期待と心配
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「これはソフィア様にミア様にアステリア様。手ずからの夜食を……ありがとうございます」
実亜たちが作ったおむすびを厩舎近くの小屋に運ぶと、執事長が感激しながら受け取ってくれていた。小屋と言っても十数人が余裕を持って過ごせるような――公民館的な建物らしい。
「堅苦しい挨拶はなしだ。夜通し起きていなくてはならないのだから、空腹では身体が持たないだろう?」
ソフィアは自ら小屋で待機している人たちにお茶を注いで回っている。
「こりゃあ面白い。ミア様の故郷のお食事で?」
「なるほど、手で持っても崩れない――何故だ?」
小屋の中に居る人たちが、大皿に並んだおむすびを見て「面白い」と、次々に手にとって食べている。中身の肉そぼろの味付けも新鮮な味だったらしく、最初は驚きつつで最終的には頷いてくれていた。
「はい、よく食べられてる食事です」
実亜は付け合わせに作った野菜の浅漬けをオススメしながら、みんなの疑問に答えていた。浅漬けもなかなか好評で、塩だけの味付けが面白いらしい。
「コメをこんなに贅沢に使えるってことは、ミア様もどちらかの貴族のご出身ですか?」
小屋の人から更に質問が飛んで来る。
ルヴィックでは米はそれなりの高級品――リスフォールと比べて買いやすい値段にはなっているけれど、少なくとも主食として毎日気軽に食べられる値段でもないから、疑問は実亜にもよくわかる。
「いえ、至って普通で、どちらかと言えば日々の暮らしに精一杯な感じでした」
実亜は過去になりつつある自分の重さを、少し軽く言えるようになっている自分に気付く。
此処に来て変わったことの一つで、その変化は心地良い。
「ミアの故郷はコメが豊富に実って、オムスビは手軽に食べられる料理だそうだ」
一日中開いている店でいつでも売られているらしい――ソフィアはコンビニエンスストアのことを上手く説明してくれる。
部屋に詰めている人たちがそれを聞いて、「店主と料理人が大変そうだ」とか「夜番のあとには嬉しいですよ」とかの話で盛り上がっていた。
「ミアお姉様、その一日中開いているお店はお菓子も売られているの?」
みんなに混ざっておむすびを食べているアステリアが、不思議そうに可愛らしく実亜に訊いて来る。クレリー家の人たちは気取らないというのが、アステリアからもわかる。
「はい。甘いお菓子も塩っぱいお菓子もありますよ」
「塩っぱいお菓子?」
「芋を薄く切って、油で揚げたものとか。あ、おむすびを薄く伸ばして、焼いて醤油――サルサを塗るのもあります」
ポテトチップスはわりと説明しやすいけれど、煎餅の説明はそれなりに難しい――簡単に説明するならこうだなと思いながら、実亜はアステリアに塩っぱいお菓子の一例を挙げていた。
「オムスビがお菓子にもなるのね?」
変なの。でも、楽しそう――アステリアもなかなか懐の深い感じでそんな言葉を続けていた。
「アステリア、驚くのはそれだけではない。オムスビは甘いお菓子にもなるんだ」
ソフィアが大事なことを言い聞かせるようにアステリアに教えている。
「ええっ? そんな? 本当に甘いオムスビがあるのね!?」
アステリアが物凄く驚いている。新鮮な驚きも可愛らしいなと実亜はソフィアとアステリアの姉妹を見て思っていた。
「先程破水したようです。皆様、ご準備を――」
夜食を終えてから――馬専門の医者と一緒に厩舎へ向かった執事長が小屋に戻って来て、全身を覆うくらいの大きさのエプロンを身に着けている。
小屋の人たちもエプロンや長い手袋を着けて、タオルや何かの器具が入ったカゴを確認したり、部屋の時計を確認して記録を書いている人も居る。
「ふむ、ここからしばらくは気を抜けないな」
ソフィアは慌てず騒がず、皆を見守る感じ――こういう時には慌てていてはいけないということだろうか。
ここから三十分以内に仔馬が自力で生まれてこないようなら、人の手で引っ張り出す方法などを取らなくてはならないらしい。
生まれたとしても一時間以内に仔馬が立ち上がるまでは油断は出来ないし、その次は初乳を飲むまで安心出来ない――それと同時に母馬のほうは後産というものがあって、それがないと今度は母馬が危険に状態になることもあるのだとソフィアが実亜に説明してくれる。
「あの……何かお手伝い出来ますか?」
実亜はソフィアの話を聞きながら、本当に命がけの大きな出来事を実感していた。
それは馬に限ったことじゃなくて、多くの生き物にも当てはまることだから。
「ミアお姉様、こういう時は慣れた人にお任せするのが一番なのよ」
アステリアも慌ててはいない。実亜はソフィアとアステリアの振る舞いに、例えるなら「品位」という雰囲気を感じていた。
馬の出産にあたっている人たちにも、勿論――その仕事をして来た「品位」があって、ソフィアたちはその人たちを信じて任せている。
多くの人の生活の責任を持つ立場は、それだけでも複雑で大変だと実亜は思う。
自分も色々な出来事を経てその一員になっているのが、まだ不思議ではあるのだけど。
「お嬢様方、任せてください。皆さんの美味いオムスビで腹拵えも済みましたし、我々はいつでも行けますよ」
一番のベテラン風の人が小屋の人たちにも聞こえるように、気合いを入れる言葉で盛り上げる。馬の出産は繊細なものらしく大声は出せないからそれなりの声だったけれど、それで皆の雰囲気もまた引き締まりつつの雰囲気になっていた。
「生まれた? そうか――ここまでは順調だな」
三十分くらいが過ぎて、手伝いに行った若い人が小屋に戻って来て、仔馬が無事に生まれた報告をしてくれていた。
人の手を借りることもなく無事に生まれて、母馬もしっかりと仔馬の世話をし始めているとのことだ。
「呼吸も力強く、もう少しで立ち上がれるとのことです。ただ――」
報告に来た人は嬉しさと戸惑いが入り混ざったような表情で言い倦ねている。少し神妙な面持ちとも言えるかもしれない。
「どうした」
「白毛なんです」
その言葉で小屋の中の雰囲気が一気に静かになった。
そんなに大変な情報だったのだろうか――残念なことに自分には馬の知識がほとんど無くてわからない。そう思いながら実亜がソフィアを見ると、ソフィアは一旦目を閉じて深呼吸をしている。
「……本当か。相当に珍しいことだな」
その表情と言葉から、本当に大変な情報だったのは実亜にもしっかりと理解が出来た。
突然変異とは言わないまでも、白毛の馬は慣れている人たちの間でも珍しいということだ。
「白毛の仔馬は身体が弱いと噂に聞きますが――」
無事に生まれて嬉しいけれどその噂が事実なら、初めて世話を任せられた馬の仔なのに――若い人はポツリポツリとそんな心配を口にしていた。
大切にしているからこその心配――嬉しくて、でも心配も頭に浮かんで――それも全て、元気で育って欲しいから思うものなのだろうなと実亜は話を聞きながら考える。
大切な「存在」を思うことは強さをくれるけど、同時に少しの心配が何処かに芽を出すものだから。
「しかし、ロークワット男爵の愛馬は生まれついての白毛で相当に強い馬だ。吉兆を示す神聖な毛色でもある。心配せずとも大丈夫だ」
ソフィアは「何かあればすぐに対処も出来るだろう?」と、若い人を励ましている。
「あの、保証は出来ませんけど、馬に慣れている皆さんだから――大丈夫だって信じましょう」
少し卑怯な言い方だなとは思ったけれど、実亜はそんな励ましを口にする。
誰だって明日の保証は簡単には出来ないものだし、「信じましょう」と言っても何を? となるものだし――励ましは失敗かもしれないという自分への駄目出しが実亜の頭に過る。
だけど、心配そうな人を目の前にして、何か出来ればと考えた上での言葉なので、後悔はなかった。
「女神様かもしれないミアお姉様が言うんだもの大丈夫よ」
アステリアが上手く補ってくれて小屋の全員が「ああ、そういえば」と納得している。
此処でも女神様扱いなのには少し待ったをかけたいのだけど、「かもしれない」と言ってくれたアステリアは、実亜のそんな「待った」の気持ちもなんとなくで察しているのかもしれない。
「は、はい!」
それまでみんなの話を聞いて何度も頷いていた若い人は、アステリアの言葉に一番深く頷いて励まされているみたいだった。
実亜さんも自覚がちょっと出て来た感じで。
自分のことだけじゃなくて他の人たちのことも沢山考えられようになってきたような。
ソフィアさんはしっかりとクレリー家の人。
アステリアさんはクレリー家の人の片鱗がやっぱりある感じで。




