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番外編(アステリアとクロエ・9)

(1)

 十六歳の春――アステリアは考えていた。

 もうすぐ、姉のソフィアが伴侶を連れて、赴任先のリスフォールから帰省する。

 帝国騎士団で働くソフィアはいつも忙しい人で、休暇もここ十年ほどは最低限だったから、次の帰省では少し長く滞在するつもりらしい。

 ソフィアが伴侶と決めた人の名前はミア・ユーキ――不思議な名前だけど、それしか情報がないのだ。どう歓迎していいのか、何を話せばいいのか――アステリアには全くわからない。

 だけど、伴侶と――大好きな人と二人で旅が出来るのは素敵なことだなとアステリアは思う。旅先からひと足早く届くソフィアの手紙からも、その素敵な旅が伝わって来て、アステリアは読む度に心が弾むのだ。

 自分はまだ、帝都ルヴィックの街中にも二度しか行ったことがないから――いつか、旅が出来たらとも思う。


「ねえ、クロエ。お菓子って誰でも好きよね?」

 アステリアは一日分の勉強を終えて、日課の庭の散歩をしながら、ついて来てくれている執事見習いのクロエに訊いていた。

「そうとは限りませんよ。私は揚げてから砂糖水を染み込ませる部類の菓子が苦手です」

 何種類かありますけど、どれも甘過ぎて――クロエは水筒を手にして、アステリアの疑問に答えてくれていた。

「そうなの? でも、あれは私も甘すぎる気はするの」

 砂糖が沢山で贅沢なお菓子だけど――アステリアはクロエから水筒を受け取って、中の茶を少し飲む。

 三年ほど前にアステリアが庭で迷子になってから、クロエは少しの散歩でも水筒と菓子を用意するようになった。

 多分もう迷子にはならないと思うのだけど、万が一の場合にとりあえず食べて飲んで落ち着くためのものらしい。

「はい。噛みしめると頬が痛い気分になります」

「わかるの……」

 クロエの感想に、アステリアは何度も頷いていた。菓子は不思議なもので、甘くないと美味しくないし、甘過ぎても美味しくないのだ。

「じゃあ、適度に甘いお菓子でお姉様とご伴侶をお迎えするのがいいかしら」

「それなら、庭の果物を使ったお菓子は如何でしょう。甘酸っぱいものも多いですし、砂糖で煮詰めれば保存も出来ますから、ソフィア様のお帰りがいつになっても対応出来ます」

 炭酸水に少し溶かして飲みものにしても良いです――クロエがそんな提案をしてくれる。

「今の時期だとグミだけど――収穫の時期が凄く難しいと思う……鳥たちには勝てないもの」

 アステリアは庭にある木々を見ていた。いつでも気軽に食べられるように、色々な種類の木が植えられていて実も付いているけれど、どれもまだ熟していない実が多くて食べ頃には少し早い。

 そして、アステリアの言ったグミの果実は収穫が少しでも早いと渋味が強いし、熟して甘くなった途端に庭にやって来る鳥たちに食べられてしまうもので、アステリアは食べ頃の時期を逃しがちになっている。

 今年もあと五日ほどあれば熟しそうではあるのだけど――

「鳥に取られないように、木に細かな網をかけてみましょうか」

 クロエが小さな紙の束に覚え書きをしている。クロエは書き留めることが好きなようで、暇があると一日の仕事の順序や備忘録とかを書いているらしい。

「鳥たちの餌でもあるし、こっちを食べられなかったら、ブドウ畑のほうに行ってしまうじゃない?」

 鳥たちがブドウ畑に行ってしまうと、クレリー家の事業にも影響が出てしまう――勿論、ブドウ畑は鳥や虫からの食害が少ないように対策もしているけれど、鳥も虫も気候の変化などで増えたり減ったりするものだから、完全には食害を防げないのだ。

 だから、出来るだけブドウ畑に被害が及ばないようにすることも、庭に多種多様な果物の木を植えている理由でもあった。

「アステリア様、グミの木は軽く見ただけで十本はあります。半分に網をかけて、半分は鳥たちの餌用にするんです」

「なるほどね。クロエは優しいの」

「最初に鳥たちの餌の心配をなさったのはアステリア様ですよ」

「でも、私の心配を含めて素敵な解決案を出してくれたのはクロエよ」

 アステリアはクロエにも茶を差し出す。最近暖かくなって来たから、歩いていると思っているより喉が乾く。

「恐れ入ります」

 クロエが茶の入った器を大事に受け取って、アステリアに礼を言っていた。


(2)

「こんなに大規模にしたかったわけじゃないの……」

 翌日の朝――朝の散歩の途中で網がかかったグミの木を見て、アステリアは小さく呟く。

 昨日のアステリアとクロエの提案に、屋敷の職人たちが張り切って答えてくれていた――のはいいのだけど、木の周辺を小さく囲って網をかけるだけだと思っていたのに、何本かあるグミの木全体を囲うように柱があって網が張られて、この前に植物学で勉強した温室のような建物が出来ていたのだ。

「アステリア様の大事なグミの木ですから、一番いい方法を考えたんですよ」

 職人たちの親方が「いい仕事が出来た」と、満足そうにしている。

「ありがとう――大変だったでしょう?」

 アステリアは思っていたより大規模なことになった庭を眺めて、親方に礼を言う。確かに、木々に一つずつ網をかけるのは大変だし、それなら大きな範囲で囲ってしまうほうが良いし、効率的だろう。

「これくらいなら私たち職人には簡単なことです。これで安心してお出迎えの準備が出来ますよ」

「はい。ありがとうございました」

「遠慮なさらず。いつでも呼んでください」

 親方はそう言い残すと、自分たちのいつもの仕事に戻って行った。


「アステリア様――こちらでしたか。先生がいらっしゃいましたよ。ああ、もう網が出来て……」

 網で囲われたグミの木を見ているアステリアの元に、クロエがやって来た。

「こんなに大規模になるとは思わなくて。ありがとう、クロエ」

 アステリアは網の周囲を一周して、囲いの出入り口を見付けていた。一晩しか時間がなかったはずなのに、木枠を組んで網を張った扉になっている。

「……私も少し驚いてます」

 入口はここですね――クロエが扉の目印用にと赤い紐を結んでいた。

「そうなの? クロエが考えたんじゃないの?」

「いえ、私はアステリア様のお考えと、私の提案を職人たちにお伝えしただけで……ここまで大規模になるとは思ってませんでした」

 クロエは張り巡らされた網を確認して「でも、これなら大丈夫ですね」と、苦笑いをしていた。

「私もクロエも、迂闊に何かを言うと大変なことになるみたいなの」

 ここで自分の立場を実感するとは、アステリア自身も思ってなかったけれど――そういえば母のローナの一言で五年分くらいの取引が決まることもあるし、この前は「新しい製品を作ろうかしら」の一言で、新しい製品を試作するための工房を建てることになったし――何かを()り仕切る立場はそういうものらしい。

「そうですねえ……」

 クロエもそれは同じで、執事見習いとは言ってもクレリー家に一番近くて、クレリー家で働く人たちの橋渡し役でもあるから、迂闊に何かを言えないようだ。

「でも、ありがとうクロエ。職人たちにも、お礼を言わなきゃね」

「はい。お勉強のあとでお供します」

 アステリアの言葉と行動を、クロエは支えてくれていた。


(3)

「クロエ、もう食べ頃じゃない?」

 囲いが出来て六日後――グミの実は赤く色付いて、柔らかく熟しているようだった。

 アステリアは手でいくつかの実に軽く触れて――熟しているものは触れただけで枝から手の平に落ちて来る。

「一つ確認してみます――んん?」

 クロエはグミの実を一粒、アステリアの手から受け取って食べていた。

「どう?」

 アステリアは味見をしているクロエを見つめる。

「アステリア様、丁度いいです」

 これなら砂糖と煮詰めて丁度いい――クロエは笑顔で答えてくれていた。

「本当? 私もいただきます――本当、渋くないの」

 アステリアも一粒グミの実を食べて――あの熟していない時に感じる独特の渋さがなかった。

 よく味わうと甘酸っぱさの中に渋さが(かす)かにあるのだけど、それも美味しさに変わる感じだ。

「アステリア様、カゴはこちらです」

 クロエは準備万端で、目の細かいカゴを渡してくれる。

 そして、二人で収穫――豊作だった。


「クロエ、砂糖はどれくらい?」

 アステリアは大鍋の三分の二くらいに詰まったグミの実を見て、クロエに訊く。

 採ったばかりのグミの実を軽く洗って、虫が居ないかどうかを選別して――あとは砂糖と煮込むだけだ。種を取らなくてはならないけど、それは煮込んでからの話だから、今は砂糖の量が大事だった。

 甘過ぎてもいけないし、甘くなくてもいけない――

「実の三割くらいの量ですよ」

 クロエが自分の備忘録を見ながら、砂糖と木杓子(きしゃくし)を渡して来た。いつもなら料理人が作ってくれる菓子だけど、今日の砂糖煮はアステリアが作らなくては意味がないのだ。

「三割……このくらいね」

 アステリアは器で砂糖を計って、鍋の中の実に砂糖をまぶすように振りかける。

「しばらく置くと、実から果汁が出て来て、煮込みやすいそうです。火加減は中火の弱火です」

 クロエは備忘録を読みながら、アステリアを見守ってくれている。厨房には料理長も居るのだけど、料理長も見守ってくれていた。

「中火の弱火ってこのくらいね?」

 アステリアはシェールの火加減を調整して、中火の弱火という状態にしていた。鍋底から炎がはみ出ないくらいが中火で、そこから気持ち弱めに――

「はい。沸騰するまでは慌てなくて大丈夫ですが、煮込まれて行くと焦げ付かないように常に混ぜる」

「常に……お菓子を作るって大変なの」

 しかも、自分が今作っているのは、菓子を作るための砂糖煮だから、菓子作りは更に大変――食べたいと言えば出て来るけど、そこには沢山の手間があることをアステリアは改めて実感していた。


「スタチバナの果汁を少し加えてまた煮込みます」

 アステリアはクロエの指示通りに、スタチバナの果汁を砂糖煮の中に入れて、混ぜていた。

 スタチバナの果汁は酸味があるのだけど、こういう果実の砂糖煮を作るには必須のもので、ないと砂糖煮の色があまり綺麗に出なかったりするらしい。

 それにしても、常に混ぜ続けるのはかなり大変――だけど、大好きなソフィアとその伴侶に喜んで欲しい気持ちで、アステリアは続けていた。


「少し掬った砂糖煮を水の入った器に落として――塊が途中で広がって少し溶け残るくらいが良い煮詰まり具合です」

 熱いので気を付けてください――クロエが持ち手の部分が凄く長い(さじ)を渡してくれた。

 グミの実の砂糖煮は、煮詰め続けて鍋の半分くらいに見た目の量が減っている。

 水分が蒸発して減ったからなのだけど、焦げ付かなかったし、香りも甘さが際立っていて、爽やかな果物の香りだ。

「少し掬って……どう?」

 アステリアはクロエに訊く。クロエは「私では少し心許(こころもと)ない」と、料理長に助けを求めている。料理長は「待ってました」と、煮詰まり具合を確認してくれていた。

「火を止めて、少し冷ましてから瓶に詰めます」

 料理長の合格をもらって、最後の仕上げ――火を止めてからしばらくはまだ熱いから、注意しながら混ぜ続ける。

 だけど、これでほとんど完成だ――アステリアは達成感に包まれていた。


「試食、クロエも味を確認してくれる?」

 砂糖煮が少し冷めて――瓶に詰めたものは料理長が煮沸して密閉する作業をしてくれている。

 この作業は砂糖煮が入った瓶を煮沸して、熱いまま蓋を閉めたりするので、流石にアステリアでは無理だとの判断でお任せすることにした。

 しかし、出来上がったものは試食をしなくてはならない――アステリアは鍋に残った砂糖煮を器にまとめていた。大きな鍋なので、残った分だけでも焼き菓子に塗ったり出来るくらいの量はある。

「私でよろしければ」

 クロエはアステリアが火傷をしていないかの確認をしつつ、快諾してくれていた。

「炭酸水に少し溶かしてみたいの。クロエが言ってたでしょう?」

 アステリアは大事にされている自分を少しくすぐったく思いながら、感謝の気持ちと共にクロエのために作る飲みものを提案する。

 最初は帰省して来る大事な姉のソフィアと伴侶のため――だけど、それはアステリア一人では出来なくて、色んな人の協力があってこそのものだったから。

「はい。いただきます」

 クロエは優しく笑って、アステリアの手をそっと握ってくれていた。


「どう? 酸っぱい?」

 グミの実の砂糖煮を炭酸水に溶かした一杯を差し出して、アステリアはクロエを伺う。

 クロエは一口飲んで、しばらく無言だ。

「アステリア様――凄く美味しいです」

 笑顔と優しい言葉で、クロエは答えてくれる。

「本当? 本当?」

 アステリアはクロエに「もう一度飲んで確かめて」と、お願いしていた。

「本当です。アステリア様も飲んでみてください」

 クロエはもう一口、砂糖煮入りの炭酸水を飲んで、アステリアにも勧めている。

「クロエのための飲みものを取っちゃ駄目なの……」

「一口くらいなら構いません」

「じゃあ、一口――美味しい」

 アステリアは爽やかな飲みものを味わって、沁みるような甘酸っぱさを感じる。

「アステリア様が作ったものとは思えないくらい美味しいですよ」

 クロエはまた一口飲んで「飲みやすくて良い」と言う。

「どういう意味……?」

「そのままの意味です。料理も難しいものですから」

「意地悪……でも、クロエのそういうところ好きよ?」

 アステリアはそう言いながら、クロエが傍に居てくれることを心から嬉しく思っていた。

 最初のグミの木の囲いは二人で驚いたけど、あとは適度に見守ってくれていたし、適度に助言をしてくれていたし――だから、この飲みものは、二人の飲みものだ。

「私も――アステリア様のそういうところ、好きですよ」

 クロエは優しく笑って、アステリアにそう返してくれる。


 いつか――旅をするならクロエと――

 アステリアは心の中にそんな想いと願いを秘めて、クロエと過ごす時間を楽しんでいた。

アステリアさんは一人では何も出来ないことはわかっています。

クロエさんも一人では何も出来ない場面は沢山あるなと思っています。


ただ、立場的に何か言うと大規模なことになります。


グミの木って実在するのですけど、調べたら農業の生業的(市場に流通させたりする方向)にはほとんど栽培されてないみたいですね。

小さいサクランボみたいな実です。

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