一口分の幸せ
(117)
「ミア様、セキハンのお味見をお願いいたします」
庭の畑で枝豆を食べる謎の宴を終えて、実亜たちが屋敷に戻るとばあやが楽しそうに待ち構えていた。そして、「ミア様の情報と書庫にある文献から導き出したセキハンです」と、小さな器に盛った赤飯を差し出している。
「は、はい! 私でいいんですか?」
かなり責任重大な味見のような気がするけれど、実亜は器とスプーンを受け取っていた。
「セキハンの味を知るのはミア様だけですので、これ以上ない適任者でございますよ」
ばあやは笑顔で「どのようなご意見でも承ります」と、優しく実亜に返してくれる。
「はい……いただきます」
実亜はスプーンで赤飯を掬って、一口食べていた。米がいつもの米と違っていて、少しもちもちしていて食べごたえがあって、ふわっと豆の香りが広がる。
「ふむ、コメに豆の色と香りが移っている。面白いものだ」
ソフィアが器の中の赤飯を「思っていたより穏やかな色だな」と、観察している。
「美味しいです。凄く味が濃くて、なんか少し懐かしい感じもします」
前の世界に居た時は、和風の食べものをそこまで好んでいなかった気がするけれど、離れてみてわかる美味しさがあるのも事実で、実亜は人間の記憶の不思議を思う。
あんなに辛い場所だったけれど、いいところもあったなんて――もっとも、今が幸せだから、過去にあった幸せに気付けたのかもしれないのだけど。
「ミアの言うセキハンとの違いはないか? 気になるところがあるなら遠慮せず教えて欲しい」
ソフィアは「ミアはいつも遠慮しがちだから」と、優しく訊いてくれる。
「違うところ……えっと、豆が少し大きめかなくらいで、味とかはそのままお赤飯です」
実亜はまず最初に違うところを伝えてから、違いのないところを答えていた。言う順番が逆だと受け取る印象も違うから、そこはしっかりと気を使って優しい人たちに答える。
「それはそれは、ばあやも安心でございます」
豆はまた研究ですね――ばあやはメモをして、凄く勉強家だ。
「成程。これがセキハンか……オムスビで食べるコメとも違って、何と言うか――大地の恵みを食べているような不思議な美味しさがある」
ソフィアも一匙食べて米の違いに気付いたらしく、不思議そうにしながら新しい味を確かめていた。
「ミア様、食べやすいようにセキハンをオムスビにしてもいいのですか?」
食べ慣れていない人向けに食べやすい形を――ばあやが張り切っている。
「あ、はい。お赤飯のおむすびもありますから、大丈夫です。お手伝いしますね。一口おむすびはどうでしょう?」
実亜はより食べやすい形を提案していた。一口分なら試しに食べやすいし、沢山の人に分けられるから――心配しなくても赤飯は大きな鍋一杯に炊かれているのだけど。
「私も手伝おう。これでもオムスビ作りに慣れてきた」
ソフィアは腕まくりをしながら、厨房に向かっている。
「ありがとうございます」
実亜もあとをついて行ってソフィアとばあやと三人で、赤飯の一口おむすびを作り始めるのだった。
「まあ、ミアさんにソフィアも、祝いの準備をありがとう。ばあやも少しは休んでね?」
大量の一口おむすびを作り終えて、一仕事終えた三人が休憩していると、乗馬服姿のローナが大きなカゴを持って厨房に入って来た。
凜々しい姿になると何処かソフィアに似ているのは、やはり親子――実亜は思う。普段着だとアステリアに似ているのだけど。
「母上、その姿は?」
ソフィアがローナからカゴを受け取りつつ、カゴの中を見ている。
「エダマメと言うものを食べてみたくて、奥の農場までひとっ走りして来たのよ」
アステリアに聞いて居ても立っても居られなくて――ローナはそんなことを言いながら乗馬用の帽子を外すと、ばあやが差し出したお茶を飲んでいる。
「ローナ様、『ひとっ走り』は、公爵家の方としてはよろしくないかと思いますよ?」
だけど、ローナ様らしい――ばあやがそんな言葉で、注意をしながらだけど優しく笑っている。ローナは戦乙女と呼ばれたこともあったらしいから、少しワイルドな人でもあるのだろう。
「そうねえ、私も言ってから『馬を走らせて』のほうがいいとは思ったのだけど――ひとっ走りのほうが楽しそうなんですもの」
ローナはそんな返事で可愛く笑っている。
「母上らしい。ミア、母上の我儘を聞いて、もう一仕事してもらえないか?」
ソフィアは実亜に笑いかけて、収穫された枝豆をカゴから取り出していた。
「は、はい! お役に立てますか?」
「私がエダマメの莢を外すから、塩加減を調節してほしい」
ソフィアは大きな鍋で湯を沸かすように厨房の人に頼んでからザルを用意して、枝豆の莢をナイフで枝から手早く切り離している。
「えっ、鮮やかですね?」
実亜はソフィアを手伝いながら、その手際の良さを眺めていた。元々ナイフを使うのも上手い人だから、安心して見ていられる。
「ミアを見ていて覚えた」
「ソフィアさんって器用で素敵ですね」
実亜は一つずつ莢を確認して、ある程度の量になったら軽くすすいでの作業を繰り返す。
「達人の技は見ているだけでも参考になるから、ミアが器用なのだと思うぞ?」
ソフィアと実亜とで、そんな話をしながら枝豆を茹でる下準備をしていた。
「まあ、二人とも仲睦まじくて素敵ね」
ローナがお茶を飲みながら嬉しそうに笑うと、配膳台に置いている大皿の中にある赤飯の一口おむすびを見付けて「一ついただくわね」と、つまみ食いをしている。
「本当に」
ばあやはローナのつまみ食いを見て「それもローナ様らしい」と笑っていた。
「面白ーい。一口で食べられるのね?」
大広間での祝いの席で、アステリアが赤飯の一口おむすびを食べて納得の表情だった。
楽しそうなアステリアを見て、おむすびを食べ慣れていない屋敷の人たちも次々に赤飯のおむすびに手を伸ばしている。
食べ慣れない味だけど、一口分だから気軽に試しやすい。との言葉も聞こえて来て、一口おむすびの提案が上手く行った感じだ。
「この一口オムスビはミアさんが提案したとばあやから聞きましたけど――ミアさんには商才があると思うのよ」
ローナがブドウ酒を実亜のグラスに注ぎながら、実亜をそんな風に褒めてくれていた。
「商才ですか? 今までに見たことのあるものをお伝えしてるだけで……」
でも、ありがとうございます――実亜はローナのグラスにもブドウ酒を注いで、苦笑いで返していた。
「そこが大切よ。ミアさんの国では一般的なことかもしれないけど、ルヴィックでは珍しい――勿論、逆も然りなのだけど」
ローナは茹でた枝豆を食べてブドウ酒を飲んで「このエダマメも珍しくて美味しい」と、上機嫌に笑っている。広間には誰かの歌声が響いて、誰かが手拍子をしたり、合いの手を入れたりして盛り上がっていた。
「はい。それは実感してます」
「辛いことも多かったでしょうけど、これからも辛くない程度に面白いものが思い出せたら、教えて頂戴ね?」
ローナは「でも、無理はしないで」と、優しく気遣ってくれる。
「はい」
「いい子、いい子。可愛い娘が増えたわね」
ローナの手が実亜の頭を軽く撫でて離れる。ローナとゆっくり話をするのはほぼ初めてなのだけど、不思議と受け止めてもらえる安心感があって心地良かった。




