの小さなテーブルに置いている。

「はい、私はいつでも大丈夫です。お話をしてから十日くらいしか経ってない気がするんですけど、凄いですね」

「うちの職人たちは仕事が丁寧で早いと帝都でも評判なんだ」

 ソフィアもベッドに寝転んで、眠る前の二人きりの時間を楽しむように話をしてくれる。

「そういえば、自転車のお話をしてる時も、置いている部品で大まかに組み立てたりしてましたね」

 職人たちは端材で色々な小さな部品を作り置いているから、何かを作る時はそれを使ってすぐに形に出来る。大きな製品だとまずミニチュアサイズのものを作って、またそこから改良しつつ一つのものを作り上げる感じだ。

 働く人たちの柔軟さや、クレリー家の資金力みたいな「余裕」があるからこその開発力なのだろうと、実亜はしみじみと思う。

「日頃の修練で少しの提案が形になる。どんな仕事にも共通する心がけかもしれないな」

「そのために職人さんたちが安心して働ける環境があるのも、大事だと思ったりします」

 クレリー家で働いている人たちはみんな優しくて楽しそう――実亜はソフィアに答えて、頬に落ちていたソフィアの髪を指先で軽く直していた。

 ソフィアの髪はサラサラで、いつも手触りが心地よい。

「ふむ、確かに能力があったとしても存分に発揮できなくては勿体ない」

 ソフィアはお返しで実亜の髪も軽く整えてくれる。

 そして、実亜はそのまま安心できる眠りについていた。


 翌朝――実亜とソフィアは朝食を食べてから工房に出向いて、自転車を見ていた。

 自転車にはカゴや荷台はまだ付いていないけれど、デザインはいわゆるシティサイクルという街乗りのものに似ている――サイズが少し小さめだけど、しっかりした作りだった。

 サドルは馬用の鞍をコンパクトに改造したものらしく、一般的なシティサイクルよりも座りやすそうに見える。

「ふむ、これがジテンシャか。予想していたよりも小さめなのだな?」

 リューンと比べてしまうからか? と、ソフィアが不思議そうにしている。

「えっと、言いにくいですけど、私から見てもちょっと小さめです」

 実亜はソフィアと一緒に自転車を確認しながら「全体的にもう少し大きめです」と答えていた。

「それじゃあ車輪をもう少し大きくしたほうがいいんじゃないか?」

「しかし、両足が地面に着かないと危ない」

「それなら座席の軸をもう少し下げて――」

 職人たちは実亜の言葉にメモを取りながら意見を出し合って、すぐに新しい図面を書いている。

「成程、座席に跨がって、(あぶみ)を踏み込むと車輪が回転して進む――面白いものだな」

 ソフィアはペダル部分を手でクルクルと回して、自転車の仕組みを確認していた。

「これは後ろに進む時には危険だと思うのだが――ん? 鐙を後ろ向きに回すと車輪が回らないな」

 物珍しそうにペダルを回していたソフィアが、自転車の謎に気付いている。

 言われてみれば、自転車のペダルは後ろ向きに漕いでも後ろに進まないなと実亜は思い出していた。普段乗っている時にはあまりにも自然すぎて気付いていなかったけど、自転車には小さな技術が沢山詰め込まれていて、不思議な乗り物だと改めて感心する。

「ソフィアお嬢様の仰る通り『後ろ向きに進むのは危険だ』との新入りの提案で、逆回転の時は歯車が回らないように細工をしてるんです」

 歯車の内側に切り欠きを作って――職人の親方が歯車の図面を見せてくれた。寸法や組み合わせる素材のメモも沢山書かれていて、実亜にはその全てを読み取ることは難しいけれど、一つの部品にも手を抜かない職人技なのは理解が出来ていた。

「私の頼りない説明だったのに、凄いです」

 実亜はソフィアと一緒にペダルを確認して、職人たちの仕事を改めてじっくりと見る。ペダルは金属製の骨組みに薄い木材が取り付けられていて、軽量化も兼ねているみたいだった。

「私どもは小さな案があればそこから試行錯誤するのが仕事ですから。楽しんで作ってますよ」

 職人の中の一人が誇らしい笑顔で、そんな風に凜々しく格好良く言い切っている。

「それでは私が早速乗ってみよう。まず、こうだな?」

 ソフィアが自転車のサドルに跨がって、ハンドルを両手で持って――片足をペダルにかけている。

 そして――しばらくそのままで考え込んでいた。

「この鐙を踏み込む――おおっと、進む……が、確実に転ぶ不安定さだ」

 ソフィアがペダルに載せた足を踏み込むと、自転車が少し進む。もう片方の足は地面から離さずに軽く蹴るような感じになっている。

「最初はペダル――鐙を使わないで、両足で地面を蹴って練習したりします」

 実亜はソフィアの真横で、転ばないように注意を払いつつアドバイスをしていた。ソフィアは両足で地面を強めに蹴って、ゆっくりと一メートルずつ進むことを繰り返している。

 元々色々と器用にこなす人だから、大体のバランスは取れているみたいだった。

「ふむ……ミアはこれを乗りこなしていたと言うのか……」

 ソフィアが真剣な表情で「相当に大変な技能だと思うのだが、凄い」と、実亜を褒めてくれている。

「その……交通費が安く済みますから……必要に迫られて」

 一台あればそれなりに遠くにも行けます――実亜は少しの恥ずかしさと共に答えていた。

「それも生活の知恵というものだ。判断を誇っていい――ふむ、ミアが乗ってみてくれないか」

 手本が必要――ソフィアは自転車から降りて、実亜にハンドルを任せている。

「はい」

 実亜は自転車の左側に立って、まず左側のペダルに左足をかけていた。

「? 座席に座らないのか?」

 ソフィアは不思議そうにしながらも、実亜を見守ってくれている。

「ここから、少し助走して――乗ります」

 実亜は右足で地面を軽く蹴って、ある程度のスピードになってからサドルに跨がっていた。

 本当は駄目な乗り方だと聞いたこともあるけれど、効率よく乗るにはこれだから。

 しかし、一年近く乗ってなくても乗れるから、一度身体で覚えた記憶は凄い。

「!? ほう……見事なものだ」

 広い庭を軽く一周して戻って来た実亜に、ソフィアが拍手をしている。

「そんな乗り方があるのか」

「勉強になります」

「私もミア様の乗り方を練習したいです」

 職人たちも口々に戻って来た実亜を囲んで、盛り上がっていた。

「流石はミアだな。その秘めた能力を存分に発揮している」

 ソフィアはしみじみと「やはり女神」と小さく呟いている。職人たちも「そうだった」と、改めて確認している。

「あの、自転車くらいで大袈裟――でも、職人さんたちが素敵に作ってくださったので『くらい』じゃないですね。えっと、安心して乗れました」

 実亜はそう答えてから「あ、女神じゃないです」と、楽しそうな人たちに更に答えていた。

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